約束
サラはアルナルドとの間に一人分ほどのスペースを空けて長椅子の端に座り込む。
アルナルドもそれを見て距離を置くべきだと思ったのか、真逆の方へとまるで詰めるようにして座りなおした。
この微妙な空気をどうもっていくべきだろう。アルナルドがそう考えたとき、サラは長椅子の手すりに身を預けるようにして崩れてしまっていた。
「……僕、戻ろうか?」
ふと、自信なさげなアルナルドはそう言うと席を立とうとしていた。
「何よもう、疲れたの。そう、貴方に気を遣うの、たった二週間で昔の友人のときの様に話せなくなるのも、私だってお会いしたことの無い皇女殿下に申し訳ないと思ってしまうのも、全部! 疲れたの」
「ごめん……話すべきじゃなかった……」
「そうじゃなくて! もうーどういえばいいのかわからないわ。ロイズの時はずっと自分を殺してたの、何か言えば殴られた。貴方は友人だったし、それを言えば必ずロイズの元に走っただろうし。こうして二人きりになれたら、今度は愛を語ってくれているけど、アルナルドの側には見えないけど大事な女性がまっているのが良く分かるの。それを邪魔して、そんなことしたらレイニーと同じじゃない! 私は色んなものを利用してここにいるのに、更にまだ貴方を利用しろって? そんな提案、ひどすぎるわよ」
「いやあの、待ってくれないか? そんなひどい提案だったなら、受け入れてくれなくても――」
「違うの!」
だから何が違うのさ?
肝心の主語がない会話は女性にはよくあることだ。
特に口論になったり、感覚で理論を打破する女性には男の話し方は通用しない。
黙って相手を受け入れることも男の器量のうちだ。
その一言が思い出される。発言者があのロイズでなければ――今頃、アルナルドは胸中で拍手を送っていただろう。
「そっか。違うんだね」
「そう、違うのよ。貴方のせいじゃないの。私が自分で選んでいることが最低だって、そう思うのよ」
「でもサラ。過去を振り返っても君がした決断は消えない……あれ?」
アルナルドはこう続けるつもりだった。
だから僕がそれをすべて引き受けるよ、と。
しかし、サラにしてみれば今ここにいる唯一の理解者にお前がすべてわるいんだ。そう断定されたようなものだった。
例えそれが真実だったとしても、いいやそうではないけれど。
もうすこし落ち着いてからそう言って欲しかった。
そう思うとサラの心はすっと引っ込んでしまう。ロイズの暴力が振るわれる度に逃げ込んでいた心の奥底に、誰にも覗き込まれることのない自分だけのスペースに。
そこでじっと膝を抱えただ嵐が過ぎ去るのを待つようにして、この二年間をサラは過ごして来たのだ。
「……ごめんなさい。貴方の好きにしていいわ」
「なっ……?!」
アルナルドにまでこう言われるならもうどうでもいい。
彼に助けられた自身だ。後はアルナルドに任せよう。捧げてもいい。
ただ、連れてきた侍女たちには何か不都合があれば申し訳ない。
そう思いやる心があるだけ、まだサラは人として捨ててはいけない何かを持ち合わせているのかもしれなかった。
「何も逆らわないから。後はアルナルド、貴方が裁いてくれればそれでいいわ」
「それは――違うだろ、サラ」
「どう違うの? 私がやったことは醜悪な復讐じゃない。ざまあみろなんて物語の中では爽快に描かれる物事の結末がこれじゃない。罰を受けなければならない現実から逃れてまで生き恥を晒したいなんて思わない」
「生き恥……か。そりゃそうかもしれないけど、それなら――それなら君はロイズの目に見えるところで自害して果てたはずだ。それほどに屈辱で、自分の誇りだけを守っていたいならそうしただろ。僕ならそうするよ」
「だって!」
ああ、待ってくれ。
そう言うようにアルナルドは叫ぼうとするサラを制した。
抱きしめたわけでも、キスをしたわけでもない。ただ友人として片手を突き出しただけだった。
それでも十分なはずだった。そこに十年近い二人の友情が生きているなら。サラには届くはずだ。
アルナルドはそう思い、片手を挙げた。
「いいかい? 落ち着いた?」
「……多分。何をしたいの? アルナルド……」
ふう。どうやらサラの中にあった彼女を知る人間としての歴史。
信頼に値するそれはロイズの恐怖よりは少しでも、多かったらしい。
口を止めてアルナルドを見つめるサラの瞳には、最初の頃のような自暴自棄な色は見えなかった。
「ロイズの暴力を止められなくて済まなかった。知ってはいたんだ……でも、友人と婚約者じゃ立場が違う。救えなくてすまなかった。まず、それが一つ」
「そんな、貴方は別に悪くない……まだ、あるんだ?」
アルナルドはうなづくと話を続けた。
「まだある、あと二つほど」
「聞くわ、教えてください」
「そうだ、ね……ロイズの前で死ななかったのは君が命を惜しんだからじゃない。あいつにそこまでするだけの価値を君は感じなかった。それだけだ。だから、まだ生きていていいんだ。僕はそう思う。それと……」
「それと?」
「この場所、長椅子に誘ったのは恋人とか、君を欲しいとか。そういうつもりじゃない。ただ、昔のように話せないか、そう思ったからだ。サラ、君が言うとおりだ。アリズンを差し置いて僕が君を得れば、それはロイズが君にしたようなことを繰り返すだけだ。だから――そう、だね。だから、一度。……友人に戻ろう。君の安全は僕が、帝国皇太子たるこのアルナルドが保証する。家族として、知人として、友人として」
だから頼む。もう死ぬなんてことを言わないでくれ。
アルナルドはそうサラに告げると、ロイズから救えなくて済まなかった。
そう言い、頭を下げたのだった。
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