第5話

 男は見たこともない巨獣の姿に、呻くように何なのかと口にするしかできなかった。

 それに答えたのは、男を抱き抱えていたハーピーだった。


「お? お、おい! どこいくんだ?」


 ハーピーが男を運んでいった先は、巨獣の正面だった。

 そこでハーピーは、ピタリと立ち止まる。男は何かあるのかと周囲を見回すが、当然ながら何もなかった。そこでハーピーは脚を軽く上げ、強めにガンッッと床を踏んだ。すると床板が剥がれて、男の目の前まで飛び上がり――静止した。


「え?」


 板には映像が投影されており、手を伸ばせば触る事が出来た。

 接触画面【タッチパネル】のようだが、接触画面とは違う。つるつるとした感触ではなく、項目ごとに別の質感がある。プラスチックのようにつるりとしたり、紙面のようにざらりとしたり、接触画面とはいいがたい感触だった。


「あ、身体動くじゃん」


 既に、男の身体は完全に動かせるようになっていた。動くようになれば抱いてもらう理由はないので、ハーピーに頼んで降ろしてもらう。名残惜しそうなハーピーの腕から、男は逃れるように床へ降りた。男は随分久し振りのように感じる床の踏み心地を確かめ、接触画面に指を乗せた。


 見たこともない文字だった。象形文字というべきか。ただ様々な形が羅列されていて、文法もわからない奇妙な文字だった。一番奇妙なのは、男がその文字の意味がわかることだった。


 まるで漢字でも見ているように、その複雑な形状の文字を見た瞬間意味が脳裏にぱっと浮ぶ。表意文字という漢字通りの、名が体を表すような過程が男の脳内で起こっている。QRコードの遠い親戚なのかもしれないと、男は脳に情報を捻じ込まれる違和感に耐えながら考えた。


 軽く混乱しつつも、男は必要な情報を摘出していく。

 簡単に疑問の答えへとたどり着くことができ、驚くべき事がわかった。


「界宙戦艦ヲズブヌ、ねぇ……軍艦なのかこれ。変な名前だ」


 一番の不思議であるこの施設は、巨大な『艦』だとわかった。

 脚が生えて歩くものを艦と言っていいか男には判らないが、彼の脳がそう翻訳したのだ。そういうものだと、考えるしかなかった。その外観を確認すると、接触画面に表示された威容に圧倒される。


 シルエット自体は、戦艦のようだった。だが艦体には何十本もの脚が生えていて、まるで巨大な百足だった。そして艦橋にあたる部分には、甲冑を纏った人間とも、人型の龍ともつかぬ上半身がある。その姿は百足ドラコケンタウロスと表現するべきか――地球に存在する伝説上の生き物とは、全く繫がりを見出せない怪異な姿だ。


 映像中の半人半虫は、脚を規則正しく波打つように動かしている。無数の脚が整然と動き続ける姿は、おぞましくも美しい。あの半人半虫の怪物が進んでいる、この世のものとは思えない風景。それについてもすぐに情報が出た。


「界宙……世界の、狭間?」


 界宙――世界の狭間を界宙戦艦は歩いている、とあった。男には今一理解できないが、そう書いてあるのだから仕方ない。詳しく調べようにも、欠落しているのか元から説明がないのか、世界の狭間がなんなのかという情報は閲覧できなかった。


 世界の狭間だの何だのを理解しようとする事は一旦放棄し、一先ずここに連れてこられた理由を参照した。目の前の巨大な生き物らしき何かに関しては、理解できる内容で記されている筈だと。


 ハリアーは蒐撃機【ヴェーダー】により蒐撃【ヴェード】を果たしギエムを撃滅せよ――と、『任務』とされた項目にはそう書いてあった。


「ヴェーダー……ヴェード? これをするために俺は連れてこられたって事か」


 ハリアーというのは、文脈上男のことだ。他にそれらしい該当者はこの場にいない。男をここに連れてきた存在は、彼にヴェーダーと呼ばれる物に乗りいずこかを攻撃して欲しいらしい。そう、男は理解した。


 男はヴェーダーが何かわからず項目を参照してみる。すると見覚えのある三面図が、ぱっと画面に表示された。それは今しがた見たばかりの、巨大な怪物の姿だった。怪物を説明する謎象形文字も、図面の傍に添えられていた。


「……これが、ヴェーダー……兵器、なのか」


 男は怪物を見上げる。

 ヴェーダー、それがこの怪物の名前らしい。

 蒐撃機の語感や詳細な図面を見るに、兵器なのかと男は推測する。


 兵器というのは、知的生命体がより高度な力を振るう為の道具だ。一体どのような存在が、どんな目的のために建造したものなのか。男は疑問を覚えるも、それらについては記されていないので調べようがなかった。


 次に気になるのはギエムだ。恐らく攻撃対象と思われるが、男は人間でない事を願って閲覧する。ある意味で、男の願いは叶えられた。


「――っ!?」


 接触画面に、無数の映像が表示された。

 幾つも並べられた映像には、『ギエム』が映されていた。

 これがギエムだぞと、どんなバカにでも判るような視覚情報だった。


 映像の中には、多種多様な異形の怪物がいた。

 動く骸骨や多頭の大蛇、牛頭の巨人や多腕の鬼、人面の怪鳥に蠢く粘液の塊。集合した岩の塊や、よく判らない黒い靄。生き物らしきものから、生物であるかすらも怪しいものまで様々な種類のギエムがいた。


「なんだ……これ」


 彼は画面を眺めるうち、顔から血の気が失せていった。

 画面内の怪物たちが、一つの例外もなく人間を殺していたからだ。

 剣で切り裂き、棍棒で叩き潰し、素手で引き裂き、脚で首の骨を折る。

 執拗に、淡泊に、厳粛に、軽薄に、巧妙に、拙劣に、遊興として、作業として。


 そいつらは、人間を殺戮していた。

 老いも若きも、富めるも貧しきも、男も女も、区別せず虐殺されている。

 そんな映像が無数に、一つとして被る事無く流れている。

 数えきれないほどの人が、数えきれない場所で『ギエム』に殺されていた。


 男は映像を見ているうちに、まるで目の前で凶事が行なわれているように錯覚し始めた。謎象形文字が脳に情報を写すように、惨劇を男に生々しく体感させる。男の目と鼻の先で、彼の周りで人が殺されているかのように。無残に殺されていく人々の最期が、五感を通して脳にこびり付いていく。


 限界を迎えた男の胃はひっくり返り、ゲーゲーと胃液を床にぶちまけた。あわてるハーピーに介助されながらも、男の嘔吐は止まらない。胃液も、涎も、鼻水も、涙も。


 どちらがギエムであるかなど、決まりきっている。殺されている方ではなく、殺している方だ。あまりに種類が多く、出自が定かでもないから、共通する特徴を映像に纏めたのだ。つまりギエムとは『人を殺している存在』であると、男は結論した。


 ギエムとは人の敵。人の敵を殺せ、そういうことなのだ。だから人間である男が選ばれた。この施設の主は、男に世界を股にかけてギエムを駆除をしろと言っているのだ。まるで勇者が怪物を殺すように、与えられた聖剣で敵を切り裂くように。与えられたヴェーダーでギエムを殺せと、そう言っている。そうして人を助けろと、男に指示しているのだ。


 男は安い人間だった。世界で起こる悲劇に安い正義で怒り、軽々しい義憤を振るう妄想を抱くこともあった。だが力がない彼が、現実に実行すること等ありえなかった。だが目の前の怪物の存在が、蒐撃機という視覚に訴える強大な力が、男に軽々しい決断を促す。これがあれば、俺にも奴らと戦えるのではないか――と。


 それに拒みようにも、一体どんなペナルティをかせられるかも判らない。

 役目を拒否すれば、外――界宙に放り出される可能性すらある。

 男は命じられたとおりヴェーダーに乗り、ギエムを撃滅するしか手はない。


 そんな男の意思が伝わったのか、ヴェーダーが突然首を下げ始めた。男の眼前で開かれた上の口は、喉の奥に向かって先が見えないほどの大穴が開いている。その喉の奥から、トロッコが滑り出るように座席が現れた。


 座席は流線型で、石造りのようにも見える。

 どこかの彫像から切り取ってきたかのような座席が、さあ座れといわんばかりに男の前で静止した。アリクイが蟻を舐め取ろうと舌先を伸ばすように、ヴェーダーは男へと座席を伸ばしている。


 その光景を見れば、男には座席が電気椅子の近縁にすら思えた。座席に触れた瞬間、魂を抜き取られるかもしれない。そんな馬鹿げた妄想すら湧いてくる始末だ。断頭台に自ら首を押し込む、そんな気持ちになりながらも男は後ろを向いて腰を下ろそうとする。その時、彼の視界にハーピーの姿が入った。


 彼女は、微動だにしなかった。ただじっと、男が腰を下ろそうとしているのを見ている。これ自体は害をなすものではなく、だからハーピーも止めようとしないのだと男は考えた。すると不思議と男の恐怖は消えていき、すんなりと腰を座席に納めた。


 『蟻の一匹』は怪物の舌先に着いた。

 その途端、急激にハーピーの姿が――否、格納庫の風景が遠ざかる。代わりに視界を狭めていくのは、長大なトンネルの内壁。ジェットコースターのように、男は座席に乗ったままヴェーダーの喉を遡っている。


「ぅぉおおおおおおおっ!?」


 僅かに見えていた外の光も、巨大な歯列によって噛み潰された。暗闇の中を座席に振り回されながら、男はどこかへと運ばれる。その間数秒、必死にしがみついて耐える時間は強い衝撃と共に終わりを告げた。それまでの暗さが嘘のように、眩い光に男は照らされる。


「はぁ、はぁ、なんだここ……あ?」


 そこは、個人用の映写室にも似ていた。正面隔壁の内壁は巨大な画面と化し、隔壁画面の向こうにある風景――だだっ広い格納庫や、心配そうなハーピーの姿などを映している。だが映写室と違うのは、多様な画面の数々だ。


 例えば隔壁画面の下には、奇妙な細長い画面が環状に男を囲んでいる。左右にも円形画面がそれぞれ三つずつあり、それぞれ隔壁画面とは別の方向を映している。前から『斜め前』『斜め後』『背後』の順だ。他にも様々な形状の画面が、そこかしこに取り付けられている。映っている内容は映像から文字まで様々で、暗転したままの物もある。


 そうした多種多様な画面に加えて、男を取り囲むように操縦装置も並んでいる。正面には何かの制御盤があり、制御盤中央部には二つの小さな画面が縦に並んでいる。左右には操縦桿らしきものが二本あり、左側にはスロットルレバーのような物もある。足下にも、二枚のペダルが左右に配置されている。明らかに、『何かを操縦する』事を目的とした座席だった。


「戦闘機の、コクピット……いや、戦車の戦闘室、か? よくわからないが、意外と機械的な構造で動かすんだな……見た目は生物っぽいのに。こう見ると、確かに兵器だな……うぅおっ!?」


 男の喉から素っ頓狂な声が出たのは、戦闘室内に視線をめぐらせた最中の事。側面は途中から剥き出しの機械や配管がすえつけており、それを遡るようにして背後に目をやった。そこにあるものを見て、ヅヲノは飛び上がったのだ。


「なんだこれ……大鎧? なのか? どうしてこんなトコに」


 鎧には巨大なクワガタや大袖等、侍らしきものはついている。だが、顔の辺りは西洋甲冑のように装甲張りだ。他にも胸甲なのか胴丸なのか判別できなかったり、足袋に拍車がついていたりと、どこで作られたか今一わからないような鎧があった。あげくに腰には大型の輪胴拳銃があり、一層摩訶不思議な風貌にしている。


 だが肝心の『中身』はなく、よくよく見ればそれは戦闘室と繋がっている。つまりこの鎧は、単なる戦闘室の内装でしかないのだ。だが鎧には妙に強い存在感があって、男には『中身』が入っているかのように錯覚した。


 男が鎧に居心地の悪さを感じていると、戦闘室に変化が生じた。男の座る座席から、緑光がピカピカと戦闘室内を駆け巡る。まるで光が男から流れ出していくようだった。それらの光が室内全体に広がると、小型画面の一つに大量の字列が流れる。


『蒐撃機:起動開始:絶対燃料:充填確認:始動回転:進行中』

『ハリアー:認証中……認証中……』


 そして時列の濁流は、二つの項目を最後に停止した。


『ハリアー:認証完了:ヅヱノ』

『蒐撃機:シースターフォート:起動完了:兵装封止:封止状態』


 男――ヅヱノは、自分の名前が表示されたことに驚く。しかし今更かと疑問を捨て置き、右の操縦桿らしきものを握る。握るだけで色んなボタンを押してしまいそうな、幾つもボタンがついたそれをヅヱノはおっかなびっくりに触る。だが兵装封止状態と書いてある通りなら、突然発射するなんて事はないだろうと弄り始める。


「決定キーはトリガーか。で、こっちのボタンで選ぶと」


 ヅヱノは適当に弄って、引金釦と編笠釦に反応があるのを確認する。

 まず引金釦で認証画面を消すと、新たな項目が現れた。

 先端についている編笠釦をぐりぐり動かし、項目を選んでいく。


『弾着選択:選択中:第一階級:ゾグラドグウ、バンバボクス、ギノトオグズ……、……、……』


 風景が幾つも表示され、項目を動かす度に変わる。まるでゲームのステージセレクトみたいだとヅヱノは思った。しかも、どうやらどこを選んでもいいらしい。ヅヱノはどこを選ぶかと迷っていたが、不思議と引き寄せられるように最後の項目へ編笠釦を寄せた。


『弾着選択:選択完了:第一階級:ギオヌブラギ』


 ヅヱノは勘に従って選ぶと、格納庫内にけたたましい警報が鳴り始めた。そしてグオングオンと地鳴りのような音を響かせながら、視界が――ヴェーダーが上方へと持ち上げられていく。


 ヴェーダーを見上げるハーピーの姿が、格納庫の風景が昇降機の向こうに消える。点滅するライトが埋まった壁が下に流れていき、開けた空間が現れた。空間は円筒形で、正面へずっと続いている。


『射出甲板:揚電開始:推力光線:充填完了:射出用意:10……9……』


 まるで光の道が現れるように、光点の列がトンネルの先へと伸びていく。光点は相互に紫電を送受しはじめ、さながらトンネルが稲妻で満たされていくようだった。黒い雷ではない、見慣れた電光の色にヅヱノはちょっと安心した。


 鉄が電磁石で引き寄せられていくように、機体が前へと引っ張られている感じがする。機体のみならずヅヱノの体までもが、細胞の一つ一つが外れて飛んでいきそうな引力を感じる。

 ヅヱノは思わず踏ん張るが、字列画面では数字が呑気に減り続けている。


『……2……1……0:射出開始』


 その瞬間、ヅヱノの全てが正面へと吸い出された。

 暗闇に無数の光が連なったトンネルが穿たれ、その奥へとヅヱノは加速する。

 知覚が遮断されたように鈍化し、思考が脳天のかなたに消える。


 全身の細胞を破裂させるような、凄まじい衝撃と共にヅヱノは『何か』を越えた。

 光を置き去りにする速度の中を進むヴェーダーは、ヲズブヌにヅヱノの意識を僅かに残して消える。超音速飛行機が音の壁を越えたように、ヴェーダーは『世界の壁』を越えたのだ。そうしてヅヱノは、界宙から撃ち出された。


 何かを待つように虚空を見上げたハーピーを残して。

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