あんぱんの日 後編


 【高崎発14:52 小山行】


「ちょっとちょっと! 秋乃ちゃんは定時に出てるんだから凄いロスなのよん!」

「文句を言っても仕方ないだろう。ちょっとは落ち着け」

「うるさい! カチンコチン優太!」

「そうだ黙れ~。カチンコチン優太~」

「やめろ、甲斐。気持ちは分かるが放してやれ。そのまま頬を握り続けると二人がムンクになっちまう」


 折角こんちゃん先輩と合流したから。

 せかしたらいけねえと思って。


 のんびり横川で釜めしを食って。

 秋乃は次のお旅所で捕まえることにした我々エージェント。


 高崎に戻って栃木に向かう秋乃を追うために。

 小山行きの電車に滑り込んでみたものの。


 十五分も遅れての出発になったもんだから。

 きけ子が暴れること暴れること。


「ああうるせえ。お前、ちょっと隔離」

「なんでよ!」

「元気な子供が騒いでも文句言われねえ場所見つけたから」

「なにそれ……? お? 可愛いお婆ちゃん! こんにちは!」

「はい。こんにちは」

「お元気ーっ! おいくつなんですか!?」


 姫くんの隣がこんちゃん先輩になったから。

 一人でいる機会が増えた王子くんの隣にきけ子を追いやったんだが。


 車内騒がしくしてることに関しては変わりねえのな。


「ええっ!? お婆ちゃん、九十!?」

「あっは! お若い!」

「そうけ?」

「見えない見えない!」

「ほんとだよ!」

「どう見ても八十九とか言うんさ?」


 これには思わず一同大爆笑。

 やるなあ、お婆ちゃん。


「やるなあ婆さん。すげえおもしれえ」

「うける~。おばあちゃんかわいい~」

「あっは! 頭の回転も若いよ、お婆ちゃん!」

「この素敵な出会いを祝してチョコあげちゃうのよん!」

「したっけ、お返しにこれ食べるけ?」


 お婆ちゃんと言えばミカンだろう。

 そう思いながら、小さな膝に広げた包みを眺めていたら。


 中から出てきたのは。

 随分と大粒の梅干し。


「おお、こんな大きなの食べたこと無いよ私」

「そうけ? 普通さ」

「あっは! 僕、大好きだけど。いただいちゃっていいの?」

「どうぞどうぞ」


 それじゃいただきますと。

 元気に口に放り込んだ、美人コンビのその顔が。


 一瞬で。



 *



「わはははははは! キッカ! お前、がっついてるからそうなる!」

「ぎゃははははは! うわ~。俺、横取りしないでよかった~!」


 やれやれ。

 うるさい子供隔離作戦大失敗。


 近隣の皆さん。

 まじすまん。


「あんたがたは、どこに行くんさ?」


 見ているだけで幸せが伝わってくる笑顔が可愛いお婆さんが。

 未だに目をしばたかせる二人に訊ねると。


「小山! そん次は宇都宮じゃないかって思ってるんだけど」

「そうけ。旅行け」

「そうそう!」

「そんなら、晴れてだいじだったね」

「だいじ?」


 独特なイントネーションの栃木弁に不慣れなきけ子が。

 お婆ちゃんの言葉に首をひねる。


「今朝は、雷さまが腰休めに来とって、おかげで朝から汽車が遅れたっけ。したっけ今も遅れっぱなしさ」

「おお! 雷様が来てたんだ!」

「あっは! 可愛い表現だね! それじゃ電車が遅れるのもしょうがないか!」


 なんだろう、このボックス席。

 三人の会話がすごくいい。


 車窓を流れる畑の景色も手伝って。

 なんだか心の棘が抜け落ちていくよう。


 俺たちも、ついつい会話を忘れて。

 お互いに目配せし合って。


 次はどんな話が飛び出すのやらと。

 ニヤニヤ顔で聞き耳を立てる。


「じゃあお婆ちゃん、帰りが遅くなったら雷様のせいだね!」

「だいじだよ」

「でも、家の人、心配させちゃうかも」

「だいじだいじ。せいぜい、晩御飯のおかずが先に無くなっちまってるくらいなもんさ」

「あっは! 大変じゃない!」

「したっけ、ちょうどいいんさ。ダイエット中だから」


 もう勘弁してくれよ。

 婆ちゃん、どんだけ引き出し持ってんの?


 いつもの俺なら。

 爆笑するとこだけど。


 でも、今日は。

 すぐそばで、楽しそうに笑うこんちゃん先輩と姫くんが視界の中にちらついて。



 なんだか大笑いすることができないでいる。



 恋人ってどんな感じなんだろう。

 好きな人がそばにいないってどうなんだろう。


 そして、そばにいられない二人を一緒にさせるために。

 自分だけ違うところにいるあいつは。

 どんな気持ちでいるんだろう。



 今、この時間。

 お婆ちゃんの軽妙な切り返しで笑いが絶えなくなった車両で過ごした体験は。


 きっと二人にとって。

 大切な思い出になることだろう。


 お互いが共有している。

 幸せな思い出。


 二人の思い出。


 でもそんな時間をプロデュースしたあいつは。


 同じ時間を共有していない。



「おい、立哉。お前もボケっとしてないでよく勉強しとけ!」

「え? なにが?」

「そうだな~。立哉のセンスじゃ、一生舞浜ちゃんを笑わせることなんかできないだろうからな~」

「聞き捨てならんな! 何度も笑わせたことあるぞ、俺!」

「うそつけ」

「うそつけ~」


 こいつら、信用してねえな。

 ほんとだぞ?


 それに普段負け続けてるのは……。


「あいつとは知能が違うからな。この天才が繰り出す笑いを秋乃が理解できねえことが多いだけなんだよ」

「うわでた」

「またはじまったよ~。保坂ってるよ~」

「てめえら……。よし、それじゃ証拠を見せてやる」


 今まで黙ってたけど。

 この電車に乗る前までは、推測に過ぎなかったけど。


「俺は秋乃の動きを読み切った。先回りしよう」

「これだけ振り回されといてよく言うぜ」

「よく言うぜ~」

「読み切ったって、舞浜のルートが宇都宮で餃子食った後、日光って事か?」

「さすが甲斐。でも、それじゃ捕まえられねえんだよ」

「は? どういう意味だよ?」


 甲斐の推理力は大したもんだ。

 そう、この辺りの二大観光地を巡って大体二十時頃に日光で一泊。


 秋乃の考えてるルートはその通りだと思う。


 だが、推理だけじゃ勝てねえんだ。

 フィールドゲームで勝つには。


 柔軟な発想が必要なんだ。


 森を見つつ。

 木を見つつ。

 敵を見る。


 それで初めて勝利への道筋が見えて……。


「ははっ。ほんとまいったな……」


 急な独り言に。

 甲斐とパラガスが、怪訝顔してやがるが。


 訳を話す気はねえよ。

 だって。



 俺はあいつが俺のためにフィールドゲームを作ってくれたことをこんなに怒ってるのに。


 結局それを楽しんでるなんて。



「……じゃあ、パラガス。今のうちに宇都宮の餃子ランキング調べといてくれ」

「いいけど~。それで舞浜ちゃん捕まえられるのか~?」

「いや。秋乃に、俺たちが散々大騒ぎしながら餃子パーティーしてる写真をこれでもかって送り付けてやる」

「え? 先回りするって言ってたじゃねえか」

「今日はどんな手を尽くそうともあいつを捕まえられねえんだ」

「立哉。さっきからお前が話してる言葉の意味がまったく分からんのだが」


 とうとう顔を見合わせて肩をすくめるお前達にゃわからねえだろうな。


 だから、俺の作戦もわざわざ説明しねえ。


 携帯を取り出して、さてまずは何からやろうか。


 宿の予約して。

 秋乃に、夜中まで宇都宮で餃子パーティーすることになったってウソのメッセージ送って。


 そして……。


「あとは。難問に取り組むとするか」



 答えが無い証明問題。

 その解を導き出す。



 俺は、予定より一日早く見つかって落ち込むプリンセスが抱える間違いを正すために。


 幸せにしてやるために。



 それきり誰とも話さないまま。

 必死に解答を探し続けた。



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