第3話 窮地

「ない……」


「ない?」


「……いや、あたしもクリスちゃんの仕業じゃないかと思ってたけど、やっぱりかよ」


 かつて、俺の自室だった場所。

 絨毯の下に、死霊魔術のための魔方陣が描かれた部屋の収納――そこを見て、俺は絶望すら感じていた。

 そこには本来、偽の銀貨――クリスが複製したそれが、壺一杯に入っていたはずだったのだ。魔術で複製したものだから、決して使ってはいけないと、壺は厳重に封をしてあったはずだというのに。

 その壺そのものが、ない。


「順を追って説明しろ、ジン」


「……はい、お師匠」


「まず、市井に出回ってる偽の銀貨……そいつを作ったのは、クリスちゃんなんだな」


「……そうです」


 一つ一つ、順を追ってエレオノーラに説明をする。


 あれは、我が家が困窮に喘いでいたときだ。

 クリスが、「これ、ほしいの?」と言って、あっさりと増やしてみせた銀貨。それが魔術――『複製コピー』によるものと分かって、驚愕すらした日のこと。

 だが俺は複製コピーの魔術によって作られたものは、鑑定眼ジャッジアイを使うことで偽物だと分かることを知っている。だからといって偽物の銀貨を消すことができなかったため、仕方なくこの部屋で保管していたのだ。決して使ってはならないと、厳重に封をして。

 それが、市井に流れてしまっている理由。

 そんなもの、簡単だ。

 エドワードが、使ったのだ。


「アンタは、一応使わないように厳重に封をしていたんだろうけれどね……だがこれは、アンタの責任だよ」


「……ええ。これは、俺の責任です」


「案外、素直に認めるじゃないか。まぁ、事実そうだからね」


「ええ」


 エレオノーラの、そんな厳しい言葉に対しても何も言えない。

 俺は、この銀貨の存在を忘れていた。いや、もしも困窮したときに使ってしまってはならないと考えて、記憶の片隅に追いやったのだ。

 だから、エドワードに領主を譲るという話になったときにも、この銀貨のことは欠片も思い出さなかった。

 そしてエドワードのことだから、俺がいなくなってから屋敷中の家捜しをしたのだろう。その結果、この部屋の物置の中から、壺一杯の銀貨を発見したのだ。そして、金があれば使うのがエドワードという男だった。

 完全にこれは、俺の監督不行き届きだ。


「お師匠……俺はこれから、どうすればいいですか」


「選択肢は二つだね。どっちも絶望的だ」


「はい……」


 指を二本立てるエレオノーラ。

 どちらを選んでも絶望ということだろう。


「一つ、自首する。偽の銀貨を作ったのはアールヴのクリスちゃんだ、って出頭して全部ゲロる。まぁ、アンタは禁固十数年、クリスちゃんは『魔道院』の変態どもの実験動物モルモットになる結果になるだろうね」


「……」


「二つ、自首する。偽の銀貨を作ったのは自分だ、って出頭して嘘を言う。まぁ、クリスちゃんはどうにか雲隠れさせてやるけど、アンタは終身刑だろうね」


「……自首以外に選択肢はないんすか」


「ないね」


 至極あっさりと、そう告げるエレオノーラ。

 どちらの選択肢も、選びたくはない。やっと領主に戻ったというのに、今から終身刑など考えたくもないのだ。それに、クリスがモルモット扱いになることなど耐えられない。

 そんな俺とエレオノーラの話に、クリスはよく分からないと首を傾げ、メイドのイアンナは大きな溜息を吐くだけだった。


「まぁ、絞り出して三つ。知らぬ存ぜぬで通して、『魔道院』の調査を掻い潜る。まぁ向こうさんも、アールヴの存在を確認もせずしてアンタを捕まえることはないだろ。だが、アンタは今までクリスちゃんをろくに隠しもせずに市井にやってただろ? どこかから、フリートベルク領にはアールヴがいる、って噂が流れる。その情報を掴んだ『魔道院』は、間違いなくここに来るだろうね。早くて一月。長けりゃ三月ってとこじゃないか?」


「……」


「この領地を捨てて、逃げ出すというのは? 例えば隣国だとか」


「いい意見だね、メイドちゃん」


「イアンナです」


「だがね」


 イアンナの言葉に、エレオノーラが感心したように頷いて首を振る。

 その選択肢は――。


「そいつは、ようやく軌道に乗りかけてる領地を捨てて、領主のジンがどこかに逃げるってことかい? 疑ってくれって言わんばかりの状況だね」


「……そうですね。出過ぎたことを申し上げました」


「それに加えて、ジンがわざわざ領主に戻った意味がない。次のクソみたいな領主に、ここの運営を任せるってんだろ?」


「……」


 エレオノーラの言う通りだ。

 俺は、よりフリートベルク領の領民たちを楽にしてやりたいと思って、領主に戻った。エドワードには任せられないと、俺は奮起していたのだ。

 そんな状況で、再び領民たちを見捨てて逃げ出すなど、できるはずがない。


「なるほど、旦那様」


「ああ……」


「短い間でしたが、お世話になりました」


「ちょっと見限るのが早くないか?」


 俺に向けて礼をしてくるイアンナを、エレオノーラがそう止める。

 確かに八方塞がりの状況ではあるけれど、そんな簡単に諦めてほしくない。というか、俺が諦めたくない。

 どうすれば、この状況をどうにかできる――。


「あの、お師匠」


「ああ」


「どうにか……できる手段は、ないですか……?」


「自分で考えろ。いつまでもあたしを頼るな」


「……」


 エレオノーラに、ばっさりとそう拒まれる。

 だが、そこでふと疑問が過った。こんな状況でありながら、エレオノーラが余裕そうに腕組みをしていることだ。

 そして何より、俺はエレオノーラに尋ねた。どうにかできる手段はないか、と。

 そのエレオノーラの答えは。

 自分で考えろ。


 つまり――この話には、どうにかできる手段があるということだ。

 俺が、まだ見えていないだけで。


「ありがとうございます、お師匠」


「……いかんね、喋りすぎたようだ。あたしはお口にチャックしとくよ」


「分かりました」


 さぁ、考えよう。

 偽の銀貨は、もう市場に出回ってしまった。つまり、俺が偽の銀貨を作ったことは、もう遠からず発覚するということだ。そうなれば、俺にお縄がかかることは間違いない。

 だから、その最悪を回避するために、俺ができること。


 それを今から、必死に考えよう。

 時間は、あまり残されていないんだから。

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