第9話 人骨を求めて

 屋敷の掃除をクリスに任せて、俺は再び魔方陣を敷いた部屋へと来ていた。

 その部屋には当然ながら、口も肺もないのに「モー」と鳴く骨の牛がいる。そして、部屋の端に乱雑に積まれているのは肉屋から貰った骨たちだ。

 とりあえず、人骨が手に入る当ては全くない。人骨ってどこを探せば手に入るんだろう。さすがに墓荒らしとかそんな真似はしたくないし、俺の父やご先祖の骨を使うというのも生理的に嫌だ。というか、それをやってしまっては俺の倫理観が激しく侵される気がする。

 つまり、何の躊躇いもなくスケルトンにすることができる人骨が欲しいわけだが。


「どうすりゃ手に入るかなぁ……」


 古戦場とか、そういうところに行けばいいのだろうか。

 あとは、死体になっても問題ない輩――例えば、盗賊とか。うちの領内はあまり豊かというわけでもないため、幾つかの盗賊団が根城を構えているという話は聞いている。

 ただ、さすがに盗賊を相手に無双できるほど、俺は強くない。魔術師としての腕は高いと自分で思っているけれど、それが即ち戦闘能力というわけではないのだ。そりゃ、遠くから狙撃して一人だけ殺して、という形なら問題ないのかもしれないけれど、盗賊だって馬鹿じゃない。

 俺が狙撃しやすい場所からうってつけに狙撃しやすい場所にいる周囲に誰もいない状態の盗賊とか、存在するなら奇跡的な確率だろう。


「……あ」


 少しだけ、良い案が浮かんだ。

 あまり浮かんでほしくなかった案が、浮かんでしまった。


「……でも、な」


 整理しよう。

 俺は、何らかの方法で骨の一部を入手することができれば、その骨を使ってアンデッドを作ることができる。そして、その骨は一部でいい。残る骨は、魔力が物質化することによって再構築できるわけだ。

 つまり、人骨の一部さえ入手することができれば、問題ないということだ。それが指の端とか、そういう極めて小さいものであっても。

 こんな案が思い浮かぶのなら、いっそ俺が墓荒らしをしても何とも思わない倫理観の欠落した人間であれば良かったのに。


「はぁ……」


 魔方陣の部屋から、まず退出する。

 そして、向かうのは厨房だ。ほとんど使われていなかったのであろう厨房は至る所に埃が積もり、調理器具も錆びたものばかりだった。そのため、クリスへと最初に掃除するようにお願いしたのである。

 今後は、生活費を浮かせるためにも自炊しなければならないだろうし。ちなみに我が家では使用人が全くいなかったから、俺もそれなりに料理ができたりする。一応、これでも伯爵令息だったんだけどなぁ、と思わないでもない。

 そして、厨房に入ると。


「えぇ……」


「あ。ごしゅじんさま」


「マジかよ……」


「ごしゅじんさま、どうしたの?」


 クリスに、俺は掃除をするように言っておいた。

 床はしっかり水で磨いて、調理器具は錆を落とすように言っておいた。恐らく、俺が全力で掃除しても一日程度で終わりそうにない、そんな指示をしておいたのだ。

 だというのに。

 俺の目の前には、ぴかぴかに磨かれた厨房の床、そして新品のような光を放つ調理器具たちがあった。

 錆だらけだったはずの調理器具――まさか、それがこんな短時間で。


「……ええと、クリス。何をやったんだ?」


「おそうじ」


「いや、そうじゃなくて……どうやって?」


「こう」


 クリスが、まだ錆びている鍋の一つを手に取って。

 俺が視認できないほどの速度で、その手に魔力を編む。俺も同じく目に魔力を込めて魔視サーチをかけるが、その編んだ魔力は全く俺に理解不能のものだった。

 そんなクリスの魔術が調理器具にかかると共に、まるで逆再生しているかのように錆が落ち、鍋が新品同様に生まれ変わった。その魔術の原理が、俺にはさっぱり分からない。学院で一番の天才と呼ばれた俺でさえ、だ。

 何をしたのかは、分かる。

 分かるけれど、分かるだけだ。俺にその魔術を使ってみせろと言われても、できるはずがない。


「時間、遡行……」


「じかんそこう?」


「クリス……お前、この鍋の時間を……戻した、のか?」


「わからない」


 こてん、と首を傾げるクリス。

 その持ち得る魔力は、未だに多量だ。俺の認識では理解できないほどの、最早混沌とさえ言っていい量である。

 時間遡行魔術。

 それは俺も、話だけ聞いたことのあるものだ。手に触れた対象の時間を強制的に巻き戻すことができるという、当然ながらアールヴの遺した魔術である。

 しかし、時間を一日巻き戻すだけでも途轍もない魔力量を求められるそれは、とても使うことのできない魔術だと言われていたのだ。恐らく俺の全ての魔力を使ったとしても、この鍋の一つすら新品には戻せまい。

 それを、まるで片手間のように――。


「ごしゅじんさま、なに? クリスは、そうじしてる」


「これを掃除と呼んでいいのか……?」


「そうじ。きれいにする、こと」


「……確かに、その認識は間違ってないが」


 そんなトンデモ魔術を使われて、混乱するこちらの身にもなってほしいものだ。

 今更ながら、本当にアールヴという種族には驚かされる。これで全く、魔力が目減りしている様子がないのだから。

 いっそのこと、この屋敷まるごと新品に戻してもらおうか、とか思えてきた。


「あー……クリス、一つお願いがある」


「はい。ごしゅじんさま」


「お前が今朝、俺に使った魔術……癒しの魔術なんだが」


「はい」


 今朝、俺の筋肉痛を治してくれた魔術。

 あの威力は、俺のちょっとした傷を治せる程度の回復リカバリーなど遥かに超えた、大神官クラスしか使うことのできない超回復グランヒールほどの威力があった。

 どんな魔術でも死者を蘇らせることは不可能だが、超回復グランヒールを用いれば、片腕の欠損くらいならば即座に治せると聞く。腕を元通りに治すことができるということだ。初めて聞いたときには、とんでもない魔術があると驚いたものだ。


「俺に、癒しの魔術をかけてほしい」


「ごしゅじんさま、げんき」


「違うんだ。今から、元気じゃなくなる」


「はい。じゃ、やる」


「ああ」


 ごくりと、唾を飲み込む。

 そして手に取るのは、クリスの手によってまるで新品のように生まれ変わった――時間遡行をかけられたのだから、間違いなく新品だろう包丁である。

 クリスがいれば、この方法は間違いなく成功する。

 ふーっ、と大きく深呼吸をして、自分の覚悟を整えて。


 俺は右手に持った包丁を、自分の左小指に当てた。


「ごしゅじんさま、どうして、ゆびきる」


「クリスは、回復の準備をしてくれ」


「どうして……?」


「これは、必要なことなんだ」


 触媒として必要なのは、人骨の一部。

 それがどれほど小さくてもいい。残る部位は、魔力で作り出すことができる。

 だったら。


 俺の指先を使えば、残る部分は作れるということだ――。


「ふんっ!」


 右手に力を込めると共に。

 激しい、灼けるような痛みが俺を襲った。


「ぐ、あああ……!!」


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 焼け付くような痛みに、絞り出したような悲鳴しか上がらない。


「ごしゅじん、さま……」


「クリスっ……早くっ……!」


「は、い……」


 クリスが少しだけ怯えたような表情を見せながら、そっと俺の左手に自分の手を被せた。

 それと共に感じるのは、暖かな光。それと共に痛みが少しずつ消えてゆき、楽になる。折れそうなほどに噛みしめていた奥歯からも、力が抜けた。

 ふー、と小さく嘆息。


「……すごいな、クリスの魔術は」


 根元から切った左手の指先は、厨房に転がっている。

 そして俺の左手――その指は、ちゃんと五本揃っていた。

 めちゃくちゃ痛かったけど、これで目的は果たすことができた。


「ははは……これで、やっと前に進める! 本当にありがとう! クリスのおかげだ!」


「……」


 よしよし、とクリスの頭を撫でる。

 先程までの怯えた様子から、変わらない無表情と眠そうなとろんとした目に戻ったクリスは。

 まるで、可哀想なものを見るかのように。


「ごしゅじんさま」


「ああ」


「あたま、だいじょうぶ?」


「……」


 俺を、そう心配してくれていた。

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