第27話 譲れない矜持

「……」


 アンドリューさんの言葉に、答えることができない。

 だが、理屈は理解できる。確かに、一度就任した領主を交代させるというのは、なかなか難しいことだ。俺のように自ら譲ることでもない限り、簡単に領主が代わることなどできないのである。

 そんな、代わることのできない領主を、即座に交代させる方法。

 それは、現在の領主が亡くなることなのだ。

 かつて父が亡くなり、俺が領主になったときのように。


「状況証拠としても、整っていますよ。就任してから全く外出されないのは、それだけ重い病を患っているから。雇っているメイドや購入した奴隷の数が多いのは、それだけ日常生活がままならないから。代理人にほとんどのことを任せているのも、エドワード氏自身に陣頭指揮を執るだけの体力がないから」


「……」


「屋敷で享楽に耽っているというのが真実であったとしても、状況証拠としては欺けます。これだけの材料があれば、病死をされたとしても問題ないでしょう」


「……」


 アンドリューさんの流暢な言葉の群れに、俺は何も口を挟めない。

 確かに彼の言うことは、正しい。エドワードが今病死をしたところで、誰も疑いはしないだろう。何せ、『病気で療養していたことにする』と言い出したのはエドワード本人なのだから。

 だが。

 だからといって。

 それは俺に、実の兄を殺せと、そう言っている――。


「……ふぅん。面白いことを考えるじゃないか、町長さんよ」


「お褒めにあずかり、光栄です」


「だが、それはちょいと干渉が過ぎるんじゃないかい? たかが町長が、現領主を暗殺しようって話だよ。この会話が誰かの耳に入れば、それだけでアンタの首が飛ぶ」


「それは理解しています。しかし私は町長です。フルカスの町の町民たちの幸せこそが、私のやるべきことですから」


「そのためなら、手を汚してもいい、ってか?」


「ええ」


 既に覚悟を決めているのだろう、アンドリューさんがそう頷く。

 そんなアンドリューさんに、エレオノーラが示したのは大きな溜息だけだった。


「ジン、決めるのはアンタだ」


「俺、は……」


「アンタがあの兄貴を殺したところで、あたしは軽蔑しないよ。あたしの人生でもベスト50に入る程度のドクズだ」


「……」


 ドクズの知り合いが多すぎではなかろうか。

 ではなく。

 俺が決めねばならない。これからどうするべきか。

 兄を殺し、領主になる――そんな非道を、実行すべきか。


「悪いがジン、あたしは町長に賛成だよ。正式な手続きを踏んで不信任案を受理されたとしても、領主ってのは簡単に交代できない。帝国議会で不信任案が受理されたとしても、その後の手続きも膨大だ。少なくとも、一年は交代できないだろうね」


「一年もこれが続くとなれば、農村の被害は増えていくばかりですね。自衛の力はあるといえ、盗賊がまた現れる可能性もあります。彼らは、金の匂いに敏感ですからね。少しでも栄えていると考えれば、すぐに奪おうと考えます」


「……」


 考える。必死に、考える。

 俺は領主に戻る。そのための早道は、エドワードを殺すことだ。それ以外にない。

 正式な手続きを踏んだところで、決してエドワードは退任しないだろう。エドワードが領主を続けると言い、領民議会で不信任案が可決しない限り、エドワードがその地位を剥奪されることなどない。

 だがエドワードが領主として存在している限り、フリートベルク領の税はそのままだ。農村の領民たちから最低限を残して全て搾取するような、そんな税制のままで領民たちを飢えさせることになる。農村の領民を馬車馬のようにしか考えていないエドワードが領主として存在する以上、この税制は変わらない。

 つまり、エドワードをどうにかして領主から引きずり下ろさなければならない――。


 だが。

 俺は、首を振った。


「暗殺なんて手段は……使いたく、ありません」


「……本気ですか、ジン様」


「自分のたがを、外したくないんです」


「箍……?」


 不思議そうに、俺を見るアンドリューさん。

 だけれど俺にも、譲れない矜持はある。今ここでエドワードを殺すことが、最も解決への早道だったとしても、俺はやりたくない。

 人を殺して地位を得る。

 それは、恥ずべきことだ。そう思っているから。


「兄を殺すことで、確かに丸く収まるかもしれません。でも、ここで人殺しをしてしまったら……俺はいざというときに、『誰かを殺す』ことを前提に考えてしまう」


「それは、一体……」


「敵対してくる相手なら、こちらも敵意を持って返します。無辜の領民たちを害するような輩であるならば、こちらも遠慮はしません。でも……兄を殺してその地位を奪うというのは、違う」


「……」


 俺は、かつてバースの村を虐殺した『聖教』の巡察団を相手に戦った。そして彼らの、決して許すことのできない罪を死をもって償わせた。

 だから、人を殺したくないというわけではない。敵対する相手ならばこちらも全力で戦うし、その結果人が死んだとしても、俺は仕方ないと割り切るだろう。それが肉親であったとしても、俺は戦うことを選ぶ。

 だが、今回の件は違う。

 エドワードから領主の座を奪うために殺す――それは、利己的な殺害に過ぎないのだ。


「なるほど……まぁ、色よい返事は貰えないだろうと思っていましたがね」


「分かっててなんで聞いたのさ、町長さんよ」


「試したわけではありませんよ。これが最も早道だと思ったから提案したまでのことです。ただ、お優しいジン様が承諾してくれるとは思っていませんでした」


「……すみません」


 確かにアンドリューさんの言う通り、最も丸く収まる道だ。

 ただそれを承諾できないのは、俺の我儘でしかない。

 領民のことを第一に考えたいと思っていながら、なんて体たらくだ。


「ですが、勿論代案はありますとも」


「代案?」


「ええ。モカネート領の内乱についてはご存じですか?」


「あー……はい、少しは」


 思わぬアンドリューさんの言葉に、眉を顰めながらそう答える。

 モカネート領は、フリートベルク領の隣に位置するそれなりに大きな領地だ。もっとも、俺が子供の頃に起こった内乱だと聞いた覚えがある。


「モカネート領では、先代モカネート伯爵の子である二人が戦ったとされています。長男ではあるものの、旅芸人に産ませたとされるイドゥム・モカネート。次男ではあるものの、正妻の子であるシュネン・モカネート。先代から長男イドゥムに領主が譲られたものの、それを『妾腹の子が継ぐなど道理が通らない!』と次男シュネンが反乱を起こしたそうです」


「え、ええ……」


「結果的に、次男シュネンに従う兵の方が多く、イドゥムは領主の座を奪われ追放されました。現在もシュネン・モカネート伯爵が領主の座にあります」


「それは、知ってますけど……」


「不思議だと思いませんか? 何故、領主の座を奪ったシュネンに何の罰も与えられなかったのか」


「……」


 確かに、この話のどこにも帝国議会は出てこないし、領民議会も出てこない。そもそも最初に就任した領主の時点で、帝国議会によって許された領主であるはずだ。

 その地位を簒奪しながら、現在も伯爵として領主の座にある――。


「まさか……」


「ええ。そのまさかです」


 震える俺に、とどめを刺すように。

 アンドリューさんは、低い声音で告げた。


「帝国は領地の自治権の一つとして、内乱による簒奪を認めています」


 それは。

 俺が兄と――エドワードと戦争をして、勝った方が領主になれるということ。

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