第5話 紐解く魔術書

 肉屋に木箱を返した。残る牛の骨は、一応使えるんじゃないかと屋敷に置いて。


 店主は「あー、ほんとにあんな骨食べるんだ……」とでも言いたそうな目で俺を見ていたが、気にしないでおいた。

 そして現在、屋敷。

 俺の目の前には、相変わらず骨でできた牛がいる。


「ふーむ……」


 そして、再び広げるのはアールヴの魔術書。

 数日で理解したのは、あくまで基本的な使い方だけだ。学園一の天才と称された俺でさえ、基礎を知るだけで数日かかったのである。

 だけれど、基礎は理解した。これで、まず使ってみてから理解しようと思っていたページも読み進めることができる。


 アールヴの魔術書によれば、不死者の創造は何段階かある。

 第一段階が、骨でできたアンデッド――スケルトンを作る方法だ。これは骨の一部さえ用意すれば、残る骨も魔力によって作ることができる。そして使用する魔力も少ない。俺の魔力量の十分の一を奪っておいて少ないと言えるのは、それだけアールヴの魔力が凄まじいということだろう。

 そして第二段階がゾンビ――スケルトンに腐った肉を纏わせたものである。スケルトンと異なり、腐った肉のついている部分が必要になってくるのだ。残る骨と腐った肉は魔力で代替することもできるが、触媒となるものに必ず肉が残っていなければならない。そして骨と肉の両方を魔力で生成することになるため、スケルトンを作る倍の魔力がかかるそうだ。

 さらに第三段階になると、霊的なものを作ることもできるようになる。いわゆる、レイスとかゴーストとかそういうもののことだ。だが残念ながら、俺の領地開発に特に役立ちそうにもない。せいぜい、遠くへの伝達を頼むことができる程度だろうか。あとは、活きのいい死体を入手さえすれば、腐ることのない意思を持つ不死者を作ることもできるらしい。いわゆるリッチとか、そういう奴だ。

 そして最終段階は、生きているものをそのまま不死者にできる。生きている人間をそのままヴァンパイアやグールといった、不死者に変えることができるという技術だ。さすがにこれを実施してしまえば、俺の倫理観が問題となるだろう。

 つまり、実質的に俺が作ることができるのは、スケルトンくらいのものだということだ。


「ふーむ……」


 だが、ふと思ったことがある。

 第三段階になると、魔力の消費はスケルトンを作る四倍ほどかかると書いてある。つまり、俺の持つ魔力の十分の四が削られるわけだ。

 だが、『活きのいい死体を入手さえすれば』という記述は、放っておけないだろう。


『活きのいい死体』に一つ、俺は心当たりがある。


「あんまり行きたくないが……そういうわけにもいかないもんな」


 はぁ、と小さく嘆息して立ち上がり、向かうのは領主の執務室――かつて父が使っていたものであり、俺がアールヴの魔術書を発見した場所だ。

 あの地下洞窟には、えげつない罠が大量に仕掛けられていた。下手に接触してはいけないと、あのときはアールヴの魔術書だけを懐に入れて去った。

 だが、まさか再び入ることになるなんて。


「さて……魔視サーチ


 両目に魔力を通して、目の前の地下通路――そこに存在する魔力を、視認する。

 糸が張り巡らされているかのように、少しでも間違えば魔力の罠が発動する仕掛けだ。そして魔力を視認できない人間であれば、数歩も進んだ時点で死んでしまうだろう。そんなえげつない罠が大量に仕掛けられている。

 慎重に一歩一歩踏みながら、決して罠にはかからぬようにと細心の注意を払って進む。

 屋敷よりも遙かに長く、地下に伸びた洞窟。普通に歩くだけでもかなりの距離となるそれを、相当な時間と労力を要して、どうにか到着した。


「ふぅ……」


 そこに存在するのは、小さな神殿。ここに、アールヴの魔術書は置かれていた。

 そして、そんな神殿の背後――そこにあるのは、氷漬けの死体。

 まるで自ら氷の中に沈んだかのように、穏やかな表情で眠る女性の姿だ。恐らく年齢は、俺よりも年下だろう。十六、七といったところの、美しい女性だ。

 強いて人間と異なる点を挙げるとすれば、その真横に伸びた尖った耳か。伝承にも残っているアールヴの姿は、耳が尖っていると聞く。

 つまり、この氷漬けの死体は、アールヴの女性だということだ。


 ごくり、と思わず唾を飲み込む。

 第三段階――呪文で言うところの『創造クリエイト不死者ノスフェラトゥ』を使用すれば、この氷漬けの死体は俺の命令に従うアンデッドとなるのだ。

 そして、作られるのは意思を持つアンデッド。つまり、アールヴの智恵が俺に従うと言っても過言ではない。

 魔術師として、それは永遠にでも追い求めたいものだ。


「……どうするかな」


 目の前の、氷の塊を見ながら考える。

 恐らく、この地下通路で全く溶けずに残っているこの氷は、アールヴの魔術で編まれたものだろう。

 そしてアールヴの魔術により凍っているのであれば、それを解除できるのはアールヴの魔術だけだ。実際、氷を魔視サーチしてみても、訳の分からない魔術文様のようなものしか見ることができなかった。

 とてもじゃないが、俺にこの氷は溶かせない。

 だが、アールヴの知恵を手に入れる方法が目の前にあって、何もしないわけにいかない。


「……溶かすことができりゃ、楽だったんだが」


 仕方ない、と頷く。

 そして、魔術の修練にばかり取り組んでいたため、恐らく並の成人男性よりも遥かに虚弱であろう、俺の両腕に魔力を通す。

 肉屋から骨の入った木箱を持ち帰るだけで、疲労の限界に達した両腕。

 そこに、力ある言葉と共に魔術を編む。


筋力増幅パワーアップ――」


 極めて単純な、力を増幅させるだけの魔術だ。

 本来これで戦いをするためには、上昇した腕力の分だけ自分の体の硬度も上げなければならない。下手に腕力が上昇した状態で殴れば、自分の殴った威力で自分の拳が砕けるのだ。剣を用いての戦いでも然り、自分の剣の威力で自分の肘が壊れることもある。

 だが、別に俺は今から戦うわけではない。

 俺が今からやるのは、この氷漬けのアールヴを持ち帰ることなのだから。


「ふんっ!」


 急激に上昇したはずの腕力でも、人間一人を漬けた氷の塊は途轍もなく重い。だが想像とは異なり、全く冷たくはなかった。もしかすると氷ではなく、水晶クリスタルのような透明の宝石なのだろうか。

 そして上昇したのは腕力だけでなく、全身の筋肉だ。今の俺なら、世界一の怪力を相手にしても力比べをすることができるだろう。それだけの魔力を乗せているというのに。

 くっそ重い。

 足がぷるぷると震えて、なかなか踏み出せないほどだ。


「く、そ……!」


 こんなにも不安定な状態だというのに、帰り道はアールヴによるえげつない罠が大量に仕掛けられたもの。

 今さえ、今さえ耐えればどうにかなる――。


 そう考えながら俺は来た道を、倍以上の時間をかけて必死に戻るのだった。

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