これは手紙なんかじゃない ー世界を歩く射手座
とりあえず残る金はあと少し。
帰る金はどうにか残してあるけれどジリ貧には変わりない。
自分にしては計画を練ったつもりだったけど、周りからは多分ありったけのものを持って飛び出したように見えたかもしれない。みんなはきっと、あいつ普段から急に変なことするんだよな、なんて笑っているだろう。ちょっと失敗したか。腕を組んで考えてみたのも一瞬で、まぁいいかと思った。深く考えないところが自分の好きなところなのだけど、あの子のことだけは少し気がかりだ。
いつか観たテレビドラマの旅人に憧れて、俺の軌跡を残すみたいに、ぽつぽつとあの子へ絵葉書を送った。携帯電話は置いてきた。携帯なんてなかった時代に、みんなが生きていられたように、今のところやばい状況に陥らずにここまできた。片言の英語は聞き取りにくかったみたいだけど、運よく日本人に会えたり、日本贔屓のお店の人に優しくしてもらったりと、出会った人々にかなり恵まれたようだ。まぁ自由人と言われる俺でも、死にたくてここまできたわけじゃないのだから、ちゃんと調べて来たんですよ。そもそもの目的の場所が安全な国だったのだからいくっきゃないだろう。ぐずぐずしていたら体が動かなくなるかもしれないし、大地震が起きるかもしれない。何も言わずに出てきたことは申し訳ないと思っているけど、安否確認も兼ねた絵葉書が届いていればそこまで心配かけないんじゃないかな。
あの子にオーロラを見せたい。それだけなんだ。
いつもいつもいつも、まいにちまいにちまいにち、私の心は曇り空だ。
古びたヘッドフォンと古着のチェックのチェスターコート。真っ赤なマフラーを首にぐるぐる巻にして口元を覆う。伸びっぱなしの髪の毛を一つに括ってマフラーの中に仕舞い込む。私の吐く息で黒縁メガネが曇っていく。熱いラーメンを啜った時みたいによぉおく曇る。目の前ははっきりしないけれど、まいにちまいにち曇り空の私にはむしろお似合いだろう。
今年の冬は寒気が強めです。風邪を引かぬように注意しましょうと、朝のニュースで言っていたけど、私は一足に先にひどい風邪をひいた。頭はガンガン痛くて、意識も朦朧としていて、暑くて寒くて体が痛くて、食欲は皆無。地獄のような四日間も、ほぼ眠ってばかりいたらあっという間で、五日目にしてやっと、頭の中がスッキリしてきた。風邪の匂いのする部屋を換気し、外に出た。久しぶりに出た外は、やっぱり曇り空だ。鈍った体を叩き起すべく、いつもより少し遠いコンビニに来たものの、もうなんだかめちゃくちゃに疲れた。どんよりと重い空が、私の頭を地面に押し込もうとしている。ちょっと立ち読みでもと思っていたけど、コンビニで軽食を買ってすぐに家に引き返した。ああ、まだだめだ。
なんかまた具合悪くなった気がする。体を寒さに震わせてアパートまでの道を急いだ。目覚めた時は確かに、あ、もう大丈夫かも、と思ったのに。駅から15分も歩かないと辿り着けないアパートを選んだことすら後悔していた。ついてない。
私の家は、とにかく安さ!で選んだ古いアパートだから集合のポストはない。それぞれの部屋のドアにドアポストが付いているタイプだ。このタイプのポストはちょっと怖い。引っ越してすぐ、急にカタンと鈍い音が鳴った。その音はポストに投函された手紙の音だったけど、なんかめっちゃくちゃ怖い。だって一枚の鉄の扉を隔てて、私の家の前に誰かがいる。壁も薄いから立ち去る足音がないと、なお恐怖が襲う。インターフォンがなったから、ドアを開ける前にドアスコープを覗いてみた。すると黒いのに真っ赤な何かが写った。何だろうと不思議に思っていたが、それは真っ赤に充血した人の目で、向こう側からもこちらを覗いていた。とかいう小さい頃の怖い話。そういう類のものを思いだすのだ。
どうにか帰り着いて、ドアポストを確認すると、チラシが盛りだくさんに入っていた。市報とか廃品回収とか、マグネット水道修理広告だとか。こういうのを放置してたら漫画みたいに、入りきらないチラシが外にも溢れて、やばい部屋みたいに見えるのかなぁ。そんな風に考えながら仕分けをしていると、角の折れた絵葉書を見つけた。特徴的な丸い文字を見て、誰からなのかすぐにわかった。チラシをゴミ箱に捨て、絵葉書一枚を指につまんで布団の上に倒れ込んだ。仰向けになったままそれを天井に突き上げた。明らかに日本のものではない消印はどこからなのか。全然読めない。日付だけが分かった。消印は10日前。バカめ、そうつぶやいて目を閉じた。
スカンジナビア航空でコペンハーゲンを経由して、レイキャヴィークに入った。日本生まれだからなのか島国であるアイスランドは新鮮であるけれど、どこかほっとする雰囲気があった。今日はよく晴れて、空は高く、穏やかな風が吹いている。北欧の寒さに慣れてきても周りの人たちよりは遥かに厚着だ。ただ今日はほんの少し過ごしやすい。
お金はどんどんなくなっていく。うん、そろそろ本当に。
何もかもが刺激的だった。だからいろんなところに寄り道をしてしまった。そしてあっという間に金が底をつきそうになっている。というわけだ。もっと早く来ればよかったなぁと思って、また来ればいいとも考えた。次がいつなのかは俺にはわからないけれど、きっと遠くないうちに来れると思う。がむしゃらに生きていればなんとかなるものなのだ実際は。俺はこの旅を通じて、心の底から思った。旅は人を強く大きくするというのは本当だったんだなぁと感心する。
ここに滞在できるのは2日くらい。それが限界。そのうちにオーロラなんて観れるのだろうかと思うけど、今までどうにかなっている。結局自分の気持ち次第なのである。バックを背負い直して歩き始めた。とりあえずまずは宿を見つけよう。野宿なんてしたら死ぬだろうから、とにかく安い宿にありつかなければ。それが第一優先だ。息が白い。そういえばレイキャヴィークとは、アイスランド語で「煙が出る港」と意味があるらしい。息をふたたび深く吸って吐く。今の俺にぴったりだろう。それだけで気分が持ち上がって、我ながら良い性格だなぁとほくそ笑んだ。そんな部分をほんの少しでもいいから、あの子へ分けたいと思うのはいけないことなんだろうか。
数枚届いた絵葉書は、どこにでも売っていそうなものに私には見えた。
あいつは自分なりの感性みたいのが漠然とあって、それをすごく信用している。(と、いうことに気付いていないことがまた癪にさわる)絵葉書を眺めてつくづく思うけれど、まったく、いつの間にこんな遠くに行ってるんだ。突拍子もないところは子供の頃から全然変わっていないけど、それにしたって、もう私たちだってそんなに自由じゃないでしょうが。でもそういうところが本当に変わっていないのだ。子供だった頃からあいつは全く変わっていない。
私が東京に出てきて数年経ったある日、久しぶりにあいつから連絡があった。しかも電話。電話なんて好きじゃないって言ってんのに。何度言ったらわかるんだ。そんな風に思うのに、律儀に電話に出てしまう自分の性格を呪う。本気で呪う。
電話に出ると気の抜けたあいつの声が二重に響いた。電話越しなんだから急に大きい声を出さないでほしい。うんざりして目線を前に向けると、あいつの声が携帯を押し付けた左耳とさらされた右耳から聞こえた。よりにもよってこんな新宿のど真ん中で、田舎者丸出して、大声を出さないでほしい。駆けてくるあいつに踵を返し、来た道を戻る。待ってよ、ゆきちゃん!ってやめて。ここ東京だから。私に追いついたあいつは一人勝手に喋っている。無視無視無視。
「ね」
急にあいつが私の左腕を引く。思わず立ち止まってしまう。呪う。呪ってやる。
「東京の女だぁ。きれいになったねぇ」
とりあえず一発頭を殴ってやった。痛いじゃないかと、笑っていう声を無視して歩き出す。足音はいつまでもパタパタと、私の後をついてきた。私が時間の無駄だと諦めるまで。
いや、そろそろやばいのになぁ。また買っちゃったじゃないか。そう呟いた自分の声がいかにも嬉しそうで、それにニヤニヤ上機嫌になる。またしても俺はなんて運がいいんだ。街を歩いていたら、フリーマーケットが開かれていた。土日にしかやっていないようで、日本のフリーマケットとは違ってカラフルで可愛かった。
家の中の不用品を集めた玩具箱の中みたいなお店もあれば、企業が出している本格的な店もある。みんな一様に笑顔で穏やかな顔をしていた。結構寒いと思うけど、薄着のおじさんが、酒を飲みながら歌っていた。声をかけられたりしたけど、アイスランド語のようで、何を言っているのか分からなかった。だけど、彼らの言葉は滑らかで、ゼリーが喉に滑り込むように僕の耳にもすんなり落ちた。
ゆきちゃん、今日は何してるのかな。ちゃんと今も、笑ってる?
あいつと私は何もかもが違う。まさか同じ大学にいたと知ったときは気を失うかと思った。私はいつも一人で、あいつの周りにはいつも誰かがいた。一人は楽だと思うから一人でいるけれど、なんか大学生活無駄にしてるんじゃない?とたまに私の頭の中のバカな女が囁いてくる。知らない。無視無視。友達がいないわけじゃない。少ないだけ。それでいい。
ヘッドフォンをつけようとした私の腕が掴まれた。不躾な対応には相応の対応を。
キッと見上げるとそこにはあいつがいた。
「ゆき、いた」
「何、離して」
「ねぇ、一緒に行こうって言ったじゃんよ」
「行くなんて言ってない」
「だめ?」
「やめろその子犬みたいな目、見窄らしい」
「子犬じゃないよ、成犬だよ」
「どっちでもいい。背ばっか伸びただけじゃん、子犬のまんまよ、あんたなんて」
「いいから、行こう、行こうよゆきちゃん」
私の腕はあいつに掴まれたままだった。あいつは文句を言う私のことは全く気にせず、鼻歌なんか歌いながら大きな歩幅でずんずんと歩いた。いつの間にかこんなにデカくなりやがって。子犬なんかより、成犬の方がタチが悪いんだよ。知ってんの。
体に当たる風はとても冷たいのに、顔が熱い。ホンモノってやっぱすごい。
いつもゆきちゃんは俺に、言葉が足りない、ばかだアホだって言ってた。うん。やっぱりゆきちゃん、ゆきちゃんはいつも正しいよ。ホンモノを前にしたら圧倒されちゃってなんも言葉が出ないんだよ。
でもさ、いろんなことを難しく考えて、いつもぐるぐる回っているゆきちゃんも、ホンモノのオーロラを見たらきっと何も言えなくなるんじゃないかな。俺の頭は足りないかもしれないけど、そんな俺の感はいつだってよく当たる。
うん、よかった、ゆきちゃん。ゆきちゃんはどんな時でも絶対大丈夫だよ。意味が分からないとゆきちゃんは言うだろうな。俺も分からないんだけど、俺がいうんだからそうなんだよ。オーロラって薄い布を何枚も重ねて、ふわふわと揺らしたように綺麗なんだ。ゆきちゃんはバカだなっていうと思うけど、俺は多分オーロラに触ったと思う。すぐそこに天使の羽衣みたいにふわふわ飛んでいた気がする。
あ、そういえば、そうだ、あれだ、あれだ。小学校の時のことだ。カーテンにぐるぐる巻きになるのが流行った時があったじゃないか。あの頃からゆきちゃんは大人な女の子だったけど、みんなと一緒に遊んでたよね。冬の始まりと思えないくらいの暖かい日で、教室には陽の光が差し込んでいた。あの時のカーテンとオーロラはよく似ている。そのカーテンは、外が青色、中が真っ白なレースのカーテン。親友のえーこちゃんの手でぐるぐる巻きにされたゆきちゃんは、とってもいい笑顔で笑ってたんだよ。恥ずかしそうに、嬉しそうに。だからゆきちゃんは大丈夫なんだよ。ちゃんと今もいるんだよ。子供みたいなゆきちゃんは。
どうしてうまく生きていけないんだろう。なんであいつみたいに生きれないんだろう。いや、あいつと同じになんて生きたくない。まっぴらごめんだ。ただほんの少し力を抜いて生きてみたいだけなんだ。分かってんだよそんなの。学校を連日休んで、久しぶりに登校したのに、みんなあんたのことばっかり聞いてくる。連絡取れないんだよ、どこ行ったか知らない?携帯も繋がんねーんだ。家にも行ったんだけどさ。知らないって私は何回言った?全部あんたが悪いのよ。大事な友達になんの連絡も入れないで、心配ばっかりかけるのに。それなのに、私に絵葉書なんてよこすから。一緒になって楽しそうにしている仲間のうちの誰一人にも、居場所を伝えないくせに、私にだけ足跡を残すなよ。全く成長していないばかなあいつ。体ばかりがデカくなったばか犬。いつもいつもあんたのことを聞かれるのはうんざりだ。あんたのお節介がないから風邪をひいた。あんたが東京に来なければ、あんたが同じ大学になんて通ってなきゃ、私は私一人でいられた。こんな思いを私させて、バカにすんな。季節外れの椰子の木の絵葉書に、そろそろ帰るかもと書いてあった。それが届いたのは昨日。消印は10日前、そろそろっていつなんだよ、あほ犬。
カメラくらい持っていなくてどうするつもりだったんだと笑われた。残さない、目に焼き付けて、帰ってから話すんだ。というと、ロマンティックなやつだとみんなが笑った。そのうちの一人がポラロイドカメラで写したオーロラを渡してくれた。せめてこれくらい持っていけとそんな風にいう。目に焼き付けるのは本当だけど、頂き物は大事にする主義なんだ。
俺はありがたく頂戴し、バックを開けた。ここまできて、俺がもらったものが沢山バックの中に入っている。小さな子供が書いてくれた似顔絵や、ホットドックのパッケージ、道端に落ちていた美しいガラス破片。絵葉書では送れなかったものばかり。そして、それはみんな、ゆきちゃんの好きそうなものばかり。知ってるよ。本当はくだらなくて小さくて、暖かくて涙が出そうになるものを、ゆきちゃんは美しいと思うことを。
ゆきちゃん、俺分かっちゃったんだよ、ゆきちゃんには俺が必要だよきっと。よくわからないし、説明はできないけど、分かったんだよ。俺がいるから大丈夫だ。
取り出したノートのページにオーロラの写真をそっと挿んで、悴んだ指先でバックの紐をぎゅっと閉めた。大きく息を吸い込んだ俺は、暗い空に向かって、白い煙を勢いよく吐き出した。
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