婚約破棄 


 しかし、ロイズという男には保身の二文字しかないのか? 

 次に出て来た言葉にサラは首をかしげる。


「私とレイニーの間にはそんなことはない。これまで一度も、そんな関係になったこともなかった。これは神に誓ってもいい。真実だ」

「そう……。それが真実だとして貴方、自分のことだけしかお考えにならないのですか、殿下?」


 ふと漏れたその一言を聞いて、失笑したのは近衛騎士たちだった。

 仮面のように表情を隠した彼らでさえ、人間の心を持ち合わせているのだろう。

 ロイズはその笑いの意味が分からず、近衛騎士たちをにらみつけるだけだった。


「保身などと、失礼な!? 私はただ、正しいことを述べているだけだ」

「正しいこと? ですか……?」

「そう、正しいことだ、サラ。王の定めた法律と、貴族の従うべき習慣。それこそが正しい世界の在り処ただ」


 ああ……そうか。

 何となくサラはどうしてロイズは二人の兄を押しのけて王位継承権を与えられたか理解したような気がした。

 国王はこの――彼の中にある正義という名の暴力の姿。

 世間知らずのまま、その論理の暴力を奮える点を買ったのだろう。

 いつかそれは、悲しみと憎しみの連鎖を産むとも知らずに。


「そう……。では、殿下にお伺いします。レイニーを助けたいですか?」

「何? ……サラ、君の提案の意図が全く理解できない。だが……あれを知る者としてはそうだな……」


 ロイズは頭を振り、数分熟考する。

 彼の判断力は決して悪くない。ただ、それが貴族や王族といった特権階級の優位性を保護するものに生かされているだけなのだ。

 その数分間をせめて半分でも私に向けてくれていれば……貴方への愛も妻なるべき女としての夫への忠誠心も失うことはなかったのに。

 サラはそう心でぼやき、白い目で考え込む王太子を見つめていた。


「どうなさいますか、殿下?」

「そう、だな。助けたいという思いはある。しかし、それは敵わないだろう? どこの誰とも知れない男の子供を宿すなどと、貴族にあるまじき振る舞いだ。陛下に届かなくても、父親であるラグラージ侯爵閣下は許さないはずだ」

「でも、助けたいとも思われるのですね。その心を私だけに向けて欲しかった……」

「サラ、まだそれは可能だ!」

「いいえ、殿下。もう可能ではありません」

「それを決めるのは――」


 サラは静かに首を振る。

 それは彼女が初めて起こした、ロイズへの拒否かもしれなかった。


「殿下、私はもう疲れました。この傷がその返事だとご理解下さい。でも、気持ちに応えられない代わりに貴方の大事な女性を救って差し上げます」

「まさか……君は……捨てるというのか? 王太子妃の座を? 信じられん……」


 サラはにこりと微笑むとロイズに申し訳ございません、と頭を下げた。

 その代わりに、レイニーの自由を保障すると約束をして。


「一つ大きな疑問がある」

「何でしょうか、殿下」

「私と君の個人的な婚約が消えても、家のそれは消えない。どうするつもりだ? 果たせなければ陛下はお怒りになるぞ。いかに王族の端にいるとはいえ、子爵家に被害が及ぶはずだ」

「殿下? 何かお忘れではないですか?」

「どういうことだ……?」

「御心配なく。私は王太子妃の座を捨てるつもりも、止めるつもりもありませんよ」

「何? さっきと言い分が違うではないか!?」

「ですから、殿下に抱かれるのは嫌だと申しております」


 ここまで説明して初めてロイズの顔に衝撃が走った。

 サラはようやく気付きましたか、そう円満の笑みを浮かべてやる。

 自分の復讐はここから始まるのですよ、そんなさっぱりとした顔だった。


「お前、まさか。王家に他所の血筋を入れるつもりか!?」

「まさか。そんなことは致しません。殿下はレイニーを抱けば宜しいではないですか。我が家の、子爵家の後継ぎとして彼女が今孕んでいる子供を頂きたい、そう申しております」


 ロイズは奇妙なモノを見ている顔になっていた。

 サラは妻にはなるが、抱かれたくはないという。

 その代わりに、子爵家にレイニーの子供を受け入れ……。


「つまり、王家と子爵家の結婚はまさか」

「はい、私は王宮に入りますがどこか、離宮にでも置いて頂ければそれで満足です。子爵家には後継ぎができますし、レイニーは殿下のその腕の中に――合法的に手にすることも可能です」

「なるほど……仮面夫婦というわけか。それで満足だと? あれを側妃にするかもしれんぞ?」

「殿下のお好きなように。これでもまだ、私を頭の足りない愚かな女だと申されますか? 殿下の御心のままに沿うような結果になったとはほめてはいただけませんか?」


 ロイズの表情に余裕が戻ったのを見て、サラは心の中で冷笑する。

 どこまでも己の欲望に忠実な愚かな殿下、と。



 

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