デビューの日 前編


 悲しい思いをしてまで。

 誰かを幸せにする行為。


 それは絶対に間違いだ。


 俺には。

 そう思う権利がある。



 ルビー色のジャムが乗った。

 初めて見るクッキー。


 つやつやのジャムの中には。

 輝く気泡が無数に浮いて。


 俺は、この宝物を。

 誰にもあげたくなかった。



 全部で何人いたか。

 おばちゃんからお菓子を貰い。


 一口で食べる者。

 ちびちびとかじる者。


 誰もがお菓子を楽しんで。

 去っていくおばちゃんにバイバイすると。


 無口な女の子が、一人。

 急に泣きだしたんだ。



 みんなで理由を聞いてみれば。


 その子だけ。

 お菓子を貰ってなかったらしい。


 可哀そうだとみんなは言って。

 食べかけを半分に割って。

 その子にあげ始めた。


 そして最後に視線があつまったのは。

 俺の宝物。


 全部自分で食べちゃった子さえ。

 なんでお前は半分あげないのだと。

 理不尽に俺を糾弾した。



 もともと、仲の良かった子もいない。

 そんな俺が、意地悪な奴だと。

 避けられるようになったきっかけ。


 俺が、頑なに。

 他の誰かより損をするのは。

 嫌だと考えるようになったきっかけ。



 ……俺は、親切を否定はしない。

 自己犠牲は、美しいとすら思う。


 でも、俺はそうしない。

 ずっとそうして生きて来た。


 だって、思うんだ。

 その女の子は、きっとこんな事件を。

 嬉しかったことを。

 もう忘れちまってる。


 俺だけが、はっきりと。

 悲しかったことを。

 全部覚えてる。


 泣きながら走った。

 二度と通らなくなった公園への道。


 アパートの前で、泣き顔を隠すため。

 顔を洗った水道に浮いたサビ。



 悲しいことはすぐ忘れる?

 冗談じゃない。

 俺は全部覚えてる。


 嬉しいことはいつまでも忘れない?

 冗談じゃない。


 ルビー色のジャムが乗ったクッキー。

 俺は、それを頬張る凜々花が。


 どんな顔して笑ってたか。

 まるで思い出せないってのに。





 ~ 四月五日(月) デビューの日 ~

 ※葦の髄から天井を覗く

  意味:狭い見識で全体を語ること




< 埋もれ木うめええええ!!!



 日がな一日届くヤギの絶叫。

 昨日最後に届いた、大食いヤギさん・凜々花によるグルメレポート。


 こいつが居場所を確定させた。



「おお! やっぱおにいもこいつのうめえ匂い嗅ぎつけたん?」

「偉いぞ凜々花。よく我慢しないで意地汚く食い続けてくれた」

「それ、ディス?」


 それなりリーズナブルなステーキハウス。

 そこを舞台に繰り広げられる珍事についてのリアルタイムニュース。


 ステーキを1ポンド食ってまだお代わりする美少女がいるという情報を発見したのは五分前。


「褒めてるんだって。俺がお前をディスったことなんかねえだろ?」

「こないだ、パンツいっちょで居間歩いてたら、ぬりかべって」

「…………悪かったて」

「そのあと焼きそば六玉食って腹パンパンになったら、小文字の『b』って」

「あとでアイス買ってやるて」


 そんなテーブルには。

 凜々花とお袋と親父。

 春姫ちゃんと舞浜母。


 そして。


「ど……、どうして……?」


 普段は、箸を置いてからじゃないと口を開かないお嬢様。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 こいつが、ナイフとフォークを構えたまま。

 呆然と俺たちを見上げるのは当然の反応だった。



 ――昨日、宇都宮で餃子パーティーをした後。

 新宿に戻って、一昨日の宿にもう一泊。


 朝、4時43分発山手線内回りで品川に出てからは。

 東海道本線を、小田原、熱海、浜松、豊橋、大垣、米原と乗り継ぎ乗り継ぎ。


 最後に琵琶湖線を快速で一駅分。



 12:25。

 到着したのは。



 彦根駅。



「プリンセス確保ー!」

「捕まえたよ、僕のお姫様!」

「ほぇにゃ!?」


 食事中の秋乃に。

 左右から抱き着くきけ子と王子くん。


 気持ちは分かるが。

 迷惑だからやめねえか。


「あんた達、秋乃ちゃんのゲームで遊んでたんじゃないの?」

「そう。昨日の夜からウソ情報流して、秋乃を騙してた」

「ひ、ひどい……」

「お互い様だろ?」


 そもそも、先に俺たちを騙してたのは秋乃の方。

 位置を伝える自撮り写真が。

 偽造だったわけだ。


 秋乃自身は家族と一緒。

 俺たちに、決まった時刻に偽造写真を送り付けていた。


 いるはずもないゴーストを探し続ける。

 それがこのかくれんぼの正体だ。


 よくできたフィールドゲームだったが。

 雷で電車が遅延してるのに。

 定時で出発したのは失敗だったな。


「楽しかったよ、秋乃ちゃん! んもう、すっかり騙されちった!」

「あっは! 僕も楽しんだけど、秋乃ちゃんと一緒じゃなくて寂しかったかな?」

「で、でも……。それだと面白くない……」


 秋乃はそう言うだろう。

 予想は当然していた。


 そして、シナリオを半分で切り上げて来た俺たちを見て。

 寂しがることも想定内。


 まあ。

 言いたいことは山ほどあるが。

 後にしておこうか。



 俺は、みんなを紹介しろとせかすお袋をなだめながら。


「先に注文させてくれ。すいません、隣の六人席使っていいですか?」

「席、一つ足りないよ~?」

「俺はこっちの立ち食いカウンターでいいよ」


 ステーキハウスならでは。

 立ち食いカウンターが一列分あって。


 ちょうどみんなのそばで。

 会話もできる。


 平日のランチタイムなのに。

 そこそこ空いてるところを見ると。


 やはり観光地。

 そんな印象が強い場所だ。



 ……彦根。

 琵琶湖東岸にある、お城で有名な観光地。


 凜々花が教えてくれた食い物で検索をかけたら。

 最終的に浮かび上がった、プリンセスの隠れ場所。


 みんなはホントに楽しかったと。

 秋乃に声をかけているんだが。


 当の番組プロデューサーと言えば。

 未だに困り顔のままだ。


 でも。


「舞浜ちゃんのおかげで、デート楽しんでるよ!」

「デートとか言うな。でも、ほんとにありがとうな」


 こんちゃん先輩と姫くんにお礼を言われて。

 二人の楽しそうな笑顔を見た秋乃は。


 ようやくほっと肩の力を抜いて。

 柔らかく微笑んでくれた。



 舞浜秋乃プロデュース。

 『プリンセス・ハイドアンドシーク』はこうして幕を閉じたわけなんだが。


 だからこそ、これからは。

 みんなとの旅行を楽しんでもらいたい。



 と、いうことで。

 お説教は後回し。


 それより先に。

 この問題を片付けねえと。


「なにこの美少女ユニット~!!!」

「言うと思ったのよん。ごめんね妹ちゃん、この肉巻きの芯はお姉さんが捨てて来てあげるから」

「あっは! でも、ほんと可愛いね!」

「なるほど。舞浜が美形な理由、ハーフだったからかいてててててっ!」

「お前、バカだな。彼女の前で言うか普通?」


 お兄さんお姉さんが大興奮で褒めるもんだから。

 照れて俯く中学生コンビ。


 そんな褒め言葉の中に。

 ときたま混ざる、ゲスい緑黄色野菜言語。


 きけ子の言う通りだ。

 パラガスはどこかで捨ててこなけりゃいけなかった。 


「ほら、お前ら騒いでないで注文しろよ」

「そうだな~。俺、ランチステーキ~」

「まあ、それ七つでいいか」

「あ、俺はいらねえ」

「え? そうなのん?」

「でもお前、朝からろくに飯食ってないだろ」


 このカチンコチンやろう。

 いいんだよ、気ぃ使わなくて。


 肩の荷が一気に下りて。

 なんだか食欲がないんだ。


 でも、そんなこと言ったらからかわれそうだからな。

 ここは誤魔化しの一手。


「牛肉って気分じゃねえ。親子丼って気分だから、今はパス」

「一品ぐらい注文しなさいよあんたは」

「確かに。ドリンクくらい注文するか」

「おにい! ここ、牛乳うんめえよ!」

「じゃ、それにするわ」


 そしてお袋、凜々花と視線を移した流れで。

 秋乃と目が合ったんだが。


 こいつは何か言いたそうにして。

 でも口をつぐんで。

 そわそわして。


 やれやれなやつだなまったく。


「ああ、いいから気にすんな。いつも通りにしやがれ」

「い、いつも通り……?」


 俺の方から。

 肩をすくめながら話しかけてやると。


 なぜか秋乃は。

 わたわた慌てだす。


 落ち着かせようとしたのに。

 どうしてそうなる?


 そして。

 急に自分の皿を指差すと。


「び、びっくりして、食べれなくなっちゃった……」

「そのステーキ?」


 半分以上残ってるじゃねえか。


「た、食べる?」

「ああ。じゃあ、よこせ」  


 俺はテーブルに近付いて行ったんだが。

 秋乃は厨房に走って行って。


「……丼?」


 何を思ったか。

 借りて来た丼に。

 ライスの残りを入れた後。


 ステーキを並べて。

 わざわざ俺のテーブルまで持って来ると。



 最後に。



 テーブルに置いてあった牛乳をばっしゃあかけやがった。



「なにすんの!?」

「お、親子丼……」

「うはははははははははははは!!! 子じゃねえだろが!」

「…………あ」

「うはははははははははははは!!!」



 ああ、そうか。

 いつも通りだ、これ。


 秋乃がいなかった二日間。

 俺は、いつもみたいに大笑いしてなかったことに。


 今、気が付いた。


 旅行初日の朝から。

 ずっと感じていた体の不調。


 それが、今。

 すっかり消え失せたような気がする。


「やれやれだぜ。お前が責任もって食えよ?」

「こ、こんなしゃばしゃばになったステーキ丼、いらない……」

「お前がやったんだろうが!」


 教室と同じ。

 いつものやり取りに。


 クラスの連中は。

 いつも通りに大笑い。


 そしてひとしきり笑った後。

 みんなしてニヤニヤしてやがるんだが。


「なんだよ気持ちわりい」

「いや……。だって、なあ」

「ねえ?」

「お前、ずっと顔色悪かったのに、治ってるから」


 うそ。

 顔にも出てたの?


「ち、違うぞ? そんなわけねえだろ」


 慌てて言い訳を考えて。

 わたわたする俺の隣で。


 今まで、会話の意味を理解してなかった秋乃が。


 ぽんと手を叩く。


「ほんとちげえから! 勘違いすん…………? なんで頭下げてるんだ、お前?」


 さらりと垂れ下がる飴色のロング髪。

 秋乃は、右に下がった髪だけ横にかきあげて俺を上目づかいで見ると。


「二日も、だもんね……。気が付かなかった、ごめんなさい……」


 自分と会えなかったことについて。

 急に謝りだした。


「ちげえから! なに言ってんだお前!」

「でも、そんなにすぐ直るなんて……、ね?」

「だから! いや、その……」


 なんという公開処刑!

 なんというニヤニヤのクロスファイアーポイント!


 もう逃げ道は無いのか?

 白状するしかねえのか!?


「お、俺は……」

「うん」

「ふ、二日も、その、いつもと違って……」

「うん」

「そ、それが、いつも通りになって、ほっとしたって言うか、だから……」


 その先は言わなくていいんだよと。

 秋乃は、優しく頷いて。


 輝く唇を。

 ゆっくり開く。



 ……何を言おうとしてるんだ?



 これって。

 こんなとこで。

 ひょっとして。

 俺は。

 まさか。

 想いが。

 そんなわけが。

 伝わっ……。



「じゃあ、三日ぶりに……。思う存分立ってて、ね?」

「うはははははははははははは!!!」



 ああ、そうだ。

 いつも通り。


 俺は、クラスの連中が大笑いする中……。


「お客様!? こちら、スタッフルームへつながる廊下でして、大変困るのですが……」

「ほっといて下さい」


 いつもの自分に戻れたことに。

 幸せを感じていた。



 後半へ続く!

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