第五話 敗北
五時間目の授業が終わって部活に行く準備をしながら、透はさりげなく彩香に話しかけた。
「葛城院さんは部活はどこか決めたの?」
「えっ? そうね、まだ決めているわけではないのだけど、中学のころにやっていたバドミントンがどうかな、って。仮入部期間が始まったら見学しに行こうと思っているの」
「そうなんだ。来週から仮入部期間だしね」
「そしたら高崎くんもバド部だって聞いて、色々と教えてくれたの」
「なんですと――」
そうだった――アイツはバドミントン部だった――透は思わずフリーズした。
(そうだ――だからあいつ、ハーレムだなんて……)
透の学校のバドミントン部は中学も高校も男子が少なかった。
(忘れてた――完全に)
「……草薙くん?」
透の様子に彩香が少し首を傾げそうになって透はハッとして我に返った。
「あ――いや、そうだった。確かにアイツはバドミントン部だったな。よ、よかったじゃないか……」
俺は今どんな顔をしているのだろう――きっと滑稽な表情をしているに違いない。
◇ ◇ ◇
「だ、だいじょうぶ? 透くん」
部活に向かう途中、葵が透の表情を見てあたふたしていた。
「か、完全に打ちのめされた気分だ……」
「喜怒哀楽忙しい奴だな。今度は何があったんだよ?」
健一はだいたい答えを予測できていた。
「お、俺は……そう。全てはヤツの手のひらの上で踊らされていただけなんだ……」
「今回はよっぽどだね」
葵は苦笑しながら言った。
「高崎のことか? お前、ついさっきまでは高崎パイセンだとかなんとか言ってたじゃねえか」
「今回ばかりは天が奴の味方をしていた、としか言えん。わかるか?」
「わからん」
「アイツは、バドミントン部だ」
「そういやそうだったな」
「問題。葛城院彩香さんの中学時代に所属していた部活動は?」
「えーっと、ああ……なるほど」
「忘れてたんだ……さっき、葛城院さんに部活何に入るか決めてるか訊いてみたんだ。それでヤツの名前が出てきて……」
「なるほどな。こりゃ、もうダメだな」
健一はアハハと笑って言った。
「はあ……もういっそのこと俺の見えないところに行ってくれないかな……」
「で、でもまだわからないんじゃない? 葛城院さんだって高校でまた新しい部活に興味出るかもしれないし……」
葵がフォローするように言うと、
「葵……お前は本当に心が純真で優しい奴だな」
透はトボトボと部室へ歩いていった。
◇ ◇ ◇
翌週、仮入部期間が始まった。
(ああ、これでハイエナが一気に増えるんだろうな)
透は憂鬱でしかなかった。彩香が部活に入るのは不可避だが、やがて待ち受けているのはハイエナたちだ。
(先輩たちの毒牙にかかる可能性も高い)
「私たちも新入生たちを勧誘できるように頑張らないとね」
葵は笑顔で言うが、透の表情は暗かった。
「はあ……まあ、どうでも、いいんじゃね?」
彩香がバドミントン部に入部するのは時間の問題だった。あそこまで仲良くなって一緒にやらないか? って言われたら入部してしまうに決まっているだろう。
まあもっとも、バドミントン部には男子が多くないので新たなハイエナの毒牙にかかる可能性は大きくはないが、公平という強力なハイエナがいるのだから結局は同じことだろうと透は思った。
(外堀は完全に埋められた。委員会、部活――あとは本丸を崩すのみだ。奴は席が離れているという不利な状況を策略と運によって乗り越えた)
それにひきかえ自分は席が近いというアドバンテージを全く活かしきれていない。
(まあ、そんなものも活かしたところでもはや……)
透はすっかりネガティブになってしまっていた。いっそ、早くとどめを刺してくれと言わんばかりに――
◇ ◇ ◇
結局彩香はバドミントン部に入部したようだった。透は半ば彼女のことは諦めつつも、なかなか吹っ切れないでいた。
(……こんなに可愛いんだもんな。その上頭もいいし、性格もいいし)
もはや後ろの席から彩香の後姿を眺めることくらいしかできなくなっていた。
おまけに部活のある日は公平と彩香、そして彩香と仲の良い友達の三人で部に行くのがお決まりとなりつつあった。
つらい――目の前で好きな子が他の男と仲良くなることがこんなにも辛いだなんて――透はもはや傷心を負った少年のような気分だった。
「だから言ったじゃねえか。深入りはよせ、って」
部活に向かうとき、健一が言った。
「そんなこと言ったか? けど、負け戦って本当、キツイよな……」
「今回は相手が悪かった、それでヨシとしようぜ」
「俺、お前がどうしてそこまで割り切れるのか不思議でならないよ。お前だって葛城院さんのこといいって言ってたろ?」
「そりゃあ、美人だし、頭もいいけど、俺とは釣り合わねえし、無駄な争いはしてもムダだってこった。まあお前の気持ちもわからないでもないがな。何せ、席があんなに近くになったんだから」
「本当、高嶺の花のままでいるべきだったんだろうか。最近、高崎の奴を見るだけでストレスが溜まってくる」
透は目の前でだんだんと公平と彩香が距離を縮めている光景に、耐えられなくなってきていた。
◇ ◇ ◇
しばらくして、いつしか公平と彩香が付き合っているなんて噂も流れ始めていた。実際のところはわからないが、透にとって不愉快な噂であることには違いなかった。
(そういや結局、葛城院さんって付き合っている彼氏っていなかったのかな?)
今となっては半ばどうでもよかった。いようがいまいが、結果はあまり変わらないのだから。
「葵、やっぱり葛城院さんみたいな美人だったら高崎が好きになっても諦められるもんなのか? 女子って」
透は部活に向かう途中、葵に訊いてみた。
「えっ? そ、そんなこと急に言われても――」
「お前だって高崎とだったら付き合いたいって思うだろ?」
「そ、そんなのはよくわからない――」
葵は少し恥ずかしそうに俯きながら言った。
「まあ、お前も世界が違うだろうからわからないか。俺も、全てにおいてアイツに勝てる要素なんてないからな」
「そ、そんなことないと思うよ」
「どこがだよ? 顔も成績も何もかもヤツの方が上だ」
「えーと、透くんは足が速い」
「……そりゃ、陸上部だしな。ヤツよりかは速い自信はあるよ。けど、バドミントンで俺がヤツに勝てるか、って言われたら無理な話だ」
「う、うーんと……透くんは理科が得意」
「理科だけで、他はそれを打ち消してしまうほど平凡だ。そういえばお前、やるじゃねえか。この間の実力テスト、葛城院さんに勝ってたし」
「あ、あれはたまたま……」
「あーあ、俺には何の取り柄もない。時間さえ戻せたら高崎の奴を出し抜けるのに」
透はずっとボヤいてばかりだった。
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