第九話 合宿における作戦計画

 オリエンテーション合宿当日となった。

 校庭で校長先生の話を聞きながら、透はこの合宿でなんとか葵と公平の距離を縮めて丸く収めたいと考えていた。

 一方、葵と彩香との仲は先日廊下で言い合って以来険悪に近い状態のまま続いているが、少なくとも葵が公平との仲を進展させれば、彩香のことなど大して気にしなくなるだろうと期待した。


(ただ、実際高崎のやつは葵のことをどう思っているのだろう……)


 この世界線の葵は性格にやや難はあるが、家は江戸時代から続く医師の家系、名門・英家のご令嬢で、成績も容姿も彩香に引けを取らないほど良い。

 今では彩香に目をとられている男子たちだが、内部生を中心に保守的(=葵派)な男子は学校全体で言えばまだ圧倒的に多数派である。

 しかしながら前回の実力テストにて学年一位の座に輝き、陸上部へのマネージャーとしての入部、先日の風紀委員会活動にて挨拶を行った結果、彩香の存在が次第に他のクラス・学年にも浸透し始めていた。


(葵にとっちゃ、自分より注目される女子なんて一番面白くない存在だからなあ。そもそも同じクラスにしたことが間違いだったんじゃないか)


 現に同じクラスになった葵とは衝突が発生してしまい、やがてそれは〝激突〟へと悪化してしまう可能性がある。

 とはいえ、他のクラスにしたところでいずれ彩香の影響が広まるのは時間の問題だっただろうとも思った。


(ただし、今回もちゃんと作戦は練ってある)


 今回は天音とだけでなく、葵の主な取り巻きたちとも密かに交渉していた。天音の存在は伏せておいて、透は何とか葵と公平を二人きりにする作戦を申し入れた。

 葵の取り巻きたちもそれには賛成で、二日目の夜に二人きりにさせる作戦を行うことにした。


「やっと終わったか」


 校長の話が終わると健一が伸びをして言った。生徒たちはそれぞれ待機している観光バスに乗り始める。

 天音の計らいで葵と公平は近くの席に、自分と彩香はそれぞれ離れた席になった。


「透、とりあえず葛城院さんとの件は一旦チャラにしてやるってことで話はついた」


 バスが出発すると、隣の健一が言った。


「チャラ?」

「雲英氏にも謝意をお届けしたいと思う所存」

「……」


 透は健一たちの強い要望で、事前に天音を通じて透たちの班の男子が今夜彩香のいる部屋に遊びに行くという「予約」を取り付けていた。そしてその成功報酬として、彩香のことを下の名前で呼んでいる件をチャラにしてやる、ということらしかった。

 当然透は理由を付けて行かないつもりである。彩香の班には麻美もいて、もし彩香の部屋に行った場合、それが葵の知ることとなれば致命的な悪影響を与えることになり、作戦も上手くいかない可能性があった。


(……こいつらは気楽でいいよな。こっちはそれどころじゃないんだ)


 透は窓の外の景色を見ながら心の中でぼやいた。



 ◇ ◇ ◇



 ホテルに到着し、一通りの流れが終わるとそれぞれの部屋へと移動した。


「ふう」


 透はカバンを置いて一息つくと、健一が「さてと」と言って班の仲間も一斉に透を取り囲んだ。


「な、なんだよ――」

「尋問はしておかないとな」

「なんだって?」

「結局、どういう経緯で葛城院さんと名前で呼び合うような仲になったんだよ」

「さあ吐け!」

「チャラにするって話はどうなったんだよ!」


 なんか以前も似たような経験があったなと思いながら、


「いや、ちょっと風紀委員の時に一緒に行動していたことが多かったから何となく」

「まったく具体性に欠ける供述だ」

「いいじゃねえか別に――今日夜に葛城院の部屋に行けるんだからその時にワンチャンあるだろ――」


 すると健一たちはピタッと動きを止め、


「そう――おい、今のうちに経路を確認するぞ!」

「よっしゃ」


 健一たちはすぐにホテルの廊下や階段、果ては非常階段などもチェックし始めた。


「……」


 それより透は天音と打ち合わせをしておこうと思った。

 夕食の時、透は天音をロビーに呼び出した。


「明日、葵と高崎を二人きりにさせている間、俺や葵の友達と他のやつらが来られないように見張ることにするけど、先生たちも寄せ付けないようにすることはできるか?」

「先生たちだけじゃなくて誰も近付けさせないようにさせればいいんでしょ? カンタンだよ」


 天音はまかしといて、という感じの笑顔で言った。


「頼もしいな。天使様が味方でいてくれて嬉しいよ」

「そうでしょうそうでしょう。私にひれ伏しなさい」

「……あともう一点。今夜の件だが」

「ああ、クサナギは来ないのでしょ?」

「当たり前だ。けど、事前に約束して遊びに行くってやっぱり葵に知られるとマズイかな」

「うーん、難しい質問だねえ。私たちの班には麻美がいるし」


 天音は腕を組んで考え込むように言った。


「葵が彩香たちの班に送り込んだスパイみたいなモンだろう。葵は絶対に男子が部屋に来たかどうかを甲に訊き出すと思う。それも先手を打たねばなるまい」

「私が思うに」


 天音は説明口調でしゃべり始めた。


「男子たちが来るのは不可避。きっと他の班の男子も来てしまうわ。それを口実に葵には反論できると思うの」

「苦しいな。葵はどんな理由があれ、彩香を攻撃する材料があれば徹底的に叩くぞ。『風紀委員のくせに風紀を乱しているのね』なんて言いかねない」

「なるほどねえ。そうなると〝プランB〟ね。誰も来られなくするしかないわ」

「……ああ、なるほど。要は先生たちに取り締まってもらう、ってことか」

「それが一番楽だわ。まぁ〝プランC〟も使えないこともないんだけど、これは禁じ手っていうか」

「禁じ手?」

「葵に余計な詮索をさせない、ってことよ」

「どんな風に?」

「まあ、〝天使の手〟を使って葵の思考を操作するの」


 天音は左手を掲げるポーズをしながら言った。


「ああ……例のタブーってやつか」


 無論、その方法が一番簡単かつ確実だが、さすがにその方法はためらわれた。


「……でしょう? クサナギの友達には申し訳ないけど、やっぱり私たちの部屋には誰も来させないって案でいきましょ」

「そうだな。健一たちには悪いが」


 というわけで、夜の彩香たちの部屋の訪問は天音の能力で妨害することに決めた。



 ◇ ◇ ◇



 そうとは当然知らずその夜、健一たちはやる気満々だった。


「たとえ先生たちに見つかったとしてもそれを振り抜く覚悟で向かう所存」

「見つかったらその時点で終わりだろ……」

「葛城院さんと仲良くなれるビッグチャンスだからな――よし、そろそろ頃合いか」


 健一は時計を見ながら言った。


「まあ、せいぜい頑張ってくれ」


 透はベッドに横になって言った。


「お前、本当に行かないのか?」

「今日はちょっと疲れて眠いんだ。無念ではあるが明日に備えることにするよ」

「そうか。もったいないな」


 健一たちは慎重にドアを開けて出ていった。


(……)


 かつて彩香のことしか見えていなかった頃の自分ならば、間違いなく健一たちと同じことをしているだろうと思った。むしろ先陣を切っていたかもしれない。

 とにかく明日が重要なのだ。今日はゆっくり休みたいと思った。

 案の定、しばらくすると教師たちに捕まったと思われる健一たちがとぼとぼと部屋に戻ってきていた。今日は更に巡回を強化すると釘を刺されたようだったが、健一たちは明日のハイキングがまだある、とめげなかった。

 健一たちには悪いが、これも葵――果ては自分のため、と心の中でつぶやいた。

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