第4話

 男は暫く異常な二色の風景を眺めていた。

 現実では考えられない、幻想的な風景に興味がわいたというのもある。

 だが実際は現実逃避のように、その光景を見続けるしか出来なかったともいえる。


 飛び上がった黒雷の一筋が、まるで獲物でも見つけたように鎌首を擡げ、男が覗く窓へと突っ込んできた。男が驚き身を引く前に、黒雷は窓に到達した。


 窓へと直撃した黒雷だが、当然ながら貫通しなかった。

 脚に直撃した時のように、黒い雷は撥ね返されて飛び散っていく。

 だが男は、その光景を食い入るように見ていた。


 何せ窓にぶつかって跳ね返される黒い雷、それはただの色違いのプラズマなどではなかったからだ。窓の向こうを流れていくのは、砕ける赤レンガ、ひしゃげる鉄骨、バラバラのステンドグラス――それらは光り輝くプラズマ体ではなく、意思を持って成形された無数の『物品』だったからだ。


 建物や、食器や、本や、新聞紙や、車や、武器。

 様々な物が、人の営みの痕跡が、土石流のように窓の向こうを流れていく。

 あらゆる物品が一つの流れとなって窓に衝突し、弾き返されていくのだ。


 そして黒い雷は完全に飛び散った。最後に窓にぶつかって、へばりついた物を除いて。それは薄汚れたボロボロのぬいぐるみだった。


 誰かに大事に使い込まれたのか、可愛らしい当て布が体中に縫い付けられている。当て布の範囲は広く、一部はほぼ当て布で覆われている。買い換えた方が良いと一目でわかる程の状態だが、それでも治して使いたいという愛情が感じられた。


 だがそのぬいぐるみは薄汚れ、大事にしてくれたであろう持ち主はどこにもいない。眼窩に結ばれたセルロイドのボタンが、恨めし気に男を見つめている。男はまばたきもしないセルロイドの目に、心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。それもずるりと、窓から滑り落ちていく。


 黒い雷は、見た目と違い雷ではない。

 男が今見たような、無数の、多様な物体の集まりなのだ。

 つまり雲と雲の間を行き来するあの雷や、足下でのたうっている無数の雷も。あれら全てに、数え切れないほどの物が溢れているのだ。


 たまたまあんな形をしていたわけではない。人が作り、使い、慣れ親しんでいたものが、あんな異様な現象の一部となっている。この分厚い窓の向こうでは、そんな異常な現象が当然のように起こっている。

 

 男は急に恐ろしくなり、目を背けた。手足が動けば、すぐさま窓から距離を取っていただろう。その意を汲んだように、ハーピーが男を守るように窓から遠ざけた。更にがつがつと足を慣らして、自分の身体ごと男を窓から離す。


 男が見上げると、彼女はじっと彼を覗き込んでいた。

 男の瞳に不安がないかと確かめるように、緑の星々が男を見る。


「……ぁ、ありがとう」


 思わず男が礼を言うと、ハーピーは嬉しそうに首を押し付けてきた。ハーピーの頬は思いのほか柔らかく、いい匂いもした。言葉の意味は理解できないが、謝意は伝わっている――そんな印象だった。


 しかし、参ったなと男は内心で唸る。外を見たら何かこの施設に関する事が多少なりともわかると思っていた。だがいざ見てみた外の風景は、地球どころか宇宙の隅々まで探してもあるかどうかという世界だ。生身で生存すら困難に見える空間で、巨大な脚を動かしながら進む用途不明な巨大移動構造物の中に男はいる。


 いっそ正気を投げ出したくなるような状況だった。

 だがいつまでもここにいる訳にはいかない。何しろ生きている以上、腹は減るし水だって見つけねばならない。人工的な施設である以上食料が備蓄され、飲料水が用意されている可能性もある。だがもし長らく施設が放置されていたら、長期保存の食料や水さえも駄目になっているかもしれない。


 それに、衛生的な問題もある。風呂に入ったり身体を清めたりできない以前に、排泄物の処理をどうするか。もしトイレのようなものすらなければ、通路に垂れ流す必要すら出てくる。


 先を考えると陰鬱だが、悪いことばかりではない。例えば身体だが、さっきよりも力が入るようになってきた。かじかんだ手にハーピーの体温が馴染んだように、握ったり足を動かしたりできるようになりつつある。


 男は推測どおり、ハーピーとの接触で体が動くようになってきたのだと確信した。何しろ時間経過で動くなら、寝ている間にとっくに兆候が出ていたはずだからだ。だがそうだとすると、また違った問題がでてくる。


 その推測が正しければ、男はハーピーがいて漸く活動できる身体なのだ。そんな男にとって重要なピースたるハーピーは、ずっと男を捜していた。まるで示し合わせたような巡りあわせで存在した。いっそ初めから、そのように両者が生み出されたかのようだ。


 考えすぎかと、男は頭を振る。しかし男がここで生きていくにあたって、彼女は最重要存在だ。理由はわからないが、彼女は男に害意を持っていない。それに男より先に活動していたことから、この施設についての情報を持っている筈だ。


 それに何より、一人ではないという安心感がある。過剰気味なスキンシップにも、男はありがたさすら感じる。彼女のおかげで、ヅヱノは落ち着いて状況に向き合う余裕ができている。彼女がいなければ、不安でパニックを起こしていたかもしれない。


 意思疎通ができたなら、一層状況は好転するはず。情報収集にしても、心を落ち着けるにしても、大きなプラスになる。どうにかしてコミュニケーション手段を見つけ、情報を聞き出せないか。そう男は考えていた。


 考え込む男に、何か働き掛けるでもなく見守るハーピー。

 早くも状況は膠着しつつあったが、進展はすぐに訪れた。

 通路の静寂な空気を、ウシガエルが唸るような警報音が引き裂いたのだ。


「……!」


「お、おい! どうしたんだ!」


 耳朶を刺す大音量に顔を顰めた男は、突然歩き出したハーピーに面食らう。まるでどこかを目指すように、ハーピーの足取りは迷いない。その目的地が、今しがた鳴り響いた警報に関わる場所なのは間違いあるまい。警報で呼び出されていく場所とは何か、男は運ばれながら嫌な予感を募らせていく。


 通路のデザインが変化し始める。

 分厚く巨大な装甲板が目につくようになっていた。

 配線の見苦しさを覆い隠す為ではなく、明らかに強度を求めて設置されたものだ。


 今自分はこの施設の核心部分に近付いているのではないか、と。

 目に見える形での劇的な変化に、ゴクリと男の喉がなった。

 ハーピーの大きい歩幅による移動は、すぐに男が予感したものへと遭遇させる。


 あったのは、金庫のようにいかめしい装甲部品が集った扉だった。

 鋼の巨獣が口を閉じて、侵入者を阻んでいるようにも見える。


 上部のセンサーが、目玉のようにギョロギョロと動き始めた。そして近付いてくる侵入者を睨むように、一斉にレーザーが二者に注がれる。銃のレーザーポインターが集まる様を想起させ、男の心臓がバクバクと震え始める。腕に抱えた男の怯えを感じ取ったのか、ハーピーは光から男を隠すように抱擁を強くする。


 だがハーピーの腕の中で、彼女の腕を貫通して自分の胸に注がれる光を男は見る。何本もの光条が男の全身を切り刻んだ挙句、心臓で次々と止まって行き――最後には全ての光が男の心臓に集まった。


 そして光は消え、ビーッと音を立てて扉は動き始めた。がこがこがことぎこちない作動音を響かせながら扉は開いていき、ボシューッと巨大な空気の塊が流動する。ゆっくりではあるが、確実に扉は開いていく。


 完全開放されるまでには、タップリ数十秒もの時間がかかった。

 巨大な鋼の獣が開けた口からは、ひんやりとした空気が流れ出ている。


「今……俺を認証したのか?」


 奇妙なレーザーは明らかに男の心臓を確認し、その上で扉を開けた。まさか自分の心臓に何か細工されたのかと男は思うが、胸を触っても全く判らない。医者でもない男に手術痕など判りようもないし、ハーピーが何をしているのかと小首を傾げるだけだ。


 答えのヒントがあるとすれば、それは扉の中にあるのだろう。

 意を決して目の前に開かれた暗闇を睨むと、ハーピーがガツガツと前へ歩き始める。

 扉を潜り、晴れていた視界が暗闇へと包まれていく。闇が質量を持ったように、男の身体に重くのしかかる。


 背後で開いていた扉がゆっくりと閉まり始め、男はハーピーと共に闇に埋もれていく。そして扉が完全に閉じると、バツンッと空気が張り裂けるような音が響き、暗闇に光が溢れた。


 男が急な眩しさに目を細めている間にも、バツンバツンバツンと巨大な布を一瞬で裂いたような音が四方八方で聞こえる。その音は次第に遠ざかっていき、遥か遠くで聞こえなくなった。


 漸く明るさに目がなれて、男はゆっくりと前を見た。


「――ッ!!」


 そこには朽ちた獣の頭骨のように、白く巨大な頭があった。

 上と下に並べられている、牙がむき出しにされた巨大な二口。

 頭の左右や上下にも目はなく、地中生物のように視覚を捨て去っている。

 姿形は爬虫類を思わせるが鱗はなく、口が二つ存在する合理的理由も不明だ。


 その頭からは長い首が伸びていて、見上げるほどの巨体へと繋がる。身体には四つの脚が四方に伸びていて、更に背後には尻尾のようなものも見えた。まるで翼のないドラゴン――ワームといった雰囲気だった。


 だがドラゴンというには、白い骨のような体表が男の目を引く。

 白といえば本来清い印象を受けるはずだが、その白さから思い浮かぶものは骨の色だ。それも血の通っている白さではない、皮や肉を引き剥がされて荒野に放置された骨。乾いた空気に水分を奪われて干からび、無慈悲な陽光で焼かれて褪せたような骨の色だ。


 死肉に群がる腐肉食らいや、どんなナマモノも苗床にする蝿すら集ることを拒む、生命の出涸らし。生物が存在したという痕跡だけが残る、命を内側から支えるという意義を失っているなれの果て。


 それらが途方もないほどの年月をかけて積みあがり、残された無念の集合が自らの形を選択したかのような姿。あるいは誰かが、意図してその形へと削り出したかのような――何かの強い執念を感じさせる姿だった。


 巨獣はそこにいるだけで、押し潰されそうな存在感がある。

 だがその割に、生命の鼓動や意思のようなものは感じられない。男達を威嚇したりするどころか、首を動かしすらしない。まるで剥製のように、そこに存在しているだけだ。


「……コイツは一体、なんなんだ?」


 搾り出すような男の声が、虚ろな巨獣の巣で静かに響いた。

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