第8話 翌朝

「うぅん……」


 一夜が明けた。

 結局クリスに名前をつけて、俺はそのまま寝てしまった。肉体疲労と精神疲労は限界に達していたらしく、寝台に入った瞬間に即眠りの世界へ誘われた。

 そして、起床と共に感じるのは空腹だ。結局、昨夜は何も食べずに寝ちゃったし。

 さぁ、起きるか――そう、目を開くと共に。


「おはよう、ごしゅじんさま」


「おぉぅっ!?」


 寝る俺を覗き込む、少女の顔。

 起きた瞬間に誰かが目の前にいるとか、軽いホラーだ。そして何が起こっているか分からない頭は、とりあえず体に逃げることを指令した。

 ざざぁっ、と寝台の端まで仰け反って、その角に頭をぶつけると共に激しい痛みが走る。


「ぐ、おおおお……」


 痛む頭を押さえようと、手を上げようとして。

 同時に襲いかかってくるのは、昨日酷使した両腕の筋肉痛だ。

 びきぃっ、と走った痛みに悶え、寝台に倒れ込む。同時に、ろくに干していないかび臭さが鼻を刺激した。


「ぐ、あ……」


「ごしゅじんさま、だいじょうぶ?」


「あ……あー……ええと、クリス、か?」


「はい。クリス」


 どうにか、靄がかかっていた脳髄が動き出してきた。

 ここにいるのは昨日、俺が復活させたアールヴの少女――クリスだ。水晶クリスタルから出てきたからクリスという安直極まりない名前だが、特に拒否されることもなくそのまま彼女の名前となった。

 改めて、まじまじとクリスを見てみる。

 肩ほどで揃えた、流れるような美しい金色の髪。透き通るような白い肌に、神が完璧なパーツを揃えたのではないかと思われる可愛らしい顔立ちだ。八、九歳くらいに見える幼さの少女であるが、それでも成長したら美人になるだろうと予想させる。


「おはよう、ごしゅじんさま」


「ああ……うん、おはよう」


 ぐっすりと眠ったからか、疲れは大分とれているし、魔力も回復している。

 その代わりに、途轍もない筋肉痛が襲っているけれど。筋力強化パワーアップを使うと、いつも翌日こうなるから嫌なんだよな。

 少し動かすだけで痛みが走る右手を動かし、左腕に当てる。


回復リカバリー


 ぽわっ、と温かい光が、俺の腕を癒す。

 極めて初歩の、回復魔術だ。大回復ヒーリング超回復グランヒールといった高位の回復魔術も習ったけれど、俺の魔術適性はあまり回復向きではなかったらしく、初歩の回復リカバリーしか覚えることができなかった。

 だけれど、筋肉痛程度ならこれでどうにかなる。


「ごしゅじんさま、それ、なに?」


「うん……? これは、回復魔術だよ」


「かいふく、まじゅつ」


「まぁ、傷を治したり病気を治したり、そういう魔術」


 癒しの光を、腕全体に当て続ける。

 回復リカバリーは限定的な場所にしか効果がないため、腕全体の筋肉痛となると割と時間がかかるのだ。でも魔力はそれほど消費しないし、筋肉痛で苦しむよりは遥かにましである。

 すると、そんな俺の魔術を見ていたクリスが、相変わらずのとろんとした半眼のままで俺の右手へと手を当てた。


「こう?」


「いや、さすがに……」


 かっ――と、クリスの右手から放たれる激しい光。

 しかしそれは攻撃的なものでなく、腕全体に走る暖かさだ。それは俺の回復リカバリーなど遥かに超える、もはや超回復グランヒールかと思えるほどの威力である。

 俺の右手は一瞬で癒され、全く筋肉痛を感じない。そして回復途中だった左手の筋肉痛も、ついでとばかりに治っていた。

 ちょっと話しただけで、すぐに魔術を使えるとか凄まじすぎる。


「あー……うん。ありがとう、クリス」


「はい。だいじょうぶ」


 両腕をぐるぐると回してみるけれど、全く痛みを感じなかった。むしろ、万全よりも調子いいくらいに感じてしまう。

 とりあえず、今後疲れたときとか回復魔術使ってもらおう。俺も魔力消費しなくていいし。


「そういえば、クリスはお腹空かない?」


「おなか?」


「ご飯が食べたいとか、そういう」


「ごはん」


 とろんとした半眼が、僅かに開く。

 どうやら、食事については認識しているらしい。そりゃ、いくらアールヴっていっても食事くらいはするよな。

 今、不死者の状態でも食事が必要なのかは分からないけれど。


「それじゃ、少し食べようか。といっても、ろくなものがないけど」


「ごはん」


 俺の部屋を出て、階段を降りて一階へ向かう。

 うちの屋敷は無駄に広いのだが、使用人が誰もいないせいで手つかずになっている部分も多く、必要最低限の掃除以外はされていない状況だ。その必要最低限の掃除も、十日ほど前に俺がやった。

 そこからはアールヴの魔術書にかかりきりになっていたから、全く誰も掃除をしていないことになる。

 そして厨房――とはいえ、もう暫く誰も使ってないせいで、調理器具なども錆びてしまっているそこに、保存食が残っていたのだ。

 干し肉と乾燥させたパン、それに塩漬けの野菜くらいだけどさ。

 俺も親父みたいに、パン屋にパンの耳を貰いに行った方がいいのかもしれない。


「ごはん」


 食堂の椅子に座って、クリスが切り分けた塩漬けの野菜を食べる。

 もしゃもしゃと食べる様子は、どこか微笑ましいものがあった。というか、食事必要だったのか。不死者なのに。

 俺も正面で干し肉を食べて、小さく嘆息する。

 この十日ほど、ずっと俺は干し肉ばっか食べてる気がする。唯一、我が家にあった食料として。


「あ、そうだ」


「どうしたの、ごしゅじんさま」


 正直、クリスをこれからどう扱うか悩んでいた。

 途轍もない魔力量だけれど、今のところクリスが魔術を使わなければならない事態はない。それに加えて、我が家は手つかずで放置されている部屋が非常に多いのだ。それも全て、懐事情のせいで使用人が雇えなかったために。

 そこで、クリスだ。

 俺の命令に従う不死者であり、特に給料なども発生しないクリスならば、使用人として働いてもらっても何の問題もないだろう。


「クリス、ご主人様はちょっと忙しくて」


「はい」


「この屋敷の掃除とか、服の洗濯とか、なかなかできないんだ」


「そうじ、せんたく」


「それを、クリスにやってほしい」


「はい。やる」


 よし、と心の中でガッツポーズ。

 アールヴに使用人の仕事をさせるというのは、世の魔術師たちからすれば怒り狂う事態かもしれないが、我が家にとっては深刻な問題だ。

 それを任せられれば、俺はより死霊魔術の研究、行使に専念できる。


「それじゃ、ご飯が終わったら掃除を頼む」


「はい。そうじやる」


 さて。

 それじゃ、我が家の財政がちょっとでも改善したら、クリスのためのお仕着せとか買わなきゃいけないな。


 ん?

 そんな服にかける金があるのかって?

 何を言ってるんだ。それだけの価値はある。

 クリスのメイド服姿とか、超見たいに決まってるじゃないか。

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