アルナルドの告白

 翌朝。

 アルナルド自身が神妙な面持ちでサラの船室を訪ねてきたことを知り、サラはなるべく侍女の手を借りずに一般人に近づこうと自身で梳かしていたいたヘアブラシの手を止めてしまう。

 彼がそういう行動を自分から取るなんて、意外だったからぽかんとしてしまう。

 すると、アイラにへえ、とほほ笑まれる失態をおかしてしまったとちょっとだけ不機嫌になるが、心にはうれしいものが沸き上がるのを感じて、自分でも意外だとサラは思った。


「お通ししますか、お嬢様?」


 意地悪そうにほくそ笑むアイラは片頬を上げてそう問いかける。

 サラはまだ部屋着だし、かといって室内に入れなければ皇太子殿下に対して無礼に当たる。

 おまけに昨夜、内縁の妻なんて名乗ったものだからここで彼を追い返すわけにもいかない。


「いいわ、お通しして下さい、アイラさん」

「……さん……?」


 後から恐ろしい折檻でも待っているのではないかと、赤毛を馬の尾のように結い上げたそれを揺らしながら、アイラは入り口の扉へと向かった。


「やあ、おはよう」

「殿下、おはようございます」


 一夜明けて、アルナルドはまだ睡眠をとる余裕がなかったらしい。

 アイラにご苦労と告げると、サラの言う『内縁の妻』の待つ奥の部屋へと向かった。

 リビングからつながる寝室兼客間のそこで、サラは部屋着の上から薄茶色のローブを羽織り、彼を出迎える。その仕草は学院で王太子妃補として受けた教育の賜物か、こんな軍船には似つかわしくない優雅なものだった。


 彼女はたしかに王太子妃だったんだな。

 その認識を新たなものにすると、アルナルドも帝国貴族にふさわしい所作で奥のソファーに座ると足を組んでくつろぐ姿勢を見せた。


「昨夜のように、隣ではないんだね、サラ」

「あれは皆様への周知も兼ねたものだから。貴方の側なんて恐れ多くて座れないわよ、アルナルド」

「内縁の妻なのに?」


 昨日のあの賢妻ぶりはどこに行ったのやら。アルナルドがサラに垣間見た、時には陰謀も辞さない彼女はどこかに姿を隠してしまっていた。


「やめてよ、殿下。ロイズだけでも面倒だったのに、第一王子なんてお呼びじゃなかっただけだから。貴方も利用でいてよかったでしょう?」

「サラ? 僕は利用とか陰謀とかそういうことに君に才覚を発して欲しくはないんだけど」


 エイルが用意した朝食を急遽変更し、あらかじめ用意していた紅茶と食堂から取り寄せた菓子類にしたものをサラは、手づからそれをアルナルドに振る舞っていた。

 ここでは彼が主だということを、後から入って来た二名の士官――たぶん、空師と呼ばれる特殊部隊だろう――に示すために。どこで誰が皇帝陛下に報告をするかも分からない。

 サラなりの心を砕いたやり方だった。


「殿下、それはもう……こんな朝からなさる会話でもないと思いますけど。見たところお疲れのご様子ですけど、きちんとお休みは?」

「難しいね。ハサウェイは王国に更迭となった。くらいは君に伝えられるけど、そこからは難しい。色々とね」

「もうその件についてはお任せします。つまり寝ていないのね」

「こんな船団でも率いる主になれば、それなりに仕事はあるんだ。ところで朝いちばんから済まないけど――話がある」


 膝上に両手を組んで身を前に乗り出す仕草……これは彼が本心を伝えるときの癖だったかしら。

 サラは王国時代の記憶からそれを思い出すと、彼らは? とアルナルドの部下を見た。

 エイルやアイラも他の部屋に退室させる必要があるの、とそんな確認だった。アルナルドは視線で部下たちに退室を促す。侍女たちもそれに従い、久しぶりの二人きりの空間がそこに訪れた。


 サラは数時間前まではあんなに勇ましかったのに、いざ、夫と呼んだ男性を目の前にすると持ち前の人見知りというか、強く出ることができない自分が顔を見せてしまい、それを隠すためにカップの中身を啜っていた。

 話題を切り出すなら早くしてほしい。そんな沈黙を破るかのように、アルナルドはそれでね、と話出した。


「あれ、どこまで本気なんだい、サラ。今更、再確認することでもないんだけどさ……父上はちょっと面白くなさそうだ」

「皇帝陛下が……そう」

「僕の正妻はアリズン。それは譲る気が父上にはないらしい。それはすまないと思っている。誘ったのは僕だから」

「匿って頂いている身だもの。そこは貴方の責任ではないでしょうし、責めれないわ。指輪だって戻せと言われればそうするつもりだし」

「え? でも君は昨夜、妻だと」

「そうね。そうだけど、政略結婚はもう嫌なの。それなら、どこかで降ろして下さい。お金はどうにかするし、侍女たちと生きていく方法を探します」


 はあ、とアルナルドは大きなため息をつく。

 癖のある黒髪をわしわしと手でかいて困った仕草をしていた。


「君はこの帝国の領内ではまだ、そう。まだ罪人の扱いなんだよ、サラ? ハサウェイの件もあるし、どこに行くつもりさ。僕の庇護下から外れたら生きていける見込みはないんだよ?」

 

 現実を見せつけることも辞さないアルナルドは、逃げ場を塞ぐようにサラにそれを突き付けた。                   

 サラはそれでも、と言い募ろうとして、肩を大きく落としてしまう。

 自分の好きにしたい生き方が通る状況ではないと内心では理解しているからだった。


「なら、貴方は私をどうしたいの、アルナルド。陛下の言いつけにしたがってどこかの誰かに下賜するの? いいえ……まだ、貴方との関係は婚約者。それも内縁のものだものね。どうでにだって、貴方は理由をつけれるわ」

「そうだね。ま、それで話があるんだ」

「どういうこと?」 


 アルナルドが次に告げた言葉を聞いて、サラは思わずその手に持っていたティーカップを投げつけそうになった。          

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