アルナルドの悪寒 2
「窓を少し開けていいかしら」
「? いいさ、僕が開けるよ」
サラが席を立つより早くその肩を掴むと、引き戻すようにしてアルナルドは席を立つ。
何か見られたくないものでも捨てる気かもしれない。
心でそう思いながら窓を開ける金属製のコック式のそれをぐいっと押しだした。
風圧があり、意外にもそれは力が必要だった。開放するレベルによってミゾが刻み込まれていて、それを最小に設定し、後ろを振り返ると彼に疑惑を持たせたはずの少女は数舜前に見たそのままでそこにいた。
じっと大人しく、良家のお嬢様のように長椅子に深く腰掛けもせず、まだ眠たそうなけだるさをどこかに残してこちらを見上げていた。
悪くない――人選だ。
アルナルドが見つめると、サラはブルネットの髪をおもゆげにいじりながら膝上から手を浮かせていた。
下着にローブを羽織っただけの彼女をそのままに話を続けたのでは、扉の向こうの誰からどんな噂が船内に漏れるかわからないな。
男女の仲にはどんな奇跡も偶然も、信じられないような必然だってやってくることをバーディー中空師とハサウェイ第一王子の件から学んだ殿下は、もう一人の殿下に促すことにした。
自分に忠誠を尽くすこと、良き妻であり続けること、それと――助けたこの恩義は一生かけて返すことを。
多分、自分はそれをさせなければならない。
出来なければ、身の破滅だ――そう思うと、アルナルドはそれでさ、と話を始めた。
「サラ。もういいだろう?」
「ありがとう、アルナルド。気分がね、狭い部屋の中で苦しかったの。まるで息がつまりそうだった。窓の向こうに水平線が見えて船が揺らぐたびに、いつ沈んでしまうかもって思ったわ」
「この船はそうそう沈んだりしないよ。大丈夫かい?」
サラの肩に手を回し、抱きよせるように座り込むと彼女はそれを拒否する素振りは見せなかった。
本音ってこれまでの意見したことはすべて建前で、この少ない日数の中で立て続けに起こった事件から守って欲しいというのがそうなのかもしれない。
一瞬、そんな優位な考えが頭を駆け巡った。
「うん、大丈夫……もうすこししていたいの」
「君がそれでいいなら、構わないよ」
サラはアルナルドの胸に頭を預けると、見えない素顔の内側で同じね、と呆れていた。
どれだけ疑っていても、少し弱みを見せればするりと開いてしまうその心のドアは、まるであの窓の様だとサラは思う。
開けるときは力とコツがいる。
空いてしまえば、固定されてしまったその隙間はどうにでも出入りできる。それを女に対して与えた優しさとか、特権とかだって思うなら大した勘違いだわ、アルナルド、とも思っていた。
「私が必要だって言ってくれないの? 殿下」
そっと余所行きの猫を撫でるような声を出してみる。皇太子の喉が鳴る音が耳に伝わって来た。ついでに心臓もそれまでよりかなり早く、彼の驚きを表しているように早く聞こえて来た。
「言ったじゃないか。必要だってさ……だろ?」
「でもアルナルドは否定しなかったわ。アリズン様と私を同時に大事にできる甲斐性はないって言ったら……ごめんなさい、言葉が過ぎたけど」
「同時には無理だろ、それはロイズでも無理さ、サラ」
「あのろくでなしの王太子殿下の話はしてないわよ、アルナルド」
「サラ。君は話が飛びすぎる……まるで嵐の夜に何回も意味不明な方向から船に打ち付けてくる大波のようだよ」
「そうね……そうかもしれない」
「ああ、だから君はもうすこしこう発言を―――どうした?」
波の打ち付け方にだって法則性があるのに、船乗りはそれを理解して船を動かすのに。
少なくとも次の次くらいは確認してから舵をきるはずだ。
サラはふとそう思った。
いままで隠されてきたような半透明のベールを無理矢理頭からかぶせられて、時々垣間見える向こうにあるのはアルナルドの顔や、手や足だったりその父親の横顔だったりするだけで、自分と侍女に対してこっちだよ、なんて引っ張ってくれるアルナルドの影も形もそこにはなかったじゃない。
彼が自分を必要とか、愛しているとか、こっちに来いとか言いながらあの夜だってそうだ。奪おうと思えば奪えたはずなのに、そうせずに安全な場所から自分を連れ出すチャンスをうかがう素振りも無かった。信頼しているから待っている? 本当にそうだった? じいやは彼なら問題ないなんて一言も言わなかった。
信頼すべきは、自分をよく知る誰かの言葉だったのに――一番の愚か者は私だわ。
アルナルドの胸にぎゅっと顔を押し付けて、それはそのまま胸の豊かなふくらみや女性としてのすべてを預けるような仕草で――少年はようやく来てくれたと喜んでそれを受取ろうとしていた。
「殿下」
「なんだい、僕のサラ」
「王国にいる十年間で必要な地盤を作れなかったから……私を利用したわね、アルナルド?」
「っ……!?」
それはアルナルドが一番知られたくない汚点そのものを見事に言い当てていた。
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