第13話 ジェラルド王子
ジェラルド王子。
その名前は、ただの辺境の一貴族の娘でしかない私でさえ知っているものだ。勿論、お姿を見るのは初めてだけれど、市井の商店で売られていた絵姿は見たことがある。本人は、その絵姿の数倍美男子だ。
だけれど、それ以上に聞こえているのがそのお噂だ。現国王の第一子にして、第一王位継承者。そればかりか文武両道に優れた人物であり、まだ学院の二年生という年齢でありながら、既に国政に関わる仕事をしているのだと聞く。また、隣国と諍いのような戦が発生したときには、国軍を率いて撃退したこともあるのだとか。
容姿端麗、文武両道、頭脳明晰――どれほどの美辞麗句を並べても、遜色のない人物。それが、ジェラルド・グランヒル・グレイフット王子なのである。
ジェラルド王子は僅かに私に視線を向けて、それから改めてテヤンディを見た。
「それもそうだったな。王国に来たのは昨日だったか」
「ええ。ジェラルド王子の手配してくださった馬車で、滞りなく。ありがとうございます」
「あの程度は、礼を言われるに値しない。お前の立場を考えろ」
「ご参考までに。あたしは常々言っておりますが、生まれた腹が違うってぇだけのことです。あたし自身の評価じゃないんでね」
親しく……かどうかはちょっと分からないけれど、言葉を交わす二人。私はそんな二人を交互に見ながら、目を白黒させることしかできない。
確かに考えてみれば、テヤンディはゴクドー公国の公女様であり、本来私なんかが席を一緒にすることができるような立場ではない。そして、公国の公女様となれば幼い頃から、王族と席を共にすることも多かっただろう。
改めて私、一緒にいる相手の凄まじさに驚いてる。
「それで」
「へぇ」
「何やら話していたようだが、問題ないか? 俺が邪魔をしたのならば、席を外すが」
「いいえ、助かりましたよ。おかげさんで、ぴーちくぱーちく五月蠅かった小鳥の囀りが、貝みてぇに閉じてくれましたんで」
「……? どういうことかは分からんが、問題ないとしておこう」
テヤンディの言葉に、頷くジェラルド王子。それでいいのだろうか。
私は、これ以上ここにいてもいいのだろうか。とりあえずご令嬢も黙って口をぱくぱくさせているだけだし、私も王子様の前で不敬だし、離れた方がいいのかもしれない。
ただ、私のこの場における唯一の味方はテヤンディだ。テヤンディから離れるということは、自ら針の筵へ向けてダイブするようなものである。
つまり、私は動くことができない。
ただただ、不敬とは感じながらもこの場に佇むことしかできない。
「それで、ジェラルド王子。何用で?」
「ああ……少し様子を見に来ただけだ。お前のことだから問題ないだろうとは考えていたが、王国の風習には疎いだろう。その辺りを教えてやろうと思っていたんだがな」
「ええ。確かに、鐘の音で動くのはあたしの趣味じゃありませんね。残念ながら、公国ではそのあたりを教えてくれる人はいなかったもんでさ」
「だから、その辺を……」
「必要ありませんよ」
くくっ、とテヤンディがそう笑いを漏らして。
それから、まるで見せつけるように、私の背中へと手を回した。
ぽん、ぽん、と私の背中を、テヤンディが二度叩いて。
「紹介しましょう、ジェラルド王子」
「ちょ……ちょ!? テディ!?」
「あたしのルームメイトで、
「……ほう?」
私の叫びなんて聞いていないように、そう真っ直ぐの眼差しでジェラルド王子へ告げるテヤンディ。
待って、私、王子様とエンカウントする覚悟もないし、この場で紹介されるような立場でもないし、何より高貴すぎて目を合わせることができないんだけど。
ジェラルド王子は私を見て、そしてテヤンディを見て。
「兄弟……テヤンディ、お前には兄君しかいなかったと思うが」
「昨夜、盃を交わしたんですよ。五分の兄弟として」
「ああ……アレか」
なるほど、と小さく嘆息するジェラルド王子。
私にはさっぱり分からない風習だったけれど、ジェラルド王子には分かっているのだろうか。
そんなジェラルド王子の、サファイヤブルーの瞳が私を映す。
さすがに、目の前で王子にじっと見られて、目を逸らすことができるほど私の心は図太くなかった。
「名を聞こう」
「は、はいっ!?」
「名だ。王国の者か?」
「は、ははは、はいっ! リリシュ・メイウェザーと申します! メイウェザー子爵家の末娘ですっ!」
「メイウェザー子爵家か。覚えておこう」
ぽんっ、とジェラルド王子の手が、私の肩を叩く。
がちがちに固まっている私の緊張を解すかのように、優しく。
「リリシュと言ったな」
「は、はいっ!」
「テヤンディのルームメイトらしいな。テヤンディは色々と躾のなっていない娘だが、あれで公国の令嬢だ。苦労をかけると思うが、よろしく頼む」
「こ、こちらこそっ!」
「メイウェザー家の名は、父にも伝えておこう。ゴクドー公国との円滑な関係は、我が国としても望むところだ。その一助となる者であれば、我らもその名を知っておく必要がある」
「あ、ありがとうございますっ!!」
私はただ、ジェラルド王子に頭を下げる。
本来ならば、平伏して当然の相手だ。そんな人物と立ったままで話をすることができて、しかも肩を叩いていただけるなど、私にしてみれば夢のような出来事である。
それに何より、メイウェザー家なんて小さな家の名前を、ジェラルド王子に覚えてもらうことができたのだ。国王に伝えておく云々は、さすがに方便だろうけれど。
それも全て、テヤンディと同じ部屋になったから。
あまりにも変わりすぎた私の世界に、混乱しそうになる。いや、むしろ私多分混乱している。
「それでは、テヤンディ。父も心配していた。近々、どこかで会いに来い」
「ええ。お休みの日にでも行かせてもらいますよ」
「父にもそう伝えておく」
「それで、ジェラルド王子。一つお聞きしたいことがあるんですがね」
「……どうした?」
テヤンディの言葉に、ジェラルド王子が眉間を寄せる。
物凄く美形のジェラルド王子なんだけど、テヤンディと話すときも、私にお言葉をくださるときも、全く笑っていない。むしろ、不機嫌なのかと思ってしまう。あまり、感情を表に出さない方なのだろうか。
「王子は今、男子寮の方にお住まいなんですよね?」
「ああ、そうだ」
「男子寮の、食堂の席というのはどのようなお決まりになってるんで?」
「……特に決まっていないが、それがどうした? 俺は普段、席など気にしたことがない」
「それを聞けたら十分でさ」
ジェラルド王子が、僅かに首を傾げる。
確かにその質問は、されても全く意味が分からないだろう。むしろ、ジェラルド王子からすれば、この食堂が身分によって席分けされていることも知らないはずだ。男子寮の人間が、女子寮の食堂に来ることなどないだろうし。
「まぁ、いい。今後、あまり学院内では会うこともないだろうが、昼休みくらいは来い。もしくは、俺の方が早ければ俺から向かう」
「分かりました、王子。お待ちしております」
「……お前の方から来るという選択がないことは分かった。邪魔をしたな」
すっ、と二本指を立てて、背中を向けて去ってゆくジェラルド王子。
そんなジェラルド王子に誰もが注目して、誰も声を発さない。まるでナイフでチーズを切り裂くかのように、ジェラルド王子の進む道が開かれる姿は、実に壮観だ。
そしてテヤンディはというと、小さく溜息を吐いている。
「……テディ? どうしたの? 大丈夫?」
「ああ……リリシュさん、すいませんね。ご心配なく。ちょいと頭痛がするくらいのものですよ」
「え……どういうこと? 病気?」
「リリシュさんは素直ですねぇ」
心配で言ったのに、テヤンディは私の言葉に苦笑した。
私、そんなに変なこと言ったんだろうか。
「いや、まぁ、気付いているとは思いますがね」
「うん」
「ジェラルド王子は、その……まぁ、あたしの婚約者でさ」
「……」
え。
私、全く気付いていなかったんだけど。
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