いけるところまで、とりあえず ー双子座のあたし
窓から見た空は暗く、家の中は静まりかえっていた。
少ない荷物で身軽にしたつもりだけど、それなりの量になっちゃったな。
何回乗り換えただろうか。とりあえず遠くへと、目の前に来た電車に乗り込んで終着駅まで行った。次の電車が家の方向に戻らないように路線を調べまくって乗り換えを繰り返した。スマホの履歴を見れば何に乗ったかわかるけど、今はスマホとかどうでもいいって気持ちになってる。
卒業旅行だと母親には説明してある。あたしが数日帰らなくても親から連絡が来ることはないだろう。干渉しない母に対して寂しい気持ちになった頃もあるけれど、今は感謝しかない。あたしって意外と行動力があったんだなぁと驚いている。正直前日まで迷っていたのだ。起きられたら考えようと思って眠ったけど電気をぱちっと点けたみたいに目が覚めた。起きた瞬間昨日まで迷っていたことをすっかり忘れ、行かなきゃと思った。
高校生活ってなんだかんだあっという間で、あっけなかった。
「自由に選べる時代なんだから、後悔しないように自分の道は自分で決めなさい。」
これは担任の先生の口癖だ。いつどんな時も『先生』と名札に書いてありそうな人だ。クラスメイトはうざいって顔を隠しもせず聞き流してたけど、あたしたちのことを思っているんだってことはわかったし、嫌な人じゃない。まぁあたしも、うるさいなぁとは思っていた。それは先生の言うことがよくわからなかったからだ。でも卒業を前にした今ならなんとなくわかる。
もうすぐあたし達は就職したり進学して高校の外へ出ていく。先生が言うようにみんな最終的には自分で自分の道を決めた。でもそれは、後悔しないように選んだのか、選んだ選択肢の先に後悔がないのかは、わからないでいると思う。
「瑞稀は進路どうすんの。」
高二の夏。プールに行った帰りの電車で遙にそう言われた。今までも何回か同じ話になったけれど、全員有耶無耶な感じで茶化していたから深い話はしてなかった。
「うーん、まだ何も決めてないなぁ。」
「なにも? なにかは考えてるでしょ?」
「わたしも考えてないわ、全然。 そういう遙は考えてるの?」
隣に座る涼子が言う。
「んー、そろそろ考えなきゃなーとは思うんだけどさぁ。」
そう言って遥は湿気の残る毛先をクルクルと指に巻きつけた。遥の髪の毛が傾きかけた夕焼け色に染まる。ヘアカラーを繰り返して髪の毛は既に痛みきっているけど、それが女子高生の証なんだと常々言っていた。
「考えてなぁいってみんな言うけど、そんなこと言ってなんとなく決めてる気がするんだよねぇ。」
「別に人のことなんてよくない?」
涼子は呆れ顔で遙を見る。遙と涼子は同じ中学でずっと仲が良かったらしい。かなり正反対な二人だけどそれが逆に相性の良さを際立たせていると思う。
「よっくなぁーーい、だってなんか怖くなぁい?」
「怖いってなに。」
「怖いは怖いの!」
むくれる遙からは、つけたばかりのレモングラスの香水の匂いがした。
「瑞稀、怖くない??」
「うーん、なんとなくだけどわかる気がするかな。」
「でしょ??瑞稀ちゃんわかってる!!」
「瑞稀は遙に甘いからね。」
「もうっ!!」
いつものやりとりにこの三年ですっかり馴染んだ。心地いいなぁと思う。
「まだいいんじゃないかなぁ。 よくわからないけど。」
そう言ったあたしの顔を遙と涼子が覗き込んだ。あたしはにこりと笑う。
「・・・ま、だーよねぇ、瑞稀はおっとりさんだもんねぇ。安心するわぁ。」
「そう?だってよくわからないもん。」
「またそれか。」
涼子がケタケタと笑い、遙も笑う。それにつられてあたしも笑った。
最初に電車を降りたのは遙で、次の駅で涼子が降りた。また明日学校で会えるのに、永遠の別れみたいに大きく手を振りあって別れた。二人が降りたあとの電車にはあたししか乗っていない。
日曜日の夕暮れ。田舎の電車。まだ夕陽は落ちきっていないけど、遠くの空には闇が迫っていた。
体の奥底から息が漏れて肩の力が抜けた。持っていた鞄を抱き顔を伏せると、あたしの体は塩素の匂いがした。ちゃんとシャワーで流したのに。
二人のことがあたしは大好きだ。高校に入学してから三年間ずっと同じクラスで、大きな喧嘩もせず卒業を迎えようとしている。同級生との諍い話も小さな失恋も、くだらない馬鹿話もなんでも話した。
でも、大学に行くと決めていたことは言わなかった。内緒にしようってことじゃない。あたしも絶対大学に行くって言う確固たる目標なわけじゃないし、就職はまだ不安だったし、勉強自体も嫌いじゃないからざっくりいえば消去法みたいなものだった。ただ、あたしはよくこんな風に苦しくなる。大好きな人と一緒にいても疲れてしまう瞬間がある。楽しい気持ちも大好きな気持ちももっと遊んでいたい気持ちも本物。ただ、頭の中の沢山の気持ちと言葉をちゃんと伝えられない。それに多分ほんとのほんとまで伝わらないって思っちゃう。だから言わない。言えない。
あの時の二人も不安だったと思う。クラスの子たちもなんだか将来に向けてそわそわしていたし、人生の大きな分岐点だとそれぞれが気付いていた。だからこそ考えてないって言ってあげたかった。安心させてあげたかった。あたしが本当のことを言わなければ、笑って楽しい一日で終われるから。
でも、これは優しさじゃない。きっと。
こういう気持ちになるたび先生の言葉が頭の中を駆け巡る。こんなあたしが自分のことを後悔しないようにちゃんと選べるんだろうか。
夏の熱気が、扇風機によって攪拌されていく。もうすぐ夜が来る。この時間があたしは少し苦手だ。
結局遥は専門へ、涼子は地元の短大に進学する。そしてあたしは東京の大学に行く。東京へ行くと言ったとき、二人は驚いていたけど、すぐに応援してくれた。遙なんて今から寂しいと言って泣いてくれた。二人の気持ちがすごく嬉しかった。けど、同じくらいに悲しくなった。その悲しみの正体が何なのかはわからないのだけど。
ドアが開くと海の匂いがした。あの夏が戻った気がして咄嗟に電車を降りた。最近続いていた曇り空とは打って変わって、日差しは暖かく穏やかだった。少しだけ目が眩む。ここから海は見えないけれど匂いは間違いなくしていた。ホームを歩いて階段を降りる。駅員さんに切符を見せて一つだけの改札を出た。観光地なのかわからないけれど、駅に少しだけ街のリーフレットがあったからいくつか貰った。あたしみたいな荷物を持った人は一人もいなくて、お年寄りがゆっくりとあたしの目の前を歩いていく。朝から何にも食べてないことに気づいたら、急にお腹が減ってきた。よし、行く先は腹ごしらえしてから決めよう。ここを散策してもいいし、気が変わればまた電車に乗ったっていい。曇りかけていた気持ちが徐々に晴れていく。今は本当に一人で、自由なんだと思ったら少し心が軽くなった。一呼吸ついて荷物を背負い直し、あたしは歩き出した。
駅から少し離れたところにかわいいカフェを見つけた。そこでお昼を食べることにする。お店の中は温かみのある新しい木の匂いがした。どうぞと明るい声に促され、席に座る。店員さんは女性一人だけだった。カフェで食べるものは決めている。メニューを確かめてから、ナポリタンと紅茶を頼んだ。
いい匂い、いい天気。じゅうじゅうと食材を炒める音。それだけで遠くにきたんだと思った。しばらくぼぉっとしていると、ナポリタンと紅茶が運ばれてきた。お待たせいたしました。さっきとおんなじ明るい声がいう。目が合うと店員さんはにこっと笑った。紅茶を一口飲んで、フォークにパスタを巻きつける。輪切りにされたウインナーと、細い玉ねぎ。縦長に切られたピーマンにケチャップでつやつやしているパスタ。食べる前から大正解のナポリタンだ。食欲が湧き出てきて夢中で食べた。口の中に広がるしょっぱい味が体中に力を巡らせてくれる。思わず笑みが溢れた。
あっという間に食べ終えてしまって満足したお腹をさする。美味しい食事は心を落ち着かせてくれる。気持ちいい日は幸せだ、と思う。紅茶を飲んでからさっき駅でもらってきたリーフレットをパラパラと捲る。特産品のフルーツがあるらしい。ちょうど今が食べ頃だと書いてあった。それを食べにいくのもいいかもしれない。小さな街みたいだけど意外と楽しめそう。やっぱり海もあるみたいだから海にいくのもいいな。胸がわくわくで膨らんでくる。お腹を満たすってやっぱり大事だ。
二冊目のリーフレットのページを捲ると、雄大な山の写真の真ん中に空中散歩と書いてあった。写真の下に小さく住所が書いてあって、予約なしでOKと書いてある。空中散歩って何だろう。気になる。うん、時間に縛られない旅なんだ。とりあえず行ってみてもいいかもしれない。こういうときはひらめきが大事。
店員さんが、駅前のバスに乗り四つ目のバス停を降りてすぐだ、と教えてくれた。リーフレットにバス停のことを書いてくれればわかりやすいのに。店員さんにお辞儀をしてカフェを出た。自動販売機で飲み物を買ってバス停へ向かう。バスはすぐやってきてスムーズに乗ることができた。バス停の時刻表を見ると次は三十分後だったから運がいい。バスの中も地元の人らしき数人が座っているだけでかなり空いていた。
乗っていてわかったけどバス停の一つ一つが意外と長い。鞄をまさぐってイヤホンを取り出そうとして思い出した。そういえば家に忘れてきたんだった。気づいた時に、家に戻ろうか迷ったけどどこかで買えばいいやって思って戻らなかったんだ。何しようかと思ったけど、のんびり外の景色を眺めることにした。電車やバスの音とか鳥の鳴き声とか、いつも聞かない音ばかり聞こえるのもたまにはいいかもしれない。
ブザーを押してバスを降りると、リーフレットで見たのと同じ山があたしを見下ろしていた。どうやら海と反対の山の麓近くまできたみたいだ。バス停の看板に空中散歩はこちら、と矢印とともに書いてある。この道を少し歩いた先にあるらしい。見晴らしの良すぎる道を歩いていると程なく小屋らしきものが見えてきた。近づくにつれ古びた小屋に不安を覚えた。突然子供が一人やってきたら不審がられないだろうか。定休日とかかもしれないし、誰もいないかもしれない。辿り着いてしまった小屋の前で考えていると、小屋の扉が開いて、おじさんが出てきた。
思いっきり目が合った。まずい、と思ったけれど遅かった。
「お客さん?」
「あ、いえ・・・」
「あれ、違うの?旅の人かと思ったのに。」
遠慮なくあたしを見ておじさんは言った。旅の人ってかっこいいと不覚にも思ってしまった。
「君、観光?」
「あ、あの、駅でもらったリーフレットに住所があって。」
「あれみて来たの?へぇー・・・載せる意味ないと思ったんだけど来たなぁ。あれさ、載せろって息子がうるさくてさ。そんで載せたら載せたで場所の説明をなんで入れないんだって怒るんだよなぁ。」
「はぁ・・・」
「で、やるの?」
「え、何を。」
「何をって、パラグライダーね。」
「・・・パラグライダー。」
「あの紙に書いてあるじゃねぇか、面白い子だな。」
パラグライダーなんて書いてないわ、空中散歩だわと思ったけど口には出さなかった。何も考えず誰にも聞かずあたしもここまで来たわけだし。
今まで考えたことがなかったけれど、これはどういう構造になってるんだろう。なんか製造基準とかあるのかな。よくこれで人を乗せていけるよな。危なくないのかな。誰か教えて・・・。遠くへ行きたいと望んだはずなのに少し心細い。
あたしはロープーウェイに乗っているのだ。これでパラグライダーをする場所に行くらしい。まぁまぁと促され、小屋に入ったあと、名前や住所とかなんか書いて、道具とか色々な説明を受けて、あんまり綺麗じゃない着替えを貸してもらって、じゃあ行こうかみたいな感じで。
こんな話をしたら、流石のうちの親も心配するかもしれない。見知らぬ土地で見知らぬおじさんと二人でロープーウェイに乗っているのもそうだし、説明をよくわからないままにしているのも危険かもしれない。
ただ何となく朝の時点で予感はあった。流れ流れて飛ばされるみたいに何処かにたどり着くような気がしていた。なるようになるかも。多分、このおじさん悪い人じゃないし。・・・多分。
だけど、山の頂上らしき場所にあっさりついてしまって、いろんな装置をつけられたらめちゃくちゃ怖くなってきた。
「じゃあ最初は後ろ引っ張ってるから、駆け足してみて」
「駆け足・・・」
「そうそうその場で走って。」
言われた通り駆け足をする。おじさんがあたしについている名前も知らない金具みたいなのを引っ張っている。なんか運動部のトレーニングみたい。足腰強化運動?運動部入ったことないからわからないけど。なんか笑える。
「オーケーオーケー、そんな感じ。このまま一緒に走ったらいつの間にか飛んでるからさ。あっちの方ぐるっと回るからね。」
おじさんが指をさす。さっきまであたしが居た小さな街がさらに小さく見えた。
「待ってやばい、怖いです。」
さらに恐怖が湧いてくる、なんであたしここにいるんだ?
「はじめはみんなそう言うよね!でも大丈夫よ!」
みんないうって言葉こそ全く信用ならないんだけど。
そうこうしているうちにあたしの体はどんどんおじさんとくっついていく。今までこんなに男の人と密着したことあったっけなんて考え出して頭がぐるぐるしてきた。
「はい、じゃあ手を前に伸ばして、今いい風きてるよ。」
いい風。そう言われて初めて、力強い風く柔らかな風が吹いていることに気づいた。
「いくよ。」
おじさんの足が動いたのがわかって、ハッとして練習と同じように山の傾斜に任せて走る。足もつれないか?なんて思った時には足元から地面の感覚がなくなって、あ、と思ったら空に飛び出していた。
あたしの靴に大きな翼が生えたみたい。魔法使いになったみたい。
後ろからおじさんが大きな声で何か言っているけど聞き取れない。
あたしは空を飛んでいる。風があたしを追い抜いて、追い抜いたと思ったらすぐあたしに向かってくる。あたし自身も風に向かっている。そしてあたしの体が、新たな風を生んでいた。
今までテレビで見たことのない美しい景色を見て、言葉が見つからないだとか、感無量だとか言っているのを見ても、何にも感じなかった。
テレビみたいな人生は、あたしには起こらないって頭の隅で思っていたことにはっきりと気付かされた。
このあたしの気持ちを、的確に言葉に出来る日は来るんだろうか。
あたしは確実に空を飛んでいて、空中を散歩している。風に抱かれ空に浮かんで、あたしの心はちいさな子供みたいに開けてしまった。それだけはわかる。溢れた涙は風に飛ばされて、頬を伝うことすらない。ただ止まることを知らず流れて、空の彼方へ飛んでいった。あたしは空に生かされていた。
一人だという身軽さに心震えて、自由だって思っていたのに、今すぐ誰かに会いたくなった。誰かにあたしの全てを伝えたくてどうしようもなかった。本当はちっぽけで無力で無防備で、泣き虫で寂しがりで強がりのあたしを。
その時思い浮かんだのは、とても暑かった夏の日の二人の横顔だった。
写真を撮らなくてよかったのかと聞かれた。ほとんどの人が空の写真を撮ったり自撮りするんだそうだ。あたしは何も言わず首を振った。
おじさんがバス停まで私を見送ってくれた。真っ直ぐなおじさんの笑顔にあたしはまた泣きそうになってしまった。
小さなお土産屋さんに入る。二人に手紙を書くと決めたのだ。内容は決めてない。ただ、授業中に回した沢山の手紙とは違う重みが、たった一枚のポストカードにはあると思う。
上手に書くことはできないだろう。だって今、声にもできないから。
それでもいい。当たり障りのない言葉かもしれないけど、この目に写した光景とあの空で感じた気持ちがそのまま届いて、体を追い越した風が二人にも吹くような。そんなポストカードで、手紙を書くんだ。
とりあえず帰りの方向の電車に乗ってみる。いずれにしろもうすぐ夜が来る。ゆっくりポストカードをかける場所を探して、今日中に送るのだ。風の向くまま電車の光が届く場所まで。さぁ、今夜はどこに行こうか。
一人で行ったの?なんで誘ってくれなかったの!って遙は言うだろう。涼子はそんな遥を宥めるだろう。手紙が二人に届いたら写真を見せてとせがまれるはずだ。一枚も撮ってないって言ったら呆れるだろうか。もったいないというだろうか。今度は三人で行こうねって言おう。離れ離れになるのはもう少し先だ。あたし一人だけの卒業旅行はもうすぐ終わり。次は三人の卒業旅行だ。
あの夏の電車で大きく手を振ったみたいに今度こそ本当に離れても、再会した時には昨日ぶりだねって言えるように、三人で空を飛びたい。それで馬鹿みたいに沢山笑って、捨ててもいいくらい写真を撮るんだ。
あたしの道を自分で歩けるようになったら戻ってくるから、その時もまた一緒に飛んでくれる?
そう言うんだと、あたしは思った。
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