第1話 兄の帰還

「おちゃ」


「ああ、ありがとう……何だジン、メイドを雇っているのか」


「あー……雇ってるわけじゃないんだけど」


「どういうことだ?」


 応接間。

 俺とクリスしか暮らしておらず、来客もほとんどない我が家では、正直持て余していた部屋の一つだ。一応、親父が存命のうちには来客とかもあったらしいが、俺が継いでからは来客など全くと言っていいほどない。せいぜい、時々町長のアンドリューさんが来る程度だろうか。

 そんな応接間の対面するソファに、俺とエドワード兄さんが座っている。そして中央でお茶と焼き菓子を提供しているのはクリスだ。

 兄さんはクリスの長い耳に僅かに眉をひそめていたが、特にそれ以上何も言うことなく、俺の案内に従って応接間に来てくれた。


「まぁ、色々あって。俺が面倒を見ているような感じ」


「へぇ……随分と羽振りがいいみたいだな」


「そんなに良くはないけど。大体、最初から借金まみれだったのは兄さんだって知ってるだろ」


「まぁ、な……」


 兄さんがへへっ、と苦笑してお茶を啜る。

 俺も別に兄さんと喧嘩したいわけじゃないが、それでも一言物申したい気持ちはあったのだ。継いだ瞬間から詰んでいる領地を与えられたわけだし、領主になるために魔道の道を諦めなきゃいけなくなったし。

 エドワード兄さんと会ったの自体は兄さんの成人の儀以来だから、三年ぶりくらいになるだろうか。あの頃は、今よりもう少し痩せていた気がするのだけれど。

 むしろ、父さん譲りの鋭い眼差しは、人相の悪さすら感じさせるものだ。


「それで、兄さんはパン屋の娘と駆け落ちしたって聞いたけど……」


「ああ……俺だって、そんなつもりはなかった。だが、マチルダとの結婚を父さんに報告したら、反対されたんだ。庶民の娘を嫁になど迎えられるものか、ってな」


「そうだったのか」


「ああ……」


 兄さんが言い訳のように、そう言ってくる。

 だけれど、時系列からするとおかしな話だ。俺の聞いた話では、父さんが事故で亡くなって、兄さんが領地を継ぐという段階になってから駆け落ちしたのだと聞いたのだから。

 どう考えても、詰んでいる領地を継ぎたくなかったから駆け落ちしたのだろうと、そう思っていたのだけれど。


「それで、奥さんは?」


「俺の恥を晒すことになってしまうが……あいつは、逃げたんだ」


「逃げた?」


「ああ。最初から、マチルダは俺の地位にしか興味がなかったんだよ。伯爵家の令息って、それだけしか見ていなかったんだ。俺の、女を見る目が足りなかったんだろうな。今は反省しているよ。あんな女に惚れた俺が馬鹿だったんだ」


「……」


 はぁ、と大きく溜息を吐くエドワード兄さん。

 だが正直、実の兄を疑いたくはないが、妙な話に思える。

 そもそもフリートベルク領自体が詰んでいる領地だし、肉屋の親父にからかわれるくらいに貧乏だった伯爵家だ。

 そんな状態で、伯爵家の令息だったエドワード兄さんと駆け落ちしたわけだから、最初から分かっていたことじゃなかったのだろうか。そもそも駆け落ちしたわけだし、伯爵家が云々とか絶対関係ない気がする。

 まぁ、見も知らないマチルダさんのことを考えたところで仕方ないけどさ。


「それで、向こうで噂を聞いたんだよ」


「噂?」


「フリードベルク領は随分と景気が良い、ってな。かなり儲かっているとか噂が流れてるよ。お前、何をやったんだ?」


「あー……」


 まぁ、綿花を仕入れる量も綿糸を供給する量も多くなってきたし、農作物も十分に収穫できているから、そういう噂が流れるのも当然だろうか。

 今までは、領内で食料品の供給が上手くいってなかったから、他領から食料品も輸入してたし。その支出がなくなっただけでも、領地の財政としては随分と助かった。もっともその分、うちの領地に食料品を供給していた商会との取引はやめることになったから、少しばかり恨まれそうではあるが。

 その分、今後は他領との関わりを増やしていくために、夜会とか出席するべきだろうかと考えてはいたけれど。


「兄さんも聞いてるかもしれないけど、フリートベルク領ではアンデッドに農作業をさせているんだ」


「ああ、それだよ、俺が聞いた話! どういうことなんだ?」


「あー……ええと。兄さんは、俺が魔術学院に通っていたのは知ってるだろ?」


「ああ」


 下手にここで、アールヴの魔術書を手に入れたことは言わない方がいいだろう。

 魔術に詳しくない一般人でも、アールヴの魔術書が高値で取引されていることは知っている。だから、裏の市場では偽物が多く売られているらしいんだけど。

 まぁ、兄さんは魔術に詳しくないし、とりあえず誤魔化しておくことにする。


「魔術学院で、スケルトンを作る方法を教わったんだよ。でも莫大な魔力が必要になるから、俺以外には作ることができないんだ」


「魔術って凄いな。そんなことができるのか」


「でも兄さんが駆け落ちをしたって聞いて、俺がここの領主になったんだ。本当は、卒業後にもっと高位の魔術師に弟子入りをするつもりだったんだけどな……実際に継いでみれば、農村の労働力は少ないし休耕地は多いし若者は全くいないし農作物の生産量は右肩下がり。だから俺は、どうにかこの領地の財政を改革しようと思って、スケルトンに農作業をさせることにしたんだ」


「うっ……いや、悪いとは思ってるよ……」


 ジト目で睨むと、兄さんがばつが悪そうに苦笑を浮かべる。

 まぁ実際、スケルトンを作ることができるのが俺だけってことに嘘は言ってないし、領地の改革をしようとスケルトンに農作業をさせたことも事実だ。

 正直、領地の経営が楽しかったのもあるし、兄さんはそれほど恨んでないけど。


「だから、今は領地の財政も、黒字を捻出できてるよ。まだまだ借金は多いけど、それもあと十年あれば返せるかなって思ってる」


「そうか。それを聞いて安心したよ」


「ああ、だから領地のことは気にしないで……」


「なぁ、ジン……」


 俺がそう言おうとしたとき、兄さんは口元を歪めて言葉を挟んだ。

 そしてその目に、どこか昏いものを浮かべながら。


「ジンには、苦労をかけたと思ってるよ。領主になる予定なんてなかったのに、俺の我儘で任せてしまって、本当に申し訳ない」


「それは、まぁ……」


「だから、あとは安心してくれ」


「うん?」


 そう。

 意味の分からないことを、言ってきた。


「本来、領主は俺だからな。あとは俺に任せてくれ」

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