第三話 邪悪な計画

 翌日、透は健一に断ってしばらく早めに家を出ると言っておいた。彩香が登校する前に学校に行くためである。

 教室に入るとまだ誰も来ていない。自分が最初のようだったが、間もなく彩香がやってきた。


「おはよう透くん。今日は早いのね」

「ああ、うん。早起きは三文の徳ってね」

「なあに、それ」


 次第に公平や他のクラスメートもやってきて、やがて麻美も教室に入ってきた。


(……)


 麻美はいつも通り彩香に笑顔で挨拶をする。席も隣で彩香とは仲が良い――ように見えていた。

 そして、葵は変わらず透のことを無視している。


(葵の知らないところでやばい計画が進んでいる。もし本当に事が起こったら葵にもまた……)


 今でさえ葵に対する疑惑は話題の種になっており、〝彩香派〟である圭たちと対立構造を生み出してしまっている。

 再び彩香の席の方を見た。圭やほかの外部生の女子たちもやってきて楽しそうにしゃべっている。

 麻美はいつものように文庫本を読んでいるように見えるが、きっと読んでいないのだろう。一言一句、彼女たちの葵に対する悪口や批判があればそれを心の中に刻んでいるのだ。



 ◇ ◇ ◇



 目立った動きもなく数日が過ぎた。期末試験が迫っていたが、透は期末試験どころではなかった。


「特にあいつらが仕掛けてくる様子もないな」


 透は廊下で天音に言った。


「そうだけど、夏休みに入る前に必ず行動を起こすでしょうね。それに前みたいな直接的で目立ちやすい方法はもうとれないでしょうから」

「それはそれで何が来るのか怖いな」


 結局そのまま期末試験期間となった。そして世界史の試験が始まって間もないころ、教室内を見回っていた教師が足下の何かを見つけた。


「御坂、これは何だ?」

「えっ?」


 圭は試験中に突然訊かれて何かと思った。他の生徒も思わず振り向いた。


「何これ――知りません」

「……」

「ちょっと待って下さい。本当に知りません」

「後でちょっと話を聞く」


 何事かとざわついていたが、教師が「静かに、続けて」と言った。


(……何だかすごく嫌な予感がする)


 透に軽い動悸が走った。

 そして試験終了となり解答用紙が集められた後、圭が教師に呼ばれていた。


「私、知りません!」

「話は別の場所で聞きますから」

「でも、本当に知らないです」


 何があったのだろうとクラスのみんなが注目していた。すると彩香も教壇のところに行き、


「どうしたの?」

「彩香、聞いて。この紙が私のすぐそばに落ちてたっていうの」


 圭が見せた紙はメモのような大きさで、試験に関する単語らしきものが書かれており、いかにもカンニングペーパーという感じになっていた。

 しかも、裏側を見ると何かで使用した紙なのか、圭の名前の一部が記入されている紙の一部だった。


「私のじゃない!」

「先生、彼女はそんなことやりません」

「ここでは何だから場所を移しましょう」


 すると、圭は何かに気が付いたようにハッとして圭の後ろの席の実花のもとに向かっていった。


「あなたがやったのね?!」

「え……?」

「あなたが! あなたが私の足下に置いたのでしょう!」

「ちょっと――何を言ってるのか……」


 実花は戸惑ったようにして言った。教室内がざわついた。


「先生! 花坂さんが私の足下に置いたんです!」

「圭ちゃん――」

「こないだ、この子と英さんの友達が彩香に対して嫌がらせをしていたんです! それを暴かれた仕返しにやったんだわ!」

「御坂、とにかく今はここで話すことじゃない。来なさい」

「……」


 圭は唇を震わせた。彩香は先生に訴えるように、


「待ってください。先生、本当に彼女はこんなことをする子じゃありません」

「裏に名前が書いてある」

「そんなの――誰かが仕向けたに決まってます!」


 すると天音がパッとその用紙を手に取った。そしてそれを見ながら、


「うーん、カンニングペーパーだとしても、普通自分の名前が書いてある紙なんか使わないよね~」

「とにかく、一旦確認しましょう」


 教師は圭を別室に連れて行こうとしたが彩香が抗議した。


「先生、確認なんてする必要ありません」


 結局圭は教師と共に教室を出ていった。するとその途端、〝彩香派〟の外部生の女子の一人が実花に対して詰め寄った。


「あなた、反省しているふりしてまだあんなことをしたの?!」

「違うわ――私も知らない!」

「嘘! 絶対この間の仕返しだわ!」

「英さん、このことも〝知らない〟っていうの?」


 別の〝彩香派〟の女子の一人が葵の方に向かって言った。


「……知らないわ」

「ふーん、とかげのしっぽ切りって一度きりかと思ったら、何回でも使うのね」

「待って、それは言い過ぎよ」


 彩香がたまらず止めた。


「彩香ちゃん、圭ちゃんが濡れ衣を着せられそうになっているんだよ?」

「まだ、誰がやったかなんてわからないわ」


 すると麻美が口を開いた。


「でもこんなわかりやすい手口……まるで葵ちゃんに疑いをかけるみたい」


 また教室内がざわついた。そして葵の現取り巻きたちも、


「……そうよ! あなたたちが葵に疑いをかけるように仕掛けたことじゃなくて?」

「はあ? 何の証拠があって――」

「そのセリフ、自分たちに言えるの?」

「もういい加減やめて!!」


 麻美が叫ぶように言うと、途端に教室内が静まり返った。


「もうやめてよ……そんなお互いに罵り合うなんて……やめてよ……」


 麻美は泣き出してしまった。


「麻美ちゃん――」


 彩香が思わず麻美に駆け寄った。


(……)


 透は泣き出した麻美に対して空恐ろしさを覚えた。これは演技であり、恐らくあのカンニングペーパーについても麻美が綿密に計画していて、筆跡も真似るように指示していたのだろうと思った。



 ◇ ◇ ◇



 帰りのホームルームの時に圭と共に担任が戻ってきた。


「先ほどの世界史の時間にカンニング騒ぎがあったようだが、御坂はカンニングをしていないということで結論付けた」

「当然です!」


 彩香が怒ったように言った。


「ただ、カンニングペーパーがどのような経緯で御坂の足下にあったのかはわかっていない。とにかく、不正は一切なかったということだ。余計な詮索はやめるように」


 担任はそう言ったが、何となく嫌な後味が残っていた。

 ホームルームが終わると、葵は席を立ってすぐに圭の後ろの実花を連れていこうとした。

 しかし当然圭は二人に対して疑わしい声を上げた。


「早速また新たな作戦でも練るの? 私は絶対に許さないからね!」

「……」


 葵は圭のことを少し見たが、何も言わずに実花を連れて教室を出ていった。


「クサナギ」


 いつの間にか透のそばに天音が来ていた。クイッと「行くわよ」と顔で合図したので透も席を立った。

 教室を出て二人の後を追い始めたが、すぐに天音は透を目立たない場所の方へ引っ張った。


「何を――」


 天音は透の腕をつかんだまま数秒じっとしていたが、「さあ行くわよ」と言って再び透の腕をつかんだまま歩き始めた。


「一体何を――」


 すると、妙なことに気が付いた。天音はグイっと透の腕を引っ張って正面から歩いてくる生徒を避けながら歩いている。


「何してんだよ――」

「黙って。私たちの姿は誰にも見えない」

「えっ」


 やがて葵たちに追いついた。葵は実花と面と向かって彼女を問いただしていた。


「貴方がやったの?」

「……」

「答えなさい」

「……」

「沈黙は肯定を表すと言うけれど、その通りなのね?」


 すると実花は絞り出すような声で、


「……葵は、知らない方がいい」

「何それ? どういうことなの?」


 しかし実花は俯くと、その場から駆け出していってしまった。


「彼女を追うわよ」


 天音がそっと言うと二人は実花の後を追いかけた。


「葵はいいのか?」

「今の会話で充分。それに、普通に考えて麻美が実花に確認するはず。葵には何もしゃべっていないか、って」


 天音の言う通り、やがて実花がスマートフォンの画面を確認すると方向を変えて中学校校舎の方へと進んだ。

 そして目立たない場所まで来てしばらく待っていると麻美が現れた。


「何も――しゃべっていないわ」


 実花は麻美が何か言う前に、恐れるように言った。


「うん、そうであることを祈っているわ」


 麻美は微笑んで言った。


「本当に――」

「……」


 麻美はしばらく実花の表情を眺める。時折顔をかしげながら、観察するかのように眺めた。実花は少し震えるように麻美の視線に耐えた。


「ウン、大丈夫みたいだね」


 麻美はにっこりして言った。


「とりあえずあの御坂圭に何となく『カンニングをしたかもしれない』ってイメージも植え付けることもできたし、今回は成功かな」

「……」

「じゃあ、次は葛城院彩香ね」


(……っ!)


 透の身体に戦慄が走る。


「予定通りにお願いね」

「ほ、本当に……やるの?」

「当たり前じゃない。あの女、目障りで仕方がないわ。あいつのせいで変なグループができてる。葵ちゃんが思うように動けなくなる大きな枷だわ」

「……」


 すると、麻美はこれまで見たこともないような邪悪な笑みを浮かべて実花にそっと囁くように言った。


「……男子たちが喜ぶようなあの子のいやらしい動画があれば、彼女は何もできなくなる。そして御坂たちを始めとしたあのグループも完全に解体できるわ。更にその動画をエサに男子たちを釣るの。いい案でしょう?」


 透は思わず動いたが、天音に止められた。


「それだけじゃないわ。葵ちゃんに歯向かった愚かさを骨の髄まで思い知らせるの。彼女が学校を辞めたりして逃がさないようにしてやるわ。もし転校したり、誰かに言ったら動画をネットにバラまくってね。けど私はそれだけじゃとても満足できないだろうから、そうね。彼女とヤリたい男子とか誘ってその動画も撮影してやろうかしら。きっといくらでもいるわ。そして彼女の尊厳をズタズタにしてやるの。二度と立ち直れないくらいに……」


 麻美はそうしたくてうずうずしているかのような、悦に入った表情で言った。実花は彼女の鬼畜極まりない邪悪な計画に震えていた。


「葵ちゃんに歯向かった罪を思い知るわ――あ、でもその前に精神が壊れちゃうか」


 麻美はアハハとわらった。


「じゃあ、当日もよろしくね」


 そう言って麻美が去っていき、実花はしばらくその場に呆然と立ちすくんでいた。

 そして天音も透に合図してその場を離れ、目立たないところに出たところで能力を解除した。


「あいつは狂ってる!」

「そうね。サイコパスといより……葵の存在が絶対で、彼女の障害になることを排除するためなら手段を択ばない。そしてそれを葵の一切知ることのないように裏で済ませる」

「これはもはや犯罪だ。すぐに止めよう」

「いま止めても決定的な証拠にはならないわ」

「けど――もう時間がないぞ」

「……」


 天音は少し考えた。そして、


「……甲麻美という人格を殺すしかないみたいね」

「えっ――殺す?」


 突然物騒な単語が出てきて透は思わず聞き返した。


「ちょっと語弊があったかな。正確には……麻美の思考を上書きするの」

「……合宿の時に言ってた、〝禁じ手〟ってやつか」

「ただ……思考を上書きするだけだから根本的な部分は変わらない。精神を全て上書きするレベルが必要でしょうね」

「そうなると――どうなるんだ?」

「……人格が変わる可能性はあるけど、少なくとも今のような危険な思想を消去することはできる」

「…………」


 果たして重大な問題を解決するためとはいえ、一個人の人格を書き換えてしまうのは如何なものかと思った。


「ただ、貴方もわかっているかもしれないけど、最も有効な方法は麻美に責任を取らせることよ」

「……全てを、暴くってことか」

「そう。それに、この問題を暴くことによって問題になるのは麻美本人だけだわ。葵も責任を感じるかもしれないけど、内々に対処すれば影響を最小限に食い止めることができる」

「……やっぱりそれしかないのか」


 透は深刻な表情でつぶやくように言った。

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