嘘
アルナルドは時折、こう言いあることを背負い込もうとする。
それはいつも決まっていて彼が悪者になることで、それはいつも決まっていて……サラだけのために彼がすることだった。
「……何か怖いわ、アルナルド?」
「任せてみないかい?」
「その笑顔の裏で、あなたは何を考えているの? お客様の相手があるから早く済ませて貰えないかしら」
「簡単に言うと、君が欲しいんだ」
しれっとした顔で皇太子は臆面もなくそう言ってきた。
「あなたね……本気?」
「もちろん、僕は大まじめだよ、サラ?」
こんな大勢の衆目に晒された会場で、よくも言えたものだとサラは呆れてしまう。
いや、これはまぎれもないプロポーズ?
もしそうなら、受けた瞬間に自分と子爵家は破滅してしまう。
顔面に張り付いたこわばった笑みをどうにか引きはがすと、サラはアルナルドにとんでもない、と返事をした。
「常識ってお言葉はご存知でしょうか、皇太子殿下?」
「知っているつもりですが、子爵令嬢様?」
「やめてよ、我が子爵家を滅ぼされるおつもりでもあるの、皇太子殿下?」
「いえいえ、子爵令嬢様。僕は本気だよ?」
これでは話にならない。
アルナルドは多分、ワインに酔っているのだ。
好意で持ってくる話にしては内容が大きすぎる。
「冗談と受け取っておきますわ、皇太子殿下。誰かの耳に入ればあなたは即帰国、私は断罪ですよ? おやめください」
これは受けてはいけない、禁断の果実。
アルナルドを悪者にする気には、サラはなれなかった。
しかし、彼は赤毛の髪を毎度のごとく、困ったように指先でいじりながら言葉を続ける。
これはアルナルドが照れながらも本心を隠そうとしきれないときにする、そんな仕草だった。
「……そうだねえ。僕は翌週には帝国に戻り、親の用意した顔を見知らぬ相手と結婚することになるかもしれないね。悲しいことだ」
「どうして悲しいのよ。帝位継承権を持っていて、安泰の生活が待っているじゃないの」
「だってサラ。僕は十年も共に過ごした女性を諦めて、見知らぬ誰かを妻にしなきゃならないんだよ?」
「それが皇族でしょう、アルナルド? そんな贅沢なものまであなたにはあるのに、馬鹿なことをして失うものではないわ」
サラは呆れてしまい、やれやれと首を振る。
この皇太子殿下は思っていたよりも、世間知らずだと感じながら、来客でにぎわう広間を見渡した。
まだまだ自分が接待しなければならない相手はたくさんいる……。
「もう行くわよ、お客様方が待っているから」
「サラ、もっと真面目に聞いてくれよ」
「ダメよ。……もしかしたら二度と会えいかもしれないけど。元気でいてね、アルナルド。何かの縁であなたが皇帝陛下におなりあそばされましたら、これまでにない賢帝になられますように」
「サラー本気だよ……」
まだすがりつくの?
出来ないって言っているのに。
サラはアルナルドの好意を嬉しいと思いつつも、その甘える声には少しだけ苛立ちを感じてしまう。
「いい、アルナルド。私は婚約破棄は出来ないの。自分からは言えません。言えばこの家まで無くなるのよ?」
「それはそうだけど、家族で帝国にくれば……」
「出来るわけないでしょう? 家人だって百人からいるのよ!? それに、あんな両親でも親なの。育て貰った恩返しはしなきゃ……なんて思ってなくてもしないといけない。分かってるでしょ?」
「もういいじゃないか。ここまでやらされてそれでも尽くす意味はないと思うけどなあ。ロイズにもさ」
「無、理、で、す!」
「はあ……そう。残念だ」
「本当に残念だわ。まさかあなたがそんなことを言い出すなんて思ってもみなかった。幻滅したわ」
「え、待って。それどういう意味!?」
思わず声を上げるアルナルドをにらみつけると、サラは静かにして!、と叱りつけた。
誰が聞いているかもしれないこんな場所で、彼に危険を犯させるわけにはいかなかったからだ。
「他人の婚約者、それも自分の親友である王国の王太子妃補と王太子の仲が怪しくなった時に、まさか言い寄ってくる恥知らずだとは知らなかったって言ってるの。もう話しかけないでください、皇太子殿下」
「いやそれは誤解だよ、サラ!?」
「何もかも忘れます。あなたが幼馴染だということも、親友だったということも、さっきの話も」
「待って――」
「出ていきなさい。今すぐに。さもないと我が家の衛士を呼ぶわよ?」
「……分かったよ、サラ……」
「さようなら、皇太子殿下。お元気で」
思ってもみなかった返事を返されて、アルナルドはショックだったのだろう。
それでも彼はまだ……紳士だった。
断られたからと言ってわめき散らしたり、手を挙げて叩こうとしたりしなかったからだ。
そう思うと、ロイズに幾度か受けたあの平手打ちが恐ろしいものだったとサラは思えて来た。
「これでいいのよ。アルナルドはいつも悪者になろうとするんだから。ごめんなさい、アルナルド。……ありがとう」
サラはそう呟くと、来客の相手にと大広間の人の輪の中に戻っていった。
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