第10話
大鬼が消滅すると、役目を終えるように巨大光線は途絶えた。
ヅヱノが決戦桿を離すと、決戦桿は元の位置へと倒れる。
すると、ヴェーダーも再び変形を始めた。
露出していた巨大砲口を呑みこみ、裂けた口を砲郭口まで閉じる。
まだ熱気を漏らしている排熱口を、付け根の方から次々と閉鎖した。
腹の下に無数に張っていた光の糸を、僅かな時間で全て外す。
最後に大地に突き刺していた杭をずぼっと抜き、元の爪先に戻る。
時間を巻き戻すように、決戦機関の発射構造が格納されていく。
「ふぅー……」
ヅヱノは座席に深くもたれかかった。
たった一発、決戦機関を撃っただけだ。
なのにヅヱノは凄まじく精神的に疲労している。
いや、ヅヱノの疲労感は単に決戦機関を撃っただけで生じたものではない。
ヅヱノのヴェーダーを使った初めての戦い。
目の当たりにした人の死、ギエムの殺戮、ギガムとの戦闘。
たった一時間にも満たない苛烈な経験の数々が、ヅヱノの精神に重くのしかかっていた。
ギエムの首魁たるギガムは、惨劇の主導者は死んだ。
ヅヱノがヴェーダーの切り札を用いて、大鬼は死滅したのだ。
その姿は跡形もなく消え去り、配下たる小鬼達も血の一滴すら残さず消滅した。
この戦いはヅヱノの勝利である。しかしヅヱノは全く喜べなかった。
「ああ、くそ……畜生」
ヅヱノは達成感を噛みしめるより早く、後悔の念に襲われた。
目の前には抉れた大地が拡がっている。ここには、確かに街があったのだ。だが瓦礫どころか、基礎といった建物群が存在した痕跡すらない。ただ大破壊の爪痕が、生々しく残っているだけだった。
殺された住人にだって、最期の救いはある。それは彼らが住んでいた廃墟が残されて、後に誰かに見つけられることだ。どんな惨劇の跡であれ、それは彼らが生きた証――存在した残滓だ。それさえあればいつか誰かが見つけ出し、この場所に大勢の人が住んでいたと伝わる。惨劇だけでなく、彼らの日常も読み取ってくれたかもしれない。だが全てが消えた今となっては、生きた痕跡どころか、無残に虐殺された惨劇さえも伝わらない。
ヅヱノは怒りに任せて街ごと小鬼を攻撃したが、ここは彼らの墓標だ。彼らが死んでもその努力は形として残り、遺跡として救いは残されていたはずだ。そんな彼らの遺産を巨大光線で消し去ったのは、仇討ちしたとはいえ許される事ではないのだ。
ある意味でヅヱノは、小鬼達に加担したともいえる。
住人を辱めた小鬼達と同じように、彼らの営みを消し去ったのだから。
あるいは住人を無残に殺した小鬼よりも、ヅヱノは惨い事をしたのだ。
だがだからといって、どうにかできたのか。
彼らの街を、傷一つつけずに小鬼を殲滅できたか。
否だ。
仮にヴェーダー操縦に熟達しても、それはできなかっただろう。
ヴェーダーの火力からして、小鬼だけを選んで殺すことは困難。
地下に潜ったりしていたのを見ても、街ごと破壊しなければ殲滅は不可能だった。
それが判っていても、汚泥のように後悔はヅヱノの心に纏わりついた。
自分が、彼らへ真に止めを刺したのではないかという懸念が拭えなかった。
それが詮無き事だというのが判ってしまうのも、また勝利に苦味を添えた。
『絶対燃料:燃料集束:集束開始』
ヅヱノが事実を痛感していると、ヴェーダーが勝手に動き始めた。再びヴェーダーは四肢の爪先から杭を伸ばし、大地を刺し貫いた。それは決戦機関でも使った装置だが、そのまま決戦機関が展開される事はない。
次に機体中心部にある上部装甲が、花が咲くように開放された。中からはイカの顎板のような、鳥の嘴を重ね合わせたような装置が露出した。顎板が天に向かって大きく開かれると、周囲に変化が発生する。
「光が、集まってる?」
四方八方から、光が集まってくる。
瓦礫から、森から、山から、空から、大地から。
あらゆる場所から流れ星が落ちてくるように、光の粒が流れてくる。
その行き先は、ヴェーダーが開いた顎板機関の直上だ。
そこで、決戦機関と同じように球体を形作っていく。
決戦機関で緑光球を形成する過程と、それはよく似ている。
だが集まってくる光の粒子はただただ白く、決戦機関の物とは別に見える。
『絶対燃料:燃料集束:集束終了:燃料圧縮:圧縮開始』
光の粒子が集まり終わると、顎板機関が蠢き始めた。
すると光の球体が一回り小さく圧縮され始めた。そして圧縮されていくごとに、白い光に色味がついていく。その色は緑。この戦いでヅヱノが何度も見た色だった。
圧縮されていく球体は、完全な緑の星へと成形される。
それは顎板機関が容易に飲み込める、手頃な大きさになっていた。
『絶対燃料:燃料集束:集束終了:燃料圧縮:圧縮終了:燃料回収:回収開始』
完成した緑の光玉はゆっくりと降下していき、ヴェーダーの機体上部――顎板機関へと呑み込まれる。顎板機関から光を呑んだヴェーダーは、顎板機関を装甲ごと閉じて格納する。そこが開いたという形跡すら残らず、綺麗な白い背筋が顎板機関を覆い隠した。
そうしてやるべき事は終えたというように、ヴェーダーは動かなくなった。
だがヴェーダーが動かなくとも、内部では慌しく情報処理が進められている。
『絶対燃料:燃料集束:集束終了:燃料圧縮:圧縮終了:燃料回収:回収完了』
『撤退開始:母艦状況:収容態勢:準備中……準備中……準備完了:収容開始』
『推力光線:充填中……充填中……充填完了:諸元入力:照射開始』
ヅヱノは手引に手を伸ばそうとして、ふと円形画面に目がいった。
何もない空間を突き破って、背後に眩い何かが飛んでくるのが見えた。
辛うじてヅヱノが見えたのは、ヴェーダーの後尾に直撃する光線だった。
光線はヴェーダーにぶつかると、ヴェーダーを弾丸のように急加速させる。ヅヱノが光線の正体を考える間も無く、急加速したヴェーダーが彼の意識を置き去りにする。そうしてヅヱノ――ヴェーダーは凄まじい衝撃と共に世界の壁を突き破った。
§
「ぅあ」
ヅヱノは戦闘室の中で意識を取り戻す。
出撃時同様に凄まじい衝撃で意識が飛び、そのまま気絶同然に眠っていたのだ。
脳が揺らされたような、三半規管が狂ったかのような酩酊感があった。
ヅヱノは一体何が起きたのかと手引を手繰り寄せ、歪む視界に幾何学象形文字を映す。ヅヱノの脳に写された情報によると、母艦から放たれた推力光線でヴェーダーは加速し帰投したのだと判った。ヅヱノは母艦から撃ち出された時は電磁加速――カタパルトで射出されたように感じていたが、実際は推力光線という物で加速していたのだ。
なお推力光線で狙撃できるのは、ヴェーダーが標的である時のみだ。ギエムやギガムを狙えるならば、そもそも母艦が直接狙えばいいだけの話である。
「帰って、来たのか」
ヅヱノがいる場所は戦闘室のままだが、見えている風景は異なる。
先程までいた緑の大地と、青空に太陽が浮かぶ世界ではない。
材質不明の壁で四方を覆われ、無数の人工灯に照らされた世界だ。
そこは出撃前にいた格納庫内だった。だが完全に出撃前と同じとはいかなかった。格納庫内をいくつもの小さな機械が飛び交っている。機械は鋼の蜂のような形で、数えるのも億劫なほどの量だ。他にも天井から、巨大な機械腕が生えている。それらの機械が装甲らしきものを摘まんだり、長太い蛇腹管を引っ張ったりしている。
これらはヴェーダーの修理や補給といった、整備作業を担当する機械だ。ヴェーダー同様に高度な技術で、機能を整備に特化して作られた機械達なのだ。それらがヴェーダーの周りで、きびきびと動き回っていた。
「あ」
だが出撃前と同じ風景もあった。ハーピーは心配そうな顔のまま、じっとヴェーダーを見上げている。ひょっとしたら、彼女は出発前から一歩たりとも動いていないのかもしれない。その姿が、助けられなかった彼女達に重なった。
ヅヱノは彼女に姿を見せてやらねばという気になる。出撃中と違い、問題なく降機を選択できた。グオングオンと骨が震える機械音が響き、戦闘室が開放される。新鮮な空気が吹き込み、肌が澄んだ空気に撫でられる。
ヅヱノが快く感じる、肉体に適した爽やかな空気だ。出撃先の、訳のわからない原子が充満した大気とは別物だ。やはり出撃先とは違うのだと、別世界なのだとヅヱノは肌で感じさせられる。
「……あれ、待てよ? 入る時って……ぅおおおおおおおおおおっ!!」
再び、口吻へのジェットコースターが始まった。
気を抜いていた所の絶叫マシンに、ヅヱノは思わず歯を食いしばる。
座席が床寸前に到着した時には、ヅヱノは完全に疲れ果てていた。
「つ、ついたか……毎回これはキツイな」
ヘロヘロになりながら立ち上がろうとすると、ふわっと体が持ち上がった。
既視感のある感覚は、やはりハーピーの手によるものだった。
「ま、またか……って、わぷっ!?」
その腕はヅヱノを持ち上げるだけでなく、彼の体を胸に強く抱きこんだ。
息苦しいほどの抱擁で、最早離さないという意志を感じる。
ヅヱノは逃れようとしたが、力が入らなかった。
「えぇ……? 力入らん……なんでだ? さっきまでは……ヴェーダーを降りたからか?」
理由があるとすればそれだ。
恐らくヴェーダーの座席には、ヅヱノの肉体に干渉する機能がある。
ヅヱノはヴェーダーを普通に手足で動かしていた。だがヅヱノは、完全に自分の体で動かしていたとは断言できない。ヅヱノは幾何学象形文字で、脳に情報や操縦技術が複写された。それほど露骨でないにしろ、気付かぬ部分で操縦を手助けされていたのではないかとヅヱノは考えた。
そもそもの話、幾何学象形文字による脳への操縦能力転写は異常な技術だ。全く使った事もない道具を問題なく扱う――そのために無意識に行なっていた動作で、身体に支障が出てもおかしくない。ヅヱノが生身の身体を動かすための回路が、ヴェーダーを動かすための回路に作りかえられている――そんな可能性にも、ヅヱノは辿り着いた。
だからこそヴェーダーとの繋がりが切れると、糸を失った人形のように動けなくなるのだろうと彼は考えた。そしてヅヱノは、この感覚に覚えがあった。目覚めてからハーピーに抱擁されるまでの、体が動かせなかった時と同じだ。その経験から考えるに、放っておけば治る症状だ。そう考えると、ヅヱノは目覚める前にヴェードをしていた事になる。だがそれはあり得ないだろうと、彼は考えを切って捨てた。
問題は、『放って置く』といっても、『何もしない』という意味ではない事だ。
時間経過でどうにかなるなら、ヅヱノは一人であのベッドから出ていた。
いつまでも天井を見上げる破目になったのは、結局体が動かなかったからだ。
そして動けるようになった原因は、今ヅヱノを抱きしめている。
「……♪」
自分の体温を別けてあげようとするように、ぎゅーっと抱きしめてくる。
厄介なのは、ハーピーの気持ちが伝わり過ぎる事だ。
感情で抱擁されているかのような、強い情熱を感じる。
ハーピーの腕の中は、非常に居心地が悪い。
気分悪いのではなく、むしろ心地よすぎて怖くなるほどだ。
彼が記憶している限り、これほど想われた記憶はない。幾らハーピーが人間でないとはいえ、上半身は人間だ。それが凄まじい美貌をしていて、グラビアアイドルでも滅多に見ない、豊満な体つきをしているとなれば落ち着かなさはひとしおだ。
だが逃れられない。ハーピーの腕が籠となって、彼女の感情が蓋となってヅヱノの体を捕らえている。ヅヱノが見上げれば、慈母の笑顔を浮かべたハーピーがいる。ヅヱノが自分の腕の中にいる事が、嬉しくて嬉しくてたまらないという顔だった。
『彼女たち』も、助けられたらこんな風に喜んでくれたのだろうか。そんな、ヅヱノの胸中に湧き上がった苦い感情も、疲れとハーピーの温もりで鈍化していく。
ヅヱノの瞼が、だんだんと重くなる。体力的な疲労もそうだが、気疲れに起因した睡魔に襲われる。ヅヱノの眠気を察したのか、彼女は一定のリズムで彼の身体をゆっさゆっさと揺らしてくる。
リンゴが木から落ちるように、ヅヱノの意識は闇に落ちていく。
ヅヱノのうめきが寝息に変わっても、ハーピーは彼を離さなかった。
まるで親鳥が雛を守るように、ハーピーは眠るヅヱノを翼で優しく包み込んだ。
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