第三話 大勝利の夜

 さすがにホテルに戻ってきたころには結構疲れていたが、一日ほとんど彩香と一緒にいられたという点ではすごく楽しい日だった。

 夕食の後はちょっとした試験やディスカッションのようなものをしたりして、部屋に戻った。二日目のオリエンテーションも無事に終わりそうだった。


「透、どこに行くんだ?」

「ああ、ちょっと飲み物買いに行ってくる」

「俺が行こうか?」

「いや、このくらいは大丈夫だ」

「そうか。じゃあ俺はコーラで」

「俺はお茶でいいかな。あとお菓子も」

「お前らは鬼畜かっ」


 透は自販機のある階までエレベーターで降りた。

 ふとその時、奥の方で彩香らしき女の子と野口がいるのに気付いた。二人は角を曲がった先に行って姿が見えなくなった。


(あいつ――相変わらず葛城院さんにつきまとっているな)


 何となく透は二人がいる方に近付いていった。そっと角からのぞくと窓際の方で話していたが、


「俺、葛城院さんのことが好きなんだ」


(ちょーっとマテ! いくら何でも早すぎねーか?!)


 透は思わずツッコミそうになった。さすがハイエナ一号の称号を冠しただけはあるが、唐突過ぎる――


「入学したときからずっと気になってたんだ」

「……」


 彩香は困惑しているようだった。そりゃそうだ。まだ同じクラスになって一ヶ月ちょっとしか経っていないんだぞ――


「あの……ごめんなさい。気持ちは嬉しいんですけど……貴方の気持ちにはこたえられないです」

「……付き合ってる奴が、いるのか?」

「……いいえ、いません」


(……!)


 透は瞬間的に今の言葉を脳内記憶装置メモリに記録した。


(『いない』と言った! いま、葛城院彩香さんは『彼氏はいません』と言った!)


 その後のやり取りも気になったが、見つかる前にこの場から素早く撤退することにした。


(よくやった、ハイエナ一号! キサマの犠牲に感謝する!)


 気に食わない野口がフラれていい気味という思いと、彩香にいま付き合っている相手がいないという言葉を聞いて透は舞い上がる気分だった。

 半ば興奮気味にエレベーターホールに戻ると、誰かがそこにいたので思わず透は飛びのきそうになった。


「のわっ!」


 危うくバランスを崩しそうになったが、何とか持ちこたえた。相手は単にエレベーターを待っていただけだから、滑稽に見えたかもしれない。


「……何やってんの?」


 胡散臭そうに透を見たのは雲英天音だった。


「あ――いや」


 透は慌てて体勢を立て直して隣の自販機コーナーの方に行った。


(雲英天音――そういやこいつ、葵の穴埋めみたいな存在だったな。タイプは百八十度違うが)


 天音はいわゆるギャルのような雰囲気だった。髪は金髪混じりの茶髪になっていてネイルも入れている。入学当初から何となくそんな雰囲気はあったが、今では天音を中心として女子グループの一角となっていた。


(……なんだかコイツと一緒にいるの気まずいな。コイツやコイツの友達とかと話したことないし)


「今日は葛城院彩香とずっと一緒にいられて嬉しかった、って顔してるわね」


 前を向いたまま、突然天音が話しかけた。


「なっ――」

「ま、せいぜい頑張りなよ」


 天音は手をヒラヒラとさせながら、やってきたエレベーターに乗り込んだ。


(……な、なんなんだアイツ。それに葛城院さんのことフルネームで呼んで)


 透は気を取り直して自販機で飲み物を買おうとしたが、誰かがやってくる気配がしたので何となく隠れた。野口か葛城院さんかもしれない――

 案の定野口だったようで、ため息をついていた。やがてやってきたエレベーターに乗り込んだ。


(ま……ドンマイ。お前は充分俺の役に立ったさ)


 我ながらひどいことを言っているなと思いつつも再び自販機の前に行き、飲み物を買おうとした。


「あっ――」


 今度は彩香がやってきた。思わず入れようとしていたお金を落としてしまった。


「――っと」

「あ、私が拾うわ」


 彩香はすぐにそばに駆け寄ると落とした硬貨を拾ってくれた。


「あ、ありがとう」

「飲み物を買いに来たの?」

「ああ――うん」


 まさかさっきの告白を聞いていました――なんて思わないだろう。


「……」


 一瞬沈黙して、


「ねえ、少しお話しない?」


(ファッ?!)


 まさかの誘いに驚いたが、


(落ち着け――ここの最適解は――)


 透は脳内 演算装置C P Uを働かせると、自販機に再びお金を入れて紅茶のボタンを押す。そして「俺で良ければ」と言って彩香に飲み物を渡した。


「……ありがとう」


 彩香は微笑んで透から受け取った。


(自分でやっておいて何だが……今の俺ってカッコ良すぎじゃね?)


 二人はロビーのそばの待合所のところにやってきた。


「葛城院さん、今日はありがとう。ハイキングのとき、付き添ってくれて」

「ううん、こちらも楽しかったわ」

「御坂も高崎もわざわざ俺なんかに付き添ってくれて、みんないいやつだな」


(高崎は余計だったんだがな!)


「あの――私のことも別に、呼び捨てで構わないわ」

「えっ?」

「ほら――圭ちゃんのことだって普通に呼び捨てでしょう?」

「ああ――うん、じゃあそうさせてもらうよ。もちろん、親しみを込めてね」

「うん」


(……きた。これはまさしくキテる)


 何となくそんな予感がしている――今、全てが俺に味方している、と感じていた。


「……」


 改めて彼女を見ると本当に整った顔だな、と思った。長い睫にきちんとした佇まい。姿勢が良いのは何か習い事でもやっているのだろうか――


「草薙くんは本当に優しい人なのね」

「えっ? いきなり何のことか――」

七枷ななかせさん……陸上部のマネージャーやっているのでしょう?」

「ああ、七枷は今年からマネージャーに転向してくれたんだ」


 透と同じく中学のころから陸上部に所属していた女子で、今年からマネージャーに転属していた。


「委員会のときに彼女から聞いたの。その足の怪我のこと。サッカー部の中学生の部員が蹴ったボールだったんでしょう?」

「うん、そうだったみたい」


 今となってはその中学生には感謝しているくらいだった。


「後日改めて謝罪に来たけど、草薙くんは全く彼のことを責めなかったって聞いたわ。むしろ元気づけてあげたって」

「ああ……まあ、わざとじゃないし。仕方ないさ」

「その優しさはとっても素敵だと思うわ」


(……っ!)


 彩香の自分を見つめるその瞳に思わずドキッとした。


「あ、ありがとう……。そんなこと言われたの、初めてだ」

「本当? きっとみんなそう思っていると思うわ」


(どう考えても葛城院さんのその笑顔の方が素敵だ……!)


「私、草薙くんと一緒のクラスになれて良かった」


 その瞬間、透の中で観客たちによる祝福の拍手喝采スタンディングオベーションの音が聴こえた気がした。

 俺はもう思い残すことはない――というのは大げさだったが、彩香とより一層に距離を縮めることができたと確信した。



 ◇ ◇ ◇



「えらく時間がかかっていたな。大丈夫か?」


 部屋に戻ってきた透を見て、健一が言った。


「――って、本当に飲み物買ってきてくれたのかよ」


 透は袋に入った飲み物を置いて「全部俺のおごりだ。飲んでくれ」と言った。


「何かいいことでもあったのか?」

「健一……俺、生きててよかった」

「はあ?」


 透はその夜、ずっと余韻に浸っていた。さっきの彩香の言葉を思い出す――


『私、草薙くんと一緒のクラスになれて良かった』


 これが好意以外に何であろうか――透は彩香と格段に距離を縮めることができたこの夜に感謝していた。



 ◇ ◇ ◇



 翌日、オリエンテーションも無事に終わって透は帰りのバスの中にいた。

 野口の様子を見れば明らかにテンションが下がっているのがわかる。


(自業自得だが、キサマの犠牲は無駄にしない……!)


 一方彩香は昨日とはあまり変わらないように見えたが、告白されたことは驚いただろうと思った。あれだけの容姿だ。これまで幾多もの告白を受けていたに違いない。


(……)


 彩香と二人きりでおしゃべりができた余韻が今でも残っていた。しかも、自分のことを素敵だと言ってくれた。コレはもう脈アリと言っても差し支えないのでは――

 透は今後のことについて色々と期待を膨らませながら帰途についた。

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