笑顔を
アルナルドは思った。
僕はサラの扱いを間違えている、と。
この場で、船上で彼女に持って欲しいものはそんな冷たそうな、悲し気な笑顔じゃない。
自分のことを思って身を引こうとする潔さは素晴らしいものだけど、それはいま必要じゃないだろ。
彼はそう言いたいのをどう伝えようかと迷っていた。
「君を監禁するべきだったのかもしれない。こんな船の上じゃなくて、あの夜に……」
「アルナルド!」
サラの一声で吐き出したい思いをアルナルドは抑え込む。
一番都合よく生きているのはサラではなくて、自分自身だと理解したから。
「ねえ、サラ?」
「なあに? 貴方がそういうふうに問いかけるように話すときって、いつも本音を隠している時よね?」
「あのねー、いつもそうだと思わないで欲しいな。僕にだって素直になるときはあるんだよ? どうしてそう信用はないかな」
「だって、いつもそうだもの。貴方はそう、いつも……そうだわ」
「ああ、もう! そんなことじゃないよ。僕はどうすれば君が心穏やかに過ごしてくれるかとそう思ってさー」
それは――無理じゃないかしら?
サラはそう思った。
自分はこの二週間ほどで誰よりも大人びた気がする。
自分でもそう思うし、やったこともその程度も……まともな人間なら手を染めないようなことばかりだ。
アルナルドはレイニーを牢獄に閉じ込めていると聞いたら、それを知ったらなんて思うだろうか?
そんなことまで、サラは考えてしまった。
「監禁するなら、二度と手放さないようにするべきね、アルナルド?」
「まだ手に入った気がしていないよ」
「今、その気になれば手にできるんじゃないの、皇太子殿下?」
「からかってる? お酒が混じるとそんなふうになったかな、君……」
からかう?
どうだろうか。からかうというより、許しが欲しかった。
両親と家人とレイニー。その無実の子供も人生まで自分は弄んだから。
ある意味、曾祖母よりも酷い女かもしれない。丸い防水窓から映り込む、そとの闇間の景色がそのまま自分の暗雲が立ち込めた心を映し出しているようで、どうにも不安だった。
「からかってないけど。怒ってるかも……少しだけ」
サラが自分に向けた視線を受け止めて、アルナルドはその理由に思い至った。
不用意に話すべきじゃなかった。
彼女の何でも受け止める、そんな雰囲気に流されてしまった自分を悔やんでも、もう遅い。
女性と話すときは、他の女性のことを話題に出すべきじゃない。その原則をアルナルドは守れなかった。
「もしかして、アリズンのことを言ってる?」
「もしかしなくても、アリズン様の。皇女殿下のことを言ってるわ」
「君が断れと言うなら――」
「出来ないでしょ?」
「サラー!? どうしてそう僕を困らせるのさ!」
そう言う同い年少年の困った顔が、サラにはとても懐かしくて自分にそれを向けてくれるこの瞬間だけでも嬉しくて、誰にも譲りたくない。
そう思ってしまうから不思議だった。
私、ずっと貴方を大好きでいたのよ、皇太子殿下?
でも結婚が決まっている相手から奪い取るなんて、また同じような苦しむ誰かを作ることになるじゃない。
ただ、抱き締めて欲しいのになあ。
心で願うその想いはもし届いたとしても、実行して欲しくはない。
矛盾しているけど、そう思ってしまう。
素直になれない自分に苛立ちを感じるけど、それが満たされた時にまともな関係をアルナルドと築いていられるだろうか? もしかしたら薄汚い思いを寄せ付けるなと拒否されてしまうかもしれない。
サラの心は自分でも気づかないうちに、疲れ果ててしまっていた。
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。僕が言い出したことだ」
「違うの」
「そっか。違うのか」
アルナルドは親友――いや、今では自分を追いかけて来てくれた女性の変化を読み取っていた。
彼女の安らぎになることをしてあげたいのに、それが裏目にでるのは頭を悩ませるが……これも、自分が蒔いた種だと思えばどうにでも乗り切れる。
いまはサラを安心させる時だ。
何をすればいい? そんなことは分かりきっている。
ただ、それをしようとすればサラは敏感に感じ取って肩を狭めてしまうのだ。
怯えた仔猫のように。
どうしようかなと手元のグラスを口元に傾けながら、アルナルドは思案する。
「あのね、怒らない?」
「内容にもよるかな?」
「そう……」
「こっちに来て話さない?」
アルナルドはポンポンと自分が座る長椅子のスペースを開けるとそこを叩いてサラを呼び込んでみる。
その誘いに乗るべきかどうしようかとサラは横目でアルナルドをじっと見つめて、考えていた。彼が受け入れてくれるかどうかと言えば、そんなことは言うまでもなく分かっている。
問題は――自分が彼の婚約者に対して恥ずかしい行いとしないで済むかどうか。
そこだけに不安があった。
「襲ったら、あの窓から身投げするからね?」
「その前に壁際に飾ってある斧で殺されそうだから、遠慮しておくよ」
酷い人。
そんな目で見ていたなんて。
そう嫌味を言い、ようやくアルナルドの隣に座れたのは、話初めてから二時間ほど経過した深夜だった。
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