第二部

プロローグ

「ふぅ……」


 俺――ジン・フリートベルクは、執務室の椅子に腰掛けて今期の収支報告の用紙を確認していた。

 俺がこの地、フリートベルク伯爵領の領主になって、早くも二年だ。魔術学院を卒業して十九歳だった俺も、もう成人を迎えて一年が経った。そういえば、誰にも成人の祝いとかされてないなぁ、とかちょっと過ぎて寂しくなった。

 一般的に、成人――二十歳を迎えたときには、家族でご馳走を作って成人の儀を祝うとされている。実際、俺も魔術学院に通学するために帝都にいたが、一度帰省したときにエドワード兄さんの成人の儀があって、一緒に祝った覚えがある。もっとも、当時から貧乏な我が家だったから、ご馳走といっても大したものじゃなかったけどさ。


「……」


 さて、それはそれとして。

 俺が目下考えるべきは、この収支報告の紙だ。勿論、領地の改革は進んでいる状態であるため、収支はしっかり黒字である。バースの村を先駆けとしたスケルトンの労働力は問題なく受け入れられているし、休耕地は限りなく減っている状態だ。前年比で言うなら、収穫量だけなら三倍にまで伸びた農村もある。それだけ、労働力が不足していたという証左だろう。

 そしてヤーブの村で問題なく生産できている綿花に、商会から買い付けた綿花も合わせて屋敷内で工場制手工業マニファクチュアを続けており、綿糸を近隣の領地に輸出しているのも大きい。スケルトンは丸一日働くことができるし、単純作業を続けさせても文句の一つも言わないのだ。せいぜい弊害があるとすれば、俺が寝るときに大広間から糸車の音が聞こえてきて鬱陶しい、くらいのものだろうか。


 ひとまず、これで領地の財政はかなり黒字に傾いた。農村からの税収を得るにあたって、その税率を下げているにもかかわらず、黒字を叩き出しているのだ。今後、もう少し収入が安定してきたら税率を元に戻しても、農村の領民が問題なく生活できるだけの収入を得ることができるだろう。現在の低い税率は、そのための基盤作りだと思っている。

 また嬉しい報告として、幾つかの村に若者が移住してきたのだと聞いた。帝都での生活に疲れた者だとか、出稼ぎから戻ってきた者だとか。カフケフの村では、出稼ぎから戻ってきた若者が嫁を連れて戻り、最近子供も産まれたのだと聞いた。

 全体的に、順調だ。順調に進んでくれている。


「ごしゅじんさま、おちゃ」


「ああ、クリス。ありがとう」


 すっ、と湯気の上るカップが差し出される。

 そのカップを差し出したのは、古代種族アールヴのクリスだ。紆余曲折あってアンデッドになった彼女は、今日も今日とて我が家のメイドである。

 毎日のように淹れているからか、随分とお茶を淹れる腕も上がったらしい。湯気から、芳しい茶葉の香りが鼻腔を撫でる。


「つぎは、なに、するの?」


「ああ……次は、ちょっと考えていることがあってな」


「?」


「今のところ、全ての村に定期便を通しているわけだが……隣のアンドゥー領とモカネート領に、水路で輸出をすることができないかと思っててな」


「すいろ?」


 クリスが首を傾げる。

 これは、俺が以前から考えていた改革の一つだ。

 フリートベルク領には、南北にケイーイ川という大河が流れている。そして南のモカネート領と北のアンドゥー領には、今年から綿糸を輸出しているのだ。ケイーイ川は両方の領土も横断している大河であるため、この二つの領に船での輸出を行うことができないか――ずっと、それは考えていたことである。

 現在のところ、フリートベルク領では最も大きな商会であるノーム商会に、農作物や綿糸を卸している状態だ。ノーム商会から他領の商会に取引され、他領の商会から小売商に取引され、小売商から製造工場などに取引されるという過程を経ているため、どうしても最初の取引で安く買い叩かれてしまうのだ。

 そこで、綿糸に関しては俺と他の領で直接取引を行うことができれば、より利益が上がると考えている。少なくとも、ノーム商会が上乗せしてくる運搬料の分だけは。これが結構馬鹿にならない金額なのだ。


「魚でスケルトンを作れないかと考えていてな」


「おさかな?」


「ああ。魚のスケルトンで船を引っ張る形にすれば、人件費がかからない。もっとも、魚にどう命令すればいいか分からないけどな」


「めいれい……きく?」


「分からない。ま、それも実験してみてだな」


 今夜は、鮮魚店で魚を買うかな。それでスケルトンを作ってみよう。

 これで上手くいけば、水路による輸出が――。


「ん……?」


 小さく、ドアノッカーの音がごんごん、と響いた。

 ちゃんと奥の部屋にいても聞こえるドアノッカーは、叩かれた瞬間に扉の近くにいたら耳を押さえるくらいにうるさい。その分、ここにいても聞こえるから善し悪しだが。

 とりあえず来客のようだし、俺が出るとしよう。


「おきゃくさん?」


「ああ。クリスはここにいてくれ」


「はい」


 室内では、クリスの長い耳はそのまま晒されている。さすがに外出するときにはフードを被せているものの、家の中でまで隠していないのである。

 だからまぁ、来客の相手をするのは俺だ。もしも不埒な輩がやってきて、アールヴであるクリスの希少性に気付いてしまったら、そのまま攫われてしまう危険だってあるし。

 もっとも、この領にそんな不埒な輩はいないと思うが――。


「はいはい」


 ごんごん、とまだドアノッカーに響く音に辟易しながら、扉へ向かう。


「どちらさまで……」


「ジンか?」


「……?」


 そこに立っていたのは、男性。

 俺よりも拳二つ程度低い背丈に、横幅は俺よりも大きい。優しく言うならふくよかで、悪く言うなら太っている男性である。だがその顔立ちは亡き父さんによく似た鋭い眼差しに、射貫くような瞳。

 肩ほどで揃えたくすんだ金色の髪と、焦げ茶の瞳――それは、俺が産まれたときから近くにいた姿。


「エドワード、兄さん……?」


「ああ……久しぶりだな。ジン」


 俺の兄にして、俺がここにいる最大の原因を作った男。

 パン屋の娘と駆け落ちして、俺が魔道の道を諦めて領主にならざるを得なかった、その原因となった長兄。


 エドワード・フリートベルクが、そこにいた。

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