第26話 絶望、そして

 それ以上兄さんと会話をする気になれず、俺は屋敷の玄関から外に出た。

 そんな俺の心情を察してか、エレオノーラもアンドリューさんも沈黙を保ったままで俺の後に続いた。残された兄さんは「おいおい、どうしたんだよ」などと相変わらず酒臭い息でのたまっていたが、無視して離れた。もうこれ以上、あの声を聞きたくなかった。

 玄関先に鍛えられた体をした黒いスーツの男が立っており、えっ、という目で俺を見ていたが、これも無視してさっさと外に出た。恐らく、あれが代理人とやらなのだろう。一体何を目的で雇っているのかは知らないが。

 そして、屋敷から大きく離れた地点までやってきてから、俺は大きく溜息を吐いた。


「いやぁ、久々にあれほどのドクズを見たねぇ」


「……」


「先程の言葉を、領民が聞けば黙っていませんよ。私の方から領民議会で伝えておきましょう。新しい領主がどのようなお考えであるのか」


「……」


 二人の言葉には、完全に同意だ。

 これ以上兄さん――エドワードに領地を任せれば、遠からずフリートベルク領は破滅を迎えるだろう。これ以上、領民から搾取し続けることを容認することはできない。

 だが、そのために俺に何ができるのか――。


「なぁ、ジン」


「……はい、お師匠」


「アンタは、また領主になるつもりなのか?」


「俺は……」


 こうなってしまった責任は、間違いなく俺にもある。

 領主を任せる折、俺はエドワードの言葉を信じた。どことなく違和感を覚えながら、嘘じゃないかと猜疑心を抱きながら、本当に大丈夫かと不安に感じながらも、信じたのだ。帝国貴族の慣習上、長男が家を継ぐことが最善とされるからこそ、それに従ったのだ。

 その結果、領民たちを苦しめた。そうしてしまったのは、俺だ。

 俺のような奴が、再び領主になろうなど――。


「我々は、ジン様に再び領主となってもらいたいと思っていますよ」


「アンタには聞いてないよ、町長。あたしが聞きたいのはジンの言葉だ」


「……」


 だけど。

 やり残していることは、たくさんある。できなかったことは、まだまだ多い。この現状を知った上で改革できることは、いくらでも浮かんでくる。

 それをするために必要なのは、再び領主になることだ。

 だから、俺は――。


「で、どうなんだい。領主に戻るのかい?」


「……できれば、戻りたいと、思っています」


「あたしの修行は、まだ中途半端だ。言っただろう。あたしはアンタに、全てを教えてやる。あたしの弟子になることを辞めて、領主に戻りたいってのか?」


「……」


 エレオノーラの弟子になり、魔術の道を究めることは、俺の夢だった。

 これから魔術の道を邁進していくことに、心躍っていた。

 だけれど、俺が領主に戻るということは、その道を捨てるということだ。

 どうして、こんなことに――。

 そんな風に、俺が答えあぐねていると、くいっ、と俺の袖が引っ張られた。


「えっ……」


「……」


 俺の袖を引っ張ったのは、クリス。

 相変わらず眠そうな眼差しながら、しかしじっと俺を見つめる。そして変わらずの無表情で、俺に向けて言った。


「ごしゅじんさま、くるしそう」


「それ、は……」


「でも」


 クリスはここで言葉を句切って、それから辿々しく続けた。


「りょうしゅ。ごしゅじんさま、たのしそう」


「……」


「まじゅつ。ごしゅじんさま、たのしそう」


「……」


「どっちも、すれば、いい」


 領主として改革を進めることは、楽しかった。俺のやってきたことで領民たちが潤い、税収が黒字になり、詰んでいた領地を再建させたあの日々は、確かに楽しかった。

 魔術の道を探求していくことは、楽しかった。エレオノーラの弟子として魔術を習い、研鑽し、魔術の研究を行ってきたあの日々は、確かに楽しかった。

 どちらかを捨てる。

 いや、そうじゃない。

 俺は――どちらの道も、極めればいい!


「そう、か……」


「ごしゅじんさま?」


「悩む必要なんか、なかったんだな……ありがとう、クリス」


「はい」


 俺は馬鹿だ。

 領主としても、魔術師としても、一流を極めてみせればいい。どちらかを捨てることなんてせずに、両方を取ればいい。

 その道の先に茨が待っていたとしても、傷だらけになってでも進んでいけばいいんだ。


「アンドリューさん」


「はい、ジン様」


「俺は、再び領主になります。兄のような男に領主を譲るような失態を犯してしまった、俺を許してくれるなら」


「我々は、心から歓迎しますよ」


「ジン!」


 俺の言葉に、エレオノーラが怒気を交えてそう声を上げる。

 だが俺はエレオノーラに向き直り、頭を下げた。


「お師匠」


「おい、ジン、アンタ……!」


「俺は、お師匠の下で魔術を極めてみせます。魔術の道の探求を続けます。お師匠が誇れる、一流の魔術師になってみせます」


「領主の片手間で、やりたいってのか?」


「片手間じゃありません。俺は、どちらの道も極めてみせます」


 真剣な眼差しで、エレオノーラを見る。

 時間が足りないなら、寝る時間も削ってみせる。過酷な試練が待っていようと、必ず乗り越えてみせる。それが茨の道であったとしても、進んでみせる。

 そんな俺の言葉に、エレオノーラは大きく溜息を吐いた。


「ったく……我儘な弟子だねぇ、アンタは」


「お師匠……」


「アンタが領主としてどれほど忙しくなるか、あたしには分からん。領主なんざやったこともないからね。その片手間で魔術を習いたいってなら、はっ倒すとこだが」


 そう言ってエレオノーラは、指を三つ立てた。


「三つ、条件がある」


「はい、お師匠」


「一つ。あたしの課題は、必ず期日までに提出しろ。毎日のレポートもだ。一日たりとも遅れることは許さない」


「分かりました」


「二つ。あたしの身の回りの世話は、変わらず続けろ。何だったら、今アンタの兄貴が雇ってるメイドに任せてもいい。給金はアンタから支給しろ」


「はい」


「三つ。アンタの屋敷にあたしの部屋を用意しろ。帝都に用事があるときには、そこの嬢ちゃんに瞬間移動テレポートを使ってもらってあたしを運んでもらう」


「……クリス」


「はい。わかりました」


 エレオノーラの言葉に、クリスが頷く。

 ひとまず住み込みという形ではなく、エレオノーラが俺の家に住んで指導してくれるという形に変わるということだ。

 それが条件であるなら、全部呑むことができる。


「さて、それじゃ町長さんよ」


「はい、エレオノーラ様」


「何か腹案はあるのかい? 一度領主を辞めたジンが、もう一度就任するってのは難しいと思うんだが」


「ええ、それは勿論です」


 アンドリューさんが、自信満々にそう頷いた。

 そういえば、そこまで考えていなかった。確かに俺は一度辞めたわけだし、辞めた人間がもう一度就任というのは難しいだろう。

 特にそれが、長男を廃して三男が再びという形は、帝国貴族の慣習上も――。


「本来、領民議会で不信任案を提出して受理され、それを帝都の帝国議会で承認を受け、その上で新たな領主を迎えるという形になりますが」


「役所手続きだけで、数ヶ月かかりそうだね」


「ええ。さすがにそこまで待ってはいられませんので、多少強引な手段を使います」


「それは……」


 俺のそんな疑問に、アンドリューさんは真剣な眼差しで俺を見据え。

 そして、少しだけ声を小さくして、続けた。


「エドワード氏は今まで、病気で静養していたということになっています。真実はどうあれ、帝国議会にはそう伝えられているはずです」


「ええ」


「でしたら」


 そこで、アンドリューさんの真意が分かって、ぞくりと背筋に寒気が走った。

 本来、交代することが難しい領主。それを、即座に交代させる方法。

 それは。


「病死したところで、何も不自然ではないでしょう?」


 現在の領主が、亡くなること――。

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