第6話 水晶の中の彼女
「ぜぇ、ぜぇ……」
どうにか、帰り道を罠にかからず戻ってくることに成功した。
ぶっちゃけ、一つ一つが即死級の罠の中を掻い潜って戻るのは、精神がゴリゴリ削れるものだ。そして
つまるところ、ようやく帰り着いた俺は、肉体面でも精神面でも疲労困憊だった。
「よし……あとは、引き上げるだけだ……」
この洞窟の入り口は、親父の執務室にある。
そして俺は、そんな執務室の扉から縄梯子を伝って、この洞窟に降りてきたのだ。そして、さすがに
だが、その程度のことは想定済みだ。
俺は水晶に縄をかけて、雁字搦めにする。多少引っ張ったところでびくともしないほどに。
入り口の大きさと、水晶の大きさが気になるところだが、目算では恐らく通すことができるだろう。
「よっ、と」
水晶につけた縄を持って、そのまま縄梯子を上る。
そしてようやく、執務室へと戻ってきて。
ここからは、綱引きの時間だ。
「
両腕に
ぎりぎりと奥歯を噛みしめながら、必死だ。俺の現状が分からないという奴がいるなら、想像してほしい。人間を包み込めるほどの巨大な岩を、縄をつけて持ち上げているようなものだ。
少しずつ少しずつ、引き上げる。
両掌が摩擦で真っ赤になり、一部から血が噴き出す。それでも、引き上げる腕は止めない。これは、自分の限界との戦いだ。
「うぉぉぉぉぉぉっ!!」
自分を叱咤し、力を込めて叫び。
どれほどの時間、そうしていたか。もしかすると、領民から「領主さまの家で何か変な叫び声がする」と噂されるかもしれない。
それほどの、長い時間の格闘の末。
俺は――ようやく、水晶を引き上げることに成功した。
「はぁ……はぁ……ぜぇ……」
意識が朦朧としてくる。
元より俺は、魔術師だ。肉体労働は門外漢なんだよ。間違いなく、明日は筋肉痛であること請け合いだ。そもそも
だけれど、それだけの成果は、ここにある。
「……綺麗だな」
水晶の中で目を瞑っている、アールヴの女性。
暗い洞窟の中ではよく分からなかったが、美しい女性だった。神が完璧な造形として作り上げた顔立ちであるかのような、絶世の美女である。目を閉じていても、その美しさが分かるほどの。
そしてその下の裸体は、両膝を抱えるかのように座っている状態であるため、劣情を誘う場所は全て隠されている。だが、その全体的な造形から察するに、人間にすれば十六、七歳程度の女性なのだろう。
アールヴは長い寿命を持つと聞くから、見た目の情報から年齢は分からないが。
「……」
そっと、水晶に触れる。
どんな魔術を用いれば、こんな巨大な水晶に人間を封じ込めることができるのだろう。
その情報も、このアールヴが俺に教えてくれるかもしれない。
「よし……」
精神的にも肉体的にも疲労困憊だが、魔力はまだ十分にある。
残る気力を振り絞って、俺は水晶を引きずり、隣の部屋――死霊魔術のための魔方陣を編んだ部屋の中央へと配置する。
ちなみに、その部屋の端には当然のように、骨でできた牛が「モー」と鳴きながら鎮座していた。どうすれば消えるんだろう、こいつ。
さて。
魔術を、始めよう――。
「ふぅ……
小さく嘆息すると共に、魔方陣へと魔力を通す。
俺の血でできた魔方陣が力を得るかのように光を灯し、その中心に存在するのはアールヴの封じられた水晶。
魔力が抜ける感覚と共に、魔方陣の全体に俺の魔力が満たされる。
ごくりと、唾を飲み込む。
俺はこれから、禁忌に手を染めようとしているようなものだ。
既に滅びた種族――アールヴを、己の手駒として蘇らせる。それは、世の魔術師たちからすれば垂涎の代物だろう。
魔術書一つでさえ、高値で取引されるほどのアールヴの知恵だ。
それを、俺は手に入れようとしている。
「――
力ある言葉の宣告と共に、ごりごりと魔力が削れてゆく感覚。
スケルトンを作ったときよりも、遥かに消費する魔力は多い。アールヴの魔術書によれば、その量は単純に四倍程度だということだ。
スケルトンの作成には、俺の魔力の十分の一程度を使った。
つまり、この魔術に必要な魔力量は俺の魔力の十分の四――ほぼ半分ということだ。
それだけの魔力が一気に抜けるのは、さすがの俺にも負担が激しい。
だが魔方陣の中央では、間違いない変化があった。
俺の
まるで卵の殻を破るかのように、それがパキ、パキ、と表面から削れ落ち。
そして、光が満ちた。
「――っ!」
突然の光に、思わず目を閉じる。
瞼を閉じていても分かるほどの、目を灼くような光。何故そんな光が発生したのかも、俺には全く分からない。
だけれど、感じる。
その光の向こうに――俺なんざ足下にも及ばないほどの、強大な魔力を。
「くっ……」
光が次第に収まると共に、俺はゆっくりと目を開く。
感じる凄まじい魔力量に、削られた俺の魔力。それは、間違いなく死霊魔術が成功したことを示していた。
俺の目の前には間違いなく、不死者としての生を得たアールヴが――。
「え……」
そこにいたのは、水晶の中に封じられていた妙齢の女性ではなく。
人間にしてみれば八、九歳くらいかと思える少女だった。
成長すれば美しくなるだろうと思わせる、整った顔立ち。何も着ていない裸体には、当然ながら起伏の一つもない。唯一彼女をアールヴたらしめるのは、ぴんと張った長い耳くらいのものだろうか。
そんな、美しいというよりも可愛らしいと表現した方が正しいだろう少女が。
意味の分からない現実に目を奪われてしまっていた俺を。
「……ごしゅじんさま?」
とろんとした、眠そうな半眼で。
そう、呼んだ。
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