第7話
ヅヱノが新たな逆三角へとヴェーダーを歩かせてより暫く経ったが、ヴェーダーは未だ深い森の中にいた。相変わらず進路上の森を派手に荒らし、生態系を引っ掻きまわしながら進んでいる。直近のギエムとはかなり離れているのか、先程よりも接敵に時間がかかっていた。
推力桿は一杯まで倒しているが、それでもヅヱノは遅く感じる。噴進滑走すればもっと速く進めるが、早く到着しても体が疲労困憊では意味が無い。しかしそれでもヅヱノは噴進桿を握って、推力桿を最前まで倒したくなる。
変わらない風景が、ヅヱノを焦らせている。
一向に新たな小鬼が見つけらないもどかしさが、ヅヱノを苛んでいる。
今ヅヱノの脳裏に映っている風景は、雄大な緑の大自然ではない。ぶつ切りにされた無残な女騎士と、同じく遺体を嬲られた憐れな少女の姿だけだ。抜けるような青空も、青々と茂る草木も彼の目には入らない。
ヅヱノは復讐鬼のように、醜悪な小鬼の姿を求めていた。
一分一秒遅れるごとに、あのような惨状が広がっていく。そう思うと、ヅヱノは急がずにはいられなかった。急いだ甲斐あってか、ようやく逆三角の数が増えた。だが今度の逆三角は、一つや二つではない。無数に集まっている群れだ。
念願の小鬼を見つけたヅヱノだが、嫌な予感がしていた。
これがただの巣穴ならいい、ただ移動している最中でも良かった。それならヅヱノが想定している惨劇が発生している可能性は低い。だが稜線の向こうから現れた物は、ヅヱノの願いを裏切るしっかりとした街だった。
遠目にも美しい白の城壁が見える都市だ。ひょっとすると、小鬼の攻撃に耐えているのかもしれない。ヅヱノはそんなかすかな希望を思い描いて、街へと拡大釦を寄せる。
画面に映ったのは、城壁に吊り下げられた無数の人体だった。
まるで作りすぎたてるてる坊主を吊れるだけ吊った、そんな雑然とした子供部屋の窓際にも似た風景。しかし吊るされているのは紐と鼻紙の人形ではなく、甲冑と血肉でできた兵士だった。
血まみれの彼らは、荒縄で首を吊られている。都市を守ろうとした兵士達の遺志を嘲笑するように、都市の象徴たる城壁に吊るされている。何者も拒む清き白亜の城壁が、守護者たる彼ら自身の血で穢されている。
中には腹を裂かれ、解体中と思われる状態のモノもあった。半端に解体された骸は、意図的に途中で放置されたものだろう。骸を嬲って辱めたいという、強い侮辱の意志を感じられた。
城壁の上にはわらわらと小鬼たちが姿を現し、ヴェーダーを見てギャーギャー騒いでいる。そして備え付けられていた攻城弩に群がり、ノロノロとヴェーダーへ鏃が向けられる。
作ったのは彼らじゃなかろうが、使い方を習熟する時間はあったらしい。つまりとっくのとうに、この街は滅んでいたのだ。森の中で惨殺されていた二人は、生き残りだったのかもしれない。
彼女たちの死を見て、次は間に合ってくれていたら――そんなヅヱノの希望を打ち砕く惨状だった。
ヅヱノは言葉が出なかった。ただ、腹の底からぐつぐつと湧き上がってくるモノがあった。熱く重い何かが、腹の中で大蛇のように荒れ狂っていた。質量を感じる程のそれは、感情――激しい怒りだった。
縁も所縁もない人々の悲劇は、地球にいた頃ならば画面越しに何度も見た。何人がどう死のうが、気にも留めなかった。画面の中にはいても、眼の前にはいない。惨劇の存在感が希薄だからだ。だが今は、同じ画面越しであっても確かに彼らはそこにいる。彼らの死は目の前にあって、かつヅヱノには力があるのだ。
吊り下げられた人々の怨念が乗り移ったように、ヅヱノの身体は自然と動く。
ヴェーダーの銃郭口が開放され、何が起こるかも判っていない小鬼たちに奇環砲を伸ばす。露出された異形の五銃身砲は、間髪いれず旋回を始めた。
『銃郭:デススターブルドッグ:状態:発射:残弾:100……90……80……』
星の群れが撃ち出され、城壁と攻城弩を群がる小鬼ごと両断した。
山の斜面を抉り取る威力を持つ銃撃が、人が積み上げた石の壁を貫くのはたやすかった。
崩れた城壁から見える市街の風景は、ある意味で予想通りだった。
街灯や背の高い建物の、至る場所に人が吊るされている。ワンピースやチョッキや古着の短パンが、風に揺らされている。城壁の兵士達と違い、こちらはいかにも街の住人といった服装をした人々だった。
数は多く、建物中から引きずり出して吊るしたのだろう。
彼らが普段日常を送っている場所で、凶行に及んだのだ。談笑をしている場で断末魔の悲鳴を上げさせ、洗濯物を干している紐で縊死させたのだ。悪趣味という表現でも足りぬ、悪鬼の所業だった。
ヅヱノの中で、完全にスイッチが入った。
街道にいる小鬼たちへ星の飛礫を放ち、小鬼の群れを粉砕する。醜悪な怪物たちは逃げ惑い、物陰へと逃れようとする。だがその姿ははっきりと感知されたままで、ヅヱノの逆三角を追う銃撃で消滅する。
『警報:敵襲:乙標的:攻撃態勢』
市街地を攻撃していると、突然警告音が鳴り響く。警告音のする方を見ると、攻城弩が見えた。攻城弩は既に発射の準備を終えており、放つばかりとなっていた。
奇環砲を撃とうにも、弾切れを起こして充填中だった。
その隙を突いて、攻城弩は巨大なボルトを射出した。
『警報:敵襲:乙標的:攻撃開始:亜文速攻撃:第三文明速度:Cs3112』
『敵襲直撃:一番頭部:機体損傷:装甲槽数:254』
そんな情報が字列画面に表示された。ヅヱノは戦闘操縦手引を引き出し、幾何学象形文字から情報を脳へ転写する。そして表示されている文速だのといった数値は、敵の攻撃の威力――その目安だと理解した。
数字は大層であるが、戦闘室が揺れるなどの影響はない。攻撃は気のせいだったんじゃないかとヅヱノが思うほどだ。だがヴェーダーの頭部には、しっかりと柱のようなボルトが突き刺さっている。巨大なヴェーダーの頭部と比較すると爪楊枝同然だが、丸太のようなサイズの筈だ。生身で受けたらひとたまりもない。
ヅヱノが次に注目したのは、装甲槽数という項目だ。操縦手引の情報では、ヴェーダーは装甲槽という255枚の防御層で覆われているとの事。普通の装甲と違い、損傷は装甲全体に分散される。この防御層はどこに攻撃を受けても、一つの装甲槽が許容限界まで抗靭する。
局所的に攻撃を受け続けても、その部分の装甲が貫かれるという事はない。全方位正面装甲ともいうべきか、機体のどこでも同じ防御力を発揮するのだ。逆に言えば後背への攻撃で正面の装甲も損害を受けるなど、どの方向からの攻撃も脅威になるとも言える。
攻城弩で破壊された装甲槽は一つ。後254回受けられるが、悠長に構えていられる訳もない。ヅヱノはまずは撃ち返すのが先決と、攻城弩を銃撃する。攻城弩は、小鬼ごとあっけなく消し飛んだ。
ヅヱノは攻撃されないように、他の攻城弩に対しても銃撃を加えていく。繰り返された銃撃により城壁の上部は崩れ、城壁は溶けたホールケーキのようになっていた。攻城弩は台座ごと消え去り、もう警告音も鳴っていない。
攻城弩を排除したヅヱノは、手当たり次第に小鬼へ銃撃を加えていく。徐々に逆三角は消えていったが、急に減りの速度が鈍化する。瓦礫に阻まれ弾が飛んでいないのかもしれない、ヅヱノはそう考えてもっと近付こうと前進する。
残っていた白亜の城壁を、巨大なヴェーダーの足が蹴り倒す。無事な建物を蹴り崩し踏み潰しながら、ヴェーダーは街へと侵入した。散々銃撃して瓦礫の山となった一角に、ヅヱノはヴェーダーを進めていく。その間にも何度か銃撃を放ったが、やはり減りは今一だ。もしや、街の外に逃げたのではないか。ヅヱノがそう考えたとき、慌ててヴェーダーの推力桿を引き起こした。
「……なんだ? なんで反応が後ろにある?」
追いかけていたはずの、正面にいた多数の標的。それがいつの間にか、左右の副眼画面の方へと流れている。つまり、反応から見るに小鬼がいるのは背後だ。だがヅヱノに小鬼を通り過ぎたつもりはなく、見逃したはずもなかった。しかし現に幾つかの逆三角は、ヴェーダーの後ろに移動している。ヅヱノは操首桿を捻り背後を振り返ろうとするが、巨体が邪魔で上手く見えない。左右の副眼画面も小さめで、拡大釦が使えないので探すのは手間だ。ヅヱノは旋回板に足をかけたが、すぐに離した。
「旋回……じゃない、頭の切り替えだな」
ヅヱノは選首桿を握り締め、大きく右に倒した。後ろを見ようと曲げられていたヴェーダーの首が伸び、奇環砲を飲みこんで銃郭口を閉じた。代わって尻尾の先端に銃郭口が開いて、奇環砲が吐き出され――機体の前後が入れ替わった。
「これでよし、と……それで、どこにいるんだ?」
ヅヱノは操首桿をぐりぐりと動かし、拡大釦も前後させる。瓦礫の山へとしつこく焦点を絞って、小鬼が隠れていないか調べる。だが見つかるのは、瓦礫と混ざった人間や小鬼の死体ばかりだ。生きて動いている小鬼の姿は、一向に見当たらない。ヅヱノは推力桿を慎重に握りしめ、僅かに前へと傾ける。
「あ? なんでまた通り過ぎるんだ? ……って、今度はこっち?」
ヅヱノは適当に調べながら進むが、やはり見つけられずに通り過ぎてしまう。ならばとしつこく調べながら進むと、ヅヱノをからかうように逆三角形は右に左にと移動する。ヅヱノは選首桿をガチャンガチャンと左右に切って、首を変えては周囲の瓦礫に焦点を絞る。
しかし、やはり小鬼は見つからなかった。一体どこにいるのかと、ヅヱノは手を止めて考え込む。探知画面が小鬼のいる方向を、精確に感知しているのは間違いない。遮蔽物越しであっても、探知画面は確実にギエムの存在を捉えている。ならば、確実にいる筈なのだ。
「……は?」
ヅヱノが思わずそんな声を漏らしたのは、緑色の影が脚の一つによじ登ろうとしているのに気付いた時だった。いつの間に小鬼がヴェーダーの足元にいて、その先端にしがみついてよじ登ろうとしていたのだ。手に持った道具で、攻撃している小鬼もいた。装甲槽数に減りはないものの、ヅヱノの眉間は狭まっていく。
街に住む人々の血に塗れた手で、ヅヱノのヴェーダーに触れているのだ。鼻息を荒くし、目を血走らせ、その装甲に爪を立てている。懐に入れば勝てると思い込んだクソムシが、巨大兵器に歯向かっているのだ。まさしく蟷螂の斧、力量差を想像できない単細胞の行動だ。
目の前で起きた同胞の大量死、ヴェーダーによる虐殺を目の当たりにしてこの蛮勇。知性というものが一片も感じられない、大馬鹿者だ。こんな奴らに住人が殺されたのかと思うと、ヅヱノは甚だ怒りが湧いて来る。
「触ってんじゃ、ねぇっ!!」
ヅヱノは選首桿を強く握り締め、左右に素早く滑らせた。隔壁画面の映像が左右に揺れる。戦闘室内の変化はただ視点が素早くスライドしただけだが、ヴェーダーの首は壱→弐→壱の順に頭が切り換わっていた。
一見無駄に思えるが、頭となった右脚は瞬時に持ち上がる。つまり一瞬だけ右脚を頭にした事で、素早く振り払うように右脚が跳ね上がったのだ。
当然ヴェーダーに捕まっていた小鬼は、ボールのように放り上げられる。小鬼は鳥のように宙を舞うが、翼のない腕で風をつかめる筈もない。当然のように重力に引かれ、荒廃した市街の一角に落ちていく。
そのまま小鬼は尖塔にぶつかり、過熟果のように飛び散った。ヅヱノは小鬼を払いのけられたというのに、安堵の表情はない。むしろ、一層渋面は深くなっている。
「……突然出てきたな。だが、隠れている場所は見あたらない……となると、まさか垂直方向――地下か?」
奇環砲の掃射の被害もなくやりすごし、突如沸いた小鬼の出所は一つだ。ヅヱノの言葉を証明するように、わらわらと瓦礫の合間から小鬼が現れる。瓦礫の合間には、地下へと続くだろう穴が見えた。ヴェーダーが通り過ぎるまで、奇環砲の攻撃も届かぬ地下深くに逃れていたのだ。
「モグラかよ……いや、アリか?」
身を隠す地下構造は、誰が作ったかはわからない。元々棲んでいた住人か、あるいは小鬼が急ごしらえで用意したのか。間違いないのは、その構造は非常に広範かつ深層に拡がっている事だ。多くの反応が確認できる所を見るに、相当収容人数に余裕がある施設のようだ。少なくとも奇環砲で掘り返すのは現実的ではない。
ヴェーダーに小鬼が群がる姿を見て、ヅヱノは虫を思い出していた。
ヅヱノは虫が嫌いだ。子供の頃は好きだったが、成長するにつれて苦手になった。虫はあの小さなサイズで精巧な構造の体を持ち、意思を持って動いている。それが体を這いまわる時など、はなはだ苦痛だった。体内に異物を捻じ込まれているような、耐えがたい不快感に襲われるのだ。
「離れ、ろぉっ!!」
ヴェーダーに群がる小鬼達を、ヅヱノはまるで自分の手が噛みつかれたかのように振り払った。這い上がろうとする小鬼をただひたすら体――ヴェーダーから遠ざけるため、ヅヱノは選首桿を動かした。
懐にさえ入られなければ、ヅヱノも余裕をもって始末できる。ヅヱノはバタバタと擬音が聞こえてきそうな、忙しない動きをヴェーダーにさせて小鬼を排除。更に取り付こうとする小鬼を踏みとどまらせ、距離を取らせる事にも成功した。その隙を突いてヅヱノは推力桿を倒し、一気に街の外へとヴェーダーを進ませた。
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