ハルベリー家の女


 普段、自分で開け閉めすることの無いその扉は、予想外の重さだった。

 あとから知ったが、沈没時や嵐の時などに海水の侵入を阻んだり、ある程度の水圧まで潜っても耐えれるように作られた耐圧設計のそれは、ガラスの重さなども含めてそれなりの重量があるのだという。

 

「うっぬ……何これ?」


 確か押していたはずだと思いながら、取っ手を回して足を踏み込むがまったく動く気配はない。

 どうなってるのよ、とサラが数度の試行の結果うめいても反応がない。

 どうしようかしらと悩んでいたら、それはあちら側からあっさりと開いてしまった。


「ひゃっ!? なんで!?」

「……何をなされているのですか、お嬢様? 運動でも……?」


 これは内側に押し開いていたのね。

 サラは再発見し、向こう側からは床に座り込んだ主人を見下ろすアイラが黒目をしばたかせていた。


「何でもないわよ」

「大丈夫ですか?」

「何でもないったら!」

「お呼びならベルがありますが……」

「知っています! 何度鳴らしても来ない貴方が悪いの!!」


 アイラの差し出された手を借りたら、女性のものとは思えない力で引き上げられてサラは唖然とする。

 侍女の指摘が気に入らず、つい嘘を叫んだ自分を心のどこかで恥じていた。


「……鳴りました? それは申し訳ございません」

「鳴った、わよ。多分……」

「気づきませんでした」

「通路で話に花が咲いていたのではなくて?」

「そんなことは――ありませんよ、多分」

「嘘言いなさい」

「でも……」


 扉の開け閉めにサラが格闘している最中、確かにアイラと警護士官たちとの楽し気な会話はサラの耳に流れてきていた。

 それは嘘ではないから、アイラが嘘つきだと叱責もできる。

 しかし、サラの呼んでない鳴らしていない呼び鈴の音については――アイラは鳴りましたかねえ?

 なんて二名いた扉の守り人たちに確認するのだ。

 廊下の向こう側に立ち、扉を見つめる形で待機するアイラの耳に届かなければいけないそれは、もちろん、彼女たちも聞こえていなければならない。

 それが仕事だからだ。


「あ、いえ――」

「確かに、鳴ったかのような気は……」


 二人の士官――まだ若い、二十歳未満の水兵の制服に身をつつみ、帽子をかぶった少女たちは困ったように顔を見合わせていた。

 鳴ったと言えば嘘になる。鳴らなかったと言えば、サラが嘘をついていることになる。

 ここはうまい逃げ道を探す必要があると二人は判断したようだった。


「どうなの? 聞こえたの、聞こえなかったの?」


 サラが腰に手をあててはっきりとしなさいと詰め寄ると、二人は再度困ったように顔を見合わせて口を開いた。


「殿下、申し訳ございません」

「殿下……サラ様。申し訳ございません、自分たちには聞こえませんでした」


 正直はどこまでも正義を好むらしい。

 サラはもうすこし柔軟にやってくれればこの侍女にお仕置きができたのに。

 そう聞こえそうなほどの声で言うと、二人はああ、と何気なくうなづいていた。


「いいわ、鳴らしていないから。お前たちには責任はありません。ところで、アイラ?」

「ひゃい!? ……何か……」


 サラから怖い目を投げつけられた侍女は哀れだ。

 さっきまでの陽気さはどこにいったのか、小さくなってそこいらの、倉庫に収まりきらないために臨時で置かれている、腰辺りまでありそうな樽の影にでも隠れてしまいそうだった。


「あなたは話が別よ」

「そんなあー」

「話があります。ついでに貴方たちにも」


 二人の女性士官がびくりと肩をすくめ、顔を見合わせてサラを見た。

 まさか、おしゃべりの叱責を受けるのだろうかと、そんな顔だった。


「何人でここを警護しているの?」

「は? あ、はい……自分たちを含めて五名で……」

「そう。ではこの艦にハルベリー家の者は何名?」

「ハルベリー家の……? 何名だ?」

「何名って、それは二人しか――」


 なるほど、二名もいるのね。

 これはどちらから言い出した提案なのか、その階級によっても変わってきそうね。

 サラはそれを聞いてそんなことを考えると、次に問うのはこれしかないと口を開いた。


「誰と、誰? 所属は?」

「その――、ここを今夜にでも担当する、リンネ・ハルベリー二等水兵と……」

「……と?」

「バーディー・ハルベリー……中級師が、そうです。殿下」

「中級師とは?」


 初めて耳にする名前だった。

 これでもサラは王太子妃候補として二年に近い宮廷文化や作法を学んできた経歴がある。

 そこには礼儀作法や学院卒業程度の教育以外にも、各役職の持つ権限などについても学ぶ機会があった。

 しかし、中級師とは?

 それに答えたのは、もう片方の女性士官だった。


「海兵でありながら、独立した遊撃部隊があります、殿下。一般はもちろん、公職にあずかる方々でもその存在を知らされていない――特別任務に当たる、専門兵の集まりの中での役職です。できれば、御内密に……」

「そんなものがあるのね。まあ、いいけどその職位はどの程度のものに相当するの?」

「そうですね、兵曹長程度には?」

「兵曹長? つまり下士官の将校のまとめ役と言うこと?」

「いうなれば、その通りです。ただ、いまは――」

「アルナルド専属? かしら。皇族の護衛を近衛騎士がしないというのも変な話ね?」

「……」


 どうやらそこには言えない事情があるらしい。

 特殊部隊を引き連れて、アルナルドは何をするつもりかしら?

 サラは不思議そうに首を傾げると、その二名を呼びなさいと彼女たちに命じたのだった。

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