酒と空路と元子爵令嬢 3
侍女が楽し気にかたるのをみて、サラはこころに何か不満を感じていた。
主人の私はこんなに狭い場所に閉じこもって過ごしているのに、どうしてこの子はこんなに楽しめるのだろう。
それは自分が選んだことの結果だと理解はしていたが、心は晴れ止まない。
「それでですね、ハルベリー家は――」
「もういいわ!」
「え、あの……」
「料理を下げなさい。そのおしゃべりもしばらく聞きたくない!」
少し不機嫌が過ぎたかもしれない。
手にしていたワインのボトルを勢いよく置いたため、テーブルが鈍い音を立てて揺れてしまった。
「ひぇつ!?」
料理の陶器皿がカチャンと不協音を奏でる。
それを聞いて跳ねたのはアイラの心だけでなく、サラの心も同じだった。
「しゃべりすぎよ、アイラ。下げなさい」
それを耳にしたアイラの顔は曇ってしまい、彼女は無言で皿を片付け始めた。
主人の機嫌を損ねて黙っているなんて。
サラの不機嫌はもう一段階上にあがってしまった。
つい、脳裏に浮かんできた不安が口を突いて出てしまう。
「アイラ、貴方は私をここから追い出したいの?」
「そんなっ。そんなことはありません、お嬢様」
アイラは主人のためにと思ってこの話を持ってきたのだろう。
でも、それを受け入れるだけの余裕は、いまのサラにはなかった。
「それならこんな問題になるような話をしないで」
「はい、お嬢様。気を付けます」
いつもはピンっと張っている両肩が、いまはどことなく落ち込んでいるように見える。
何か声をかけなくちゃ、違う別のことを言わないと。
そう思うが咄嗟にかける言葉が思いつかない。
自分は主人だというプライドが、そこはかとなくサラの思考を遮っていた。
「ええ、そうね。ああ、そのワインは置いていきなさい」
「え? あ、はい……」
その一言を背に、アイラは挨拶もそこそこに部屋から出て行った。
サラは奥の部屋にもどると、あのワインを手にしたままベッドにたどり着いた。
全身から違らが抜けた。
ワインボトルがぽんっと中空に跳ねて、シーツの海に落下する。
続いて、大きな青い鯨が空にジャンプし、同じように落下したが海中に潜り込むのは止めたようだった。
「狭い天井……」
鉄のパイプ、銀色の伝声管、そういうのはここには見えない。
見えない割に、天板は深い飴色のような建材だ。
年季を感じさせるそこにはまるで誰かの苦悩をしめすかのように、細やかなしわ――年輪が刻まれていた。
「まるで私の愚かな悩み……みたい。小さいものが大きくなって、また小さく波のように戻っていく」
アルナルドは――好きよ。王国の港でじっと私を見守っていた。手づから船内に招いてくれた、深夜とはいえ、誰かに見られてしまうかもしれないのに。出港次期も一週間ほどは延ばしたはず。いや、延ばさせたのよね、私が。
「私って、とんでもない我がままな女にしか思えない。復讐を終わらせて満足している、こんな女のどこを好きだとアルナルドは言ってるんだろう」
愛していると言われても実感が沸かないのはなぜだろう。
彼の想いはそこにあるようで、うっすらと待っているような。そんな愛情にしか見えない。
あーあ……、どこまでもめんどくさい女。
両腕を大きく広げたら、どこかに移動していたボトルの冷たさが指先を驚かせた。
まだ中身のあるそれを仰向けになったまま掲げたら深緑のガラスと天井の飴色と、ガス灯りの鈍い光が外からの陽光と重なって別の世界のようないろどりがそこに出現する。
それはまるであの出港の夜の港の出会いをそのままここに再現したかのようで、サラは自分がアルナルトを待たせたことで何が変わったんだろうと別の視点から物事を見始めていた。
「予定からの遅れ、婚約者との出会う日も遅れたはずだし、帝国への戻る日数も……あれ、なんだろう? 予定を遅らせてしまうとアルナルドは……?」
帝位継承権はあったはず。
皇帝陛下の許可を得て私を迎えるために王国に残り、乗船まで許可した。
ただの女にはそうはしない。帝位継承権は私にもあるし、陛下からしても縁戚関係には当たる。とはいえ、ああそうか。
それで――航路から空路なんだ。
波が荒いとかそんなことは問題じゃない。
この船に乗船している他の誰かたち、もしくはアルナルドそのものが予定より遅れての帰国を許されていないのかも。
その中で私に興味を抱いた誰かが、これをもたらした?
このワインを?
新しい何かを伝えようとして……?
サラははっとなり、しかし、緩やかに上半身を起こした。
慌てても仕方がない。いまは相手も同じ状況でいるのだから。
「言い過ぎたかもしれないけど、アイラにいはもう一役買わせてあげようかしら」
自分が考えているよりも、状況は追い詰められているのかもしれない。
サラは通路で扉を警護する士官たちとは別に黙って自分の命令を待っているはずの侍女を呼ぼうと思い、机の上にあるベルを鳴らそうとするが――ふと、それを止めてしまう。
会いたい女性士官ね。
面白いわ。
そう思いなおすと、自分で侍女を呼びに通路へとむかった。
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