第五話 葵の素顔
数日後、とうとう実力テストが返却される時が来た。
透は結果を天音から聞いていたので正直この後の展開をあまり考えたくなかった。
彩香が実力テストを返却される際、担任から何か褒められている様子だった。
(……彩香は元々頭がいいからな。けど、それでもまだ元の世界では葵の方が順位は上だった)
「どうだったの?」
返却されたテストを受け取って席に戻ると、葵が上から目線で訊いてきた。
「……いつも通りだよ」
理科だけは良くて、他は平均かそれ以下だった。もちろん理科に関しては、前回の世界線でほぼ満点をとれるようにしていたが、無駄に目立っても面倒なことになるかもしれないので、最初の元の世界の程度の点数に抑えておいた。
「変わらないわね、貴方も」
小馬鹿にしたようにクスクスと笑って言った。
やがて葵も返却されて戻ってくると、何となく答案用紙を見つめたままだった。
そして、ホームルームの終わりの際に校内順位の紙が貼り出されてみると、クラスの空気が一変した。
「すげえ! 葛城院さんやっぱ頭いいんだね」
野口を始めとする男子たちが盛り上がっていた。それを機に彩香の席には何人か集まっていた。
透はあまり見たくなかったが、葵が向かったので一応行った。
すると、天音から聞いていた通り彩香は学年総合一位だった。次いで二位が葵――彼女の表情が目に見えて不機嫌になっているのがわかる。
「……」
葵は何も言わずにその場から離れ、席に戻ってしまう。
あの葛城院彩香に負けたことが屈辱的だったのだろう。常に一位というわけではないがそれに近い順位だったのはわかっていた。
(……)
透は席に戻りたくなかった。
「……一位って。やっぱり受験をしているから有利なんだな」
一応受験生だから、というニュアンスを加えた。
「まあでも、お前はやっぱりすげえじゃねえか。それでも二位なんだから」
「……私のこと、馬鹿にしているの?」
葵は視線だけを透に向けてにらみつけるように言った。
「ち、違うって――俺はただ……」
「……」
それ以上葵は何も言わなかった。
(これは相当怒ってる……!)
透はヒヤヒヤしながらこれ以上触れないことにした。
その後、葵の取り巻きたちは葵のご機嫌をとるかのように彩香に対しての悪口を言い合っていた。
それでも葵はほとんどしゃべらず、機嫌は悪いままのようだった。
「……」
彩香の席の方を見ると、公平を含めて一緒になってしゃべっている。
(高崎よ……葵の機嫌がどんどん悪くなるから彩香と一緒にいるのはやめてくれ)
我ながら勝手なお願いだと思った。
更に悪いことに圭が透の席にやってきて、
「草薙くん、今日ヒマ?」
「え?」
「彩香と、高崎くんと、夕菅くんとみんなで一緒に帰りにカラオケでも行こうかなって思って」
「ああ……えっと、天音は?」
「天音ちゃんは何か用事があるんだって。ねえ、行かない?」
「……すまん、俺もちょっと用事があるんだ」
「そうなんだ。残念。じゃあまた今度行こうねっ」
圭はそう言って彩香の席に戻った。
「あら? 仲良しの雲英さんと予定でもあるのかしら?」
隣から葵の声が聞こえた。
「そんなものはない。あ、そうだ。今日は俺とどこかに行かないか?」
「はあ?」
「ほら、春休みは映画楽しかったな。『最果てのアクアリウム』――そうだ。水族館でも行かないか? あれのコラボとか確かやっていたような――」
「貴方、今日は用事があるんじゃないの?」
「いや、俺はああいうリア充の空気にはなじめなくて。それより付き合いの長いお前の方が楽しいからさ」
すると透の思惑を察知した取り巻きの一人が、
「そうだよ――葵、ちょっと行ってみたいかもって言ってたじゃない。草薙くんと行ってきたら? コラボ期間もそのうち終わっちゃうしさ」
(よし、ナイスアシストだ)
「…………」
葵は髪をいじりながら考えて、
「そうね。せっかく貴方も映画を観たことだし、行ってみましょうか」
「よし、行こう!」
透はほっとして早速席を立った。葵の機嫌をどうしたら直せるか半ば思い付きのままやけくそ気味に誘ったが、上手くいったようだ。
「やっぱり貴方もあの映画が良かったって思っていたのでしょう? 小説も読むといいわ。帰りに私の家に寄りなさい」
葵は水族館に向かう車の中で、ひたすらに透に映画の話をしていた。
(元の世界の葵はよく教室で小説を読んでいたからな。きっとこの映画の小説だったんだろう。けど、本当に小説が好きなんだな。やっぱり根本的な中身はきっと同じなんだろう)
何となく嬉しさを覚えつつ透は葵を見ていた。
◇ ◇ ◇
水族館のある商業ビルに到着すると二人は車を降りた。
「高速からそのまま繋がっているとは」
「ほら、行きましょう」
葵はここへ来たことがあるのかさっさと歩き始めた。
すると、映画とコラボした店などがあり、たちまち葵はそちらに興味を惹かれた。
「まあ、よくあるグッズ売り場という感じかな。しかし、いきなり完結編から観てしまったのも惜しい気分だ。結局流れもあまりわかっていなかったし」
「けど貴方はこの映画にどうしても行こうとしなかったじゃないの。人がせっかく誘ったのに」
「え? ああ――その時はちょっとあまり興味出なくて」
(なるほど――やっぱり誘われていたのか。まぁ何度かあのVIPルームには来ていたみたいだけど……だからこの間はあんな風に半ば強引に――)
「けどこの間の映画のおかげで興味は出てきたよ。順序は逆になってしまったがな」
「そうでしょう?」
続いて水族館の方にも入った。
「水族館なんて初等部以来かもしれないわ」
「マジかよ――」
「だって水族館なんてそうそう行く機会なんてないじゃない。普通、恋人同士とか――」
葵は言いかけたところで言葉を止めた。
「大丈夫、わかってるって――別に俺たちは恋人同士とかじゃなくて、ほら、映画ファンの一人として来ただけなんだから」
透はあわてて言葉を継いだ。
「わかってるじゃない――良かったわ、貴方が変な勘違いをしていなくて」
「そりゃどうも……」
(本当は高崎と来たかったんだろうな……よりによってアイツは今ごろ彩香たちと……)
すると、着信が入っていたことに気が付いた。見てみると天音からで、『やっほ~ 葵とのデート楽しんでる?』とあった。
「……」
あいつは本当に物事を深刻に受け止めているのだろうか、と透は思った。というか何故葵と一緒に出かけたことを知っているのだろう。
水族館を出て、とりあえず葵の機嫌はそこそこ戻ったようで透は安心した。
◇ ◇ ◇
夕方過ぎ、車は家の方に戻り、葵の家のロータリーまでやってきた。
(この世界線で葵の家に入るのはこれで二度目、か)
この間と同じ応接部屋かと思いきや、どうやら違うらしい。
(って、葵の部屋か?)
過去に葵の家には健一と夏休みの宿題などを手伝ってもらうときに何度か行ったことはあるものの、恥ずかしいからという理由で彼女の部屋には入ったことがなかった。
葵に案内された部屋は彼女の私室らしく、普通に勉強机や本棚などがあった。そして、このだだっ広い部屋には映画やドラマでしか見たことのない、天蓋付きベッドがあった。
本当にお嬢様が眠るようなベッドで、薄いピンクが基調でありつつ大人らしい雰囲気のデザインだった。
(は、初めてリアルで見た――屋根付きベッド……!)
「どうぞ座って頂戴」
葵に促されて座ったものの、元の世界の葵もこんなベッドで寝ているのだろうか……なんて想像してしまった。
(――って、そうじゃない! それよりも葵のやつ――自分の部屋に俺を入れることに抵抗はなかったのか?)
普段のプライドの高さといい、自分を邪険に扱う態度といい、意外だった。
けれども葵は気にした様子もなく、早速『最果てのアクアリウム』の原作である小説をまとめて持ってきていた。
「全十五巻か。さすがボリュームあるな……」
「絶対面白いわ。貴方に差し上げるから是非読んで頂戴」
「そうか――ってあげる?」
「ええ」
それが? という表情をしている。
「いや――い、いいのか? お前のお気に入りの作品だろ?」
「いいのよ。もう私は充分読んだし。それより貴方に読んでもらいたいわ」
よっぽど自分に読んでもらいたいのだろう、葵は透に小説を渡した。
「あ、ありがとう。早速今日から読むよ」
「嬉しいわ」
なんとかカバンに十五冊の小説を入れて透は葵の家を後にした。
「重い……家が近くで本当に良かった」
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