サラの逆襲 1

「王国に戻ってくれないか、サラ」

「……何を言い出すの、アルナルド……。 荷物が重たくて背負えないからと放り出すつもりなの? それならどうして最初から……」


 飲んでいた紅茶をゲフっと吐き出しそうになり、サラは思わず顔をあげた。そんな裏取引が成されていたのなら、ここに彼がやってきたことは最後の宣告?

 決定事項でなら、逆らったら海の藻屑とされてしまうのではないか。そんなことさえ、一瞬脳裏をよぎってしまう。


「最後まで話を聞かないで答えを導こうとするのは愚か者のすることだよ、サラ」


 アルナルドはサラの心の底から這いあがって来る恐怖を知ってか知らずか、ほう、とため息を一つついた。

彼の手には白磁のカップがあり、その飲み口は朱色に彩られているものだった。

 まるで木の上に追い詰めた獲物を、足元の太い幹にからだをまきつけて、シュルシュルと細長く赤い舌を出し入れしながら狙っている大蛇ににらまれている。そんな光景をついついサラは脳裏に思い浮かべていた。

 それ以外にどんな想像をしろっていうのかしら。

 のんびりと紅茶を味わい、菓子類を上品な作法で食べていく彼の余裕がいまとなっては、死神の鎌がゆっくりと迫り喉元への距離をそっと気づかない間に縮めていそうで、サラは身動きが出来ない。

 まるで蛇ににらまれたカエルではないが、そんな感じに固まってしまって動けなかった。


「では、どうぞ皇太子殿下」


 逃げても後ろはもう、ない。あるとすればあのサラ一人がどうにか抜けれそうな窓だけど、そこを開けて向こう側に堕ちる――冷たい海に身を浸すまえにアルナルドに制止されるだろうし……いつになっても愛した人ははっきりとしてくれない。

 ここはつきあうしかないわ。意を決してサラはアルナルドを促した。


「ありがとう、皇女殿下」

「皇女? 私は単なる帝位継承権を持つ王国籍の女よ?」

「便宜上はそういうことになるんだよ、サラ」

「便宜上って。それならまるで王国で養女にしたレイニーやその子供まで皇族に関わってもいい、そう言っているようにも聞こえるのは――気のせい?」


 アルナルドの肩眉がピクン、と跳ねた。

 正解なんだ?

 十年近い時間を家族のようにして過ごしてきた黒髪の皇太子殿下。

 貴方の知らない癖を、サラはまだまだ知っているんですよ?

 貴方が初めて恋したあの子に会うたび、まるで飼い犬のようにその片手で後ろ髪を触る癖だって私は知っている。  

 この部屋に入って来たときも昨夜もそう。

 貴方がすでに知っていてそれを利用してないなら……私はアルナルドのことだけを想いたいのに、理解していますか、皇太子殿下。サラの、王国と家族と婚約者まで捨てて貴方に尽くしたい、そばでずっといたいって願ったことを、知ってるのアルナルド。その心を貴方が利用しようとしていることも……。


「私が皇女として戻り、レイニーとその子供を利用して王族を支配すればいいのね。多分、ハサウェイなんておまけが側にずっと寄り添ってくることになると思うけど」

 アルナルドの笑顔が一層、渋みを増したようにサラには見えた。

「ついでに、ロイズなんて大きな子供が一人増えるわけですか、殿下?」


 そこまでうまくいくだろうか?

 その前に、王家の反乱を受けて一族皆殺し。そんな未来しかサラには見えなかった。

 帝国から一番遠い王国。

 そんな場所に兵を派遣しようとしても、他の十三の王家が待ったをかけるだろう。

 なぜかって?

 サラは自分の考えに答えるようにアルナルド以上のため息をついた。


 ラフトクラン王国はアルナルドの婚約者であるアリズン皇女の母国、エルムド帝国とサラたちが属するクロノアイズ帝国のほぼ中間に位置するからだ。

 エルムドにしても、クロノアイズにしてもどちらかが兵をだせば、それだけで戦争が勃発する。ラフトクラン王国は平和な時間を失うだろう。双方の兵が国内を蹂躙し、数年とたたずにいまの王家は消えることになる。ついでに勝つのは――西と東の大陸を支配するエルムド帝国に他ならない。クロノアイズ帝国は所詮、田舎の一国家。中央の巨大勢力の敵ではないからだ。


「ラフトクラン王家が好き勝手にしてこられたのも、エルムド帝国の脅威があればこそ、だからね。皇帝陛下はそれをお嫌いなのさ、サラ」

「アルナルド様、結論をどうぞ」


 もうその秘密にことを運ぼうとするやり方にはつきあいきれないわ、とサラは嫌味のように彼のティーカップに紅茶を注いでやりながら続きを促した。

 アルナルドはひやりと寒気を感じたような仕草をしたあと微笑んで会話を続ける。これ以上本題を先延ばしにして焦らしたら、サラはその手に持っている熱湯を自分にぶちまけそうな気がしたからだ。


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