第二話 葵と彩香の狭間で

 翌日、昨日と同じく今日も彩香の席には公平がそばにいた。


(……ふむ)


 透はそれを確認して自分の席に向かう。


「おはよう、透」


 なんと今日は葵の方から挨拶をしてくれた。


「ああ、おはよう。昨日は本当面白かったよ」

「でしょう?」


 葵の取り巻きたちも含めて小説の話で盛り上がった。

 すると、自分を呼ぶ声がした。


「透くん」

「えっ」


 彩香が来ていた。


「ちょっと、いい?」

「今、私が透と話しているのだけど」


 葵は彩香を鬱陶しそうな目つきで言った。


「委員会の話があるの。来てくれる?」

「後にしてくれないかしら」

「ホームルームが始まる前に連絡しておきたいの」

「……」


 ああ、マズイ――透は危険を察知してすぐに席を立ち上がり、


「オーケー、わかった」


 彩香を連れて廊下に出たが、「嫌な女」という言葉が後ろから聞こえた気がした。

 ただ、あたかもこの間の合宿のとき公平としゃべっていたところを邪魔されたことに対する当てつけのようにも感じた。


「えっと、委員会だっけ」

「ええ。前回の朝の声かけの時の引き継ぎの件で……」


 二人は今週担当のクラスのところに行き、彩香がクラスの風紀委員に連絡事項を伝えていた。


(うーん、注目の的だな)


 男子がみんな彩香に注目している――あれが噂の美人の特待生――そんなことを思っているような気がした。

 用件を済ませて二人は教室を出た。


「そういえば、昨日は用事があったの? 部活お休みだったでしょ?」

「ああ、うん、ちょっと。けど今日はちゃんと出るよ」


 透はごまかして言った。



 ◇ ◇ ◇



「透、今日みんなでカラオケに行くの。貴方も来なさいよ」


 昼休み、透が教室に戻ると葵が言った。


「えっ?」

「とにかく、学校終わったら行くわよ」

「えーと……わかった」


 仕方ない――葵がせっかく誘ってくれたのだから。

 放課後、透がカバンに教科書を入れていると、彩香がやってきた。


「透くん、行きましょう」

「あー……いや、実は」


 すると健一もやってきて、


「透は今日も用事があるんだってさ」

「そうなの?」

「そうよ」


 隣の葵が高らかに言った。


(うう――お前は黙っていてくれ……)


 けれどももう遅かった。


「……英さんとどこかに出かけるの?」

「ええ」


 葵が答える。


「でも、昨日も部活お休みだったじゃない」

「昨日は私と映画を観ていたの。私の家で」


 何故かやたら強調して言った。


「……」


 彩香の視線が痛い――けれどもその視線は葵に向かっていた。


「と、とにかく次は出るから」


 透は葵の手を取って教室を出ていった。


「と、透――」

「え?」

「手――」

「ああ――ご、ごめん」


 透は握っていた葵の手から手を離した。

 葵の取り巻きたちも出てきてみんなでロータリーに向かって葵の車に乗り込んだ。


「葛城院さんってちょっとしつこいねー」

「あの子、ちょっと調子に乗ってるんじゃない?」


 葵の取り巻きたちが彩香の悪口を言い始める。


「……」


 透は複雑な気持ちで葵を見た。特に悪口に参加するでもなく、窓の外を見ている。


(……彩香に何か思われただろうな。二日も部活サボって葵と出かけるなんて。でも仕方のないことなんだ)


 やがて隣町のカラオケ店に到着した。


(それにしても、こいつらと一緒にカラオケに行くなんて初めてっていうか、男は俺だけじゃねえか)


 どういう心境で自分のことを誘ったのか今一つわからなかったが、胸のもやもやをかき消すように透は歌いまくった。というか、半ばやけくそだった。



 ◇ ◇ ◇



 夕方ごろに店を出て、葵の取り巻きたちとは店の前で別れた。


「ちょっと久しぶりに歌いすぎたな」


 透は少しかすれ気味の声で言った。


「本当。うるさすぎて耳がおかしくなったわ」


 葵は容赦なく言った。


「それはどうもすみません……」


 二人は車に乗り込んだ。


「そういえば葵のお父さんに会ったのって久しぶりだったなあ」

「そうかもしれないわね。父も貴方に会えて喜んでいたわ」

「そうか?」

「当たり前じゃない」

「そ、そうなのか」

「そりゃ、貴方には記憶がないから仕方ないでしょうけど」

「……?」


 何の話だろう、と透は思った。


「父は今でも貴方にずっと感謝しているんだから」

「そう……それはとても光栄――」


 透はよくわからなかったが、ここで理由を訊き出すと混乱を招くと思い、適当に話を合わせておいた。

 やがて透の家の前で車が停まり、透はここで降りた。


「ありがとう、家の前まで」

「じゃあ、また明日ね」

「ああ」


 葵の車が走り去っても透はまださっきのことを考えていた。


(俺が、葵の親父さんに何をしたのだろう)


 透は家に入って自分の部屋で色々考えた。


(記憶にない、っていうのはどういうことだろう。小さいころのことなのか?)


 だとしたら、親が何か知っているのかもしれない。


「母さん」

「なあに?」

「……今更の話だけど、俺、小さいころ何かやったっけ?」

「え?」

「その――葵のお父さん絡みで何か」

「……」


 透の母親は透の表情をのぞき込むようにして、


「大丈夫?」

「え? 別に……ちょっと一昨日葵のお父さんに会って、感謝されて」

「そのことは話してあるでしょう? 透は怪我で部分的に記憶を失くしちゃったんだから」

「怪我――」

「あなた、また記憶がおかしくなってきたの?」


 母親は心配そうに言った。


「いいや――別にそうじゃない」


 透はごまかして部屋に戻った。


(怪我――記憶を失くした)


 この世界における自分の知らない過去で何かがあったらしい。けれども母親を混乱させてもまずいのでこれ以上訊くのはやめておいた。

 そして、このことを天音にも伝えておくことにした。とりあえずその点については追々調べてみようということになった。



 ◇ ◇ ◇



(うっ……なんで――)


 翌日、駅に到着すると健一の隣に彩香がいた。


(昨日のことを言われる……のか?)


 透は改札を出ると二人に挨拶した。


「おはよう――彩香も一緒とはね」

「ええ、ちょっとね」


 三人は歩き始めた。


「昨日は英さんに引っ張られて大変だったんだってな」


 健一がいきなり訊いてきた。


「ああ……まあ」

「英さんとは一昨日も一緒だったのでしょう?」

「うん、葵にもらった小説を読み終えた話をしたら、映画を観ようって話になって。葵の家で……」

「でも昨日は部活に出るつもりだったのでしょう?」

「まあ、そうなんだけどさ」


 まるで尋問である。すると健一が助け舟を出してくれた。


「葛城院さん、さすがに透とはいえ英さんに誘われたら仕方ないよ」

「けど、透くんは部活に出るつもりだったのにちょっと強引すぎない?」

「うーん、英さんが相手だからなあ」

「大丈夫、次は必ず出るよ。さすがに俺も部活をおろそかにはしたくないし……」


 透はそう言っておいたが、教室に入るなり彩香はそのまま葵のところに向かった。


「英さん、透くんを無理やり誘うのはやめてほしいわ」

「あら? 朝からいきなり何の話?」

「透くんは昨日部活があったの。一昨日もね。けど、貴方が強引に誘ったから透くんは部活に出られなかったわ」

「強引に誘ったってどうしていえるの? というか何で貴方がしゃしゃり出てくるわけ?」

「私は透くんの部活のマネージャーだから」

「ああ、そうだったわね。男子たちに人気のあるマネージャーさん」


 葵は嫌みたっぷりに言うと、取り巻きたちもクスクス笑った。


「……これ以上、透くんに迷惑をかけないでもらえる?」

「彩香――葛城院、俺は大丈夫だから」


 透は慌てて間に入ったがあまり効果はなかった。


「へえ、ふーん、迷惑、ねえ。透、迷惑だった?」

「いや、俺は……」

「でしょう?」

「透くんは優しいから言わないだけよ」


 次第にクラスメートたちが葵と彩香のやり取りにざわつき始めていた。あの英葵に真っ向から意見している彩香が身の程知らずだというような感じだった。

 しかしそのとき「おはよ~」と天音が教室に入ってきた。


「おやおや、朝から仲良しじゃない。おはよ~」


 天音は葵と彩香を見て、手をヒラヒラさせながら言った。


「出た、ギャル女」


 葵は不機嫌そうに言った。


「天音ちゃん、透くんが部活を休んだのって英さんが透くんを誘ったからなのよ」

「ああ、クサナギ部活サボってたもんね~」

「自分の都合で部活を休ませるなんて、学級委員の立ち振る舞いとしてもどうなのかしら」


 彩香がそう言うと葵の眉がピクリとつり上がった。すると、葵の危険な雰囲気を察した取り巻きたちが次々と反論する。


「放課後のことなんだから学級委員とか関係ないでしょ」

「貴方、入ったばかりのマネージャーのくせしてどうしてそこまで言える権利あるの? マジウザいんですけど」

「あ、学級委員になれなかったから葵にケチつけてるんでしょ?」

「おい、いい加減にしとけよ――」


 透は本当に大事になってしまうと危惧した。


「……」


 彩香は怒りを込めたような表情をして、何も言わずに自分の席に行った。

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