第12話 食堂にて

「ふぁ……」


 翌朝。

 一つの鐘が鳴ると共に、私は寝台から起き上がった。

 昨夜はテヤンディと姉妹きょうだいの盃を交わした後、色々なことを話した。特にテヤンディの語る公国の文化というのは私にとって実に奇妙に映って、様々な文化の違いに驚いた。

 そして結局七つの鐘で入浴した後も、八つの鐘が鳴るまで話し込んで、眠ることになった。テヤンディは「あたしが寝るにはちと早いんですけどねぇ……」と言っていたが、これも王国の風習ということで納得してもらった。

 ちなみに入浴は、部屋についているシャワールームで行った。一応大浴場はあるらしいけれど、下手に他の令嬢と関わるのも何かと困ると思って、シャワーだけで済ませることにしたのだ。勿論、そのシャワールームも水の魔石が豊富に使われたものである。


「テディ」


「うぅん……」


「ほら、起きて。朝だよ」


「もぉ起きる時間ですかい……」


 ごろん、と寝台の上で寝返りをするテヤンディ。

 公国では好きな時間に起きていたというし、あまり人に起こされるのは慣れていないのだろう。でも、そこは郷に入れば郷に従え。王国の学院に通っている以上、テヤンディも鐘の音での生活を守らなければならないのだ。

 渋々ながら、目を擦りつつテヤンディが起き上がる。


「おはようさんです、リリシュさん」


「うん、おはよう」


「ええっと……二つの鐘で朝メシでしたかね?」


「そう。着替えて食堂に行こう」


 簡素な寝巻きから、私も着替えを始める。

 そして、今日から学院に通うということで、着るのは制服だ。この制服もやはりネッツロース王立学院のものであるため、高級な素材が使われている。これを着替え含めて四着購入するようにと通達が来たときには、お父さんが頭を抱えていたほどだ。

 でも、私にとっては助かる。正直、服はほとんど着回してるし、実家だとお仕着せだったし。私服だと悪目立ちしてしまうだろう。

 テヤンディも手早く制服に着替えて、それから洗面所で顔を洗っていた。


「今日から、ついに学院生だね」


「ええ。まぁ、変なことを言ってくる輩がいなければいいんですけどね」


「……あんまり、諍いは起こさないでね?」


「自信はありませんね。何せあたしは、これから慣習の横紙破りをするんですから」


「そう……」


 紙が横というのはいまいち分からないけど、大体のニュアンスは理解できる。

 慣習というのは、つまるところ昨日生徒会長が言っていた、『爵位によって席が決まる』という件だ。そこをテヤンディは、私と姉妹きょうだいの盃を交わすことで問題ないと判断し、昨夜私たちは姉妹きょうだいになったのである。

 だけれど、それはあくまで公国の風習だ。王国では、そんな風に地位の違う二人が姉妹になることなどできない。それが認められるのは、せいぜい下位貴族家の令嬢が高位貴族家の当主に嫁入りをしたときくらいのものだろう。

 だから、それが他のご令嬢たちにどう思われるか――。


「リリシュさんは、心配しなくていいですよ」


「テディ、心配しかないよ」


「あたしは誓いましたよ。リリシュさんへの万難は、あたしが排除するってね。そのためなら、絵に描いた虎を屏風から出してみせますよ」


「……どうやって?」


「いや、それは分かりませんけど」


 ひゅうっ、と下手な口笛を披露して目線を逸らすテヤンディ。

 絵に描いた虎というのは公国の比喩なのだろうか。でも、とりあえずテヤンディは私のことを守ってくれるつもりなのだろう。

 だったら私は妹分として、テヤンディに頼っていればいいのだろうか。

 いや、テヤンディは兄貴分って本人が言ってたし、私は弟分になるのだろうか。女子なのに。

 よく分からない。


「ま、まぁ、うん。食堂に行こう」


「ええ。リリシュさんは、あたしと一緒に二階席のテーブルに座ってくださいな」


「うん」


 きっと、公爵家の令嬢あたりが何かを言ってくるだろう。

 だけれど、テヤンディがどうにかしてくれる――私は、そう信じるしかない。

 並んで部屋を出て、鍵をかけて、一緒に食堂へと向かう。

 そして、食堂へ向かっている途中で、二つの鐘が鳴った。


「……へぇ。もう随分と盛況ですねぇ」


「そうだね……」


 そして、ようやく到着した食堂。

 そこには既に、トレイを持って朝食を待つ学院生たちで溢れていた。おそらく初日ということで、二つの鐘よりも早く行動した者が多いのだろう。

 落ち着いて、落ち着いて――自分にそう言い聞かせながら、私も朝食のトレイを持って列に並ぶ。


「あら……あの子」


「確か、子爵家の……」


「どうしてここで……」


 周囲の令嬢たちが、不思議そうに私を見ているのが分かる。

 ちらちらと見てくる視線が不愉快だったけれど、私は全く聞こえない、気付いていないふりをした。

 そして私と並んでトレイを持つテヤンディが、にやりと口角を上げる。


「いや、昨夜の食事は美味しかったですねぇ、リリシュさん」


「う、うん。そうだね」


「朝食も楽しみですよ。やっぱりネッツロース王立学院ということで、専属のシェフを雇っているんですかねぇ」


「だと思うよ」


 テヤンディの振ってくれた何気ない話題に、そう返す。

 だけれど陰口と視線で、私のメンタルはごりごり削れていくようだ。正直、立っていることも苦痛になってくるくらいに。

 そのくせ、列は長く食事を受け取るまでまだ時間がかかりそうだ。できれば、もう朝食などいらないから座らせてほしいと思ってしまう。

 この調子だと、いずれ誰かが、私を糾弾するかもしれない――。


「あなた」


 ごくり、と唾を飲み込む。

 やっぱり来た。恐怖にうつむいて、視線を向けることができない。私に見えるのは、その首から下――女生徒の制服だけだ。

 ただ、その声は、どこかで聞いたことがあるような――。


「子爵家の者が、どうしてここに並んでいるのかしら? 昨日の生徒会長のお話を聞いていなかったの? あなたは、向こうの倉庫に食事が用意してあるわよ」


「……」


「ちょっと、聞こえ――」


「ちょいと、黙ってくれませんかねぇ」


 そんなご令嬢の言葉に、口を挟むテヤンディ。

 それと共に私も、僅かに顔を上げて目の前にいる人物を見た。

 聞いたことがあるはずだ――この人は昨日、私に「この部屋に公国の公女様が入られるらしいわよ」と言いに来たご令嬢だ。当然、私は名前を知らない。

 ただ高慢な口調から、高位貴族の令嬢だとは思うけれど――。


「ええと……公女様? 申し訳ありませんわ。ここのルールで」


「そんな規則は仁義に反する、ってぇあたしが昨日言ったのを聞いていなかったんですかね? 聞いてなかったんなら、もう一度言わせてもらいますが」


「……ルールは、ルールですわ。この国の定めた爵位というルール。それは、学院の中でも同じことですわ」


「へぇ。あたしの舌鋒を受け止めるつもり満々のようで。あたしにゴロ売るってぇなら、買いますよ」


「ご、ゴロ……?」


 私を挟んで、そう言い合うテヤンディとご令嬢。

 周囲の他の生徒たちも、何事だとこちらを注視しているのが分かる。

 胃に穴が空きそうだ。


「あたしとリリシュさんは、五分の姉妹きょうだいでしてね。血だの生まれた腹だの、そんなもんはどうでもいいんですよ。あたしらは盃を交わしたんでね」


「……兄弟? は? さかずき?」


「トーシロに言ったところで、詮無きことでさ。用がねぇなら向こうに行ってくださいな。あたしは友人と仲良く話しているところなんで」


「いや、だからわたくしは――」


 ご令嬢が、さらに続けようとしたそのとき。

 ざわっ、とまるで周囲が波立つかのように騒ぎが走ると共に、食堂全体に静寂が訪れた。


「えっ……!」


「ど、どうして、こちらに……!」


「あ、あの、お方は……!」


 ん、とテヤンディも眉根を寄せる。

 ご令嬢たちが注目しているのは、食堂の出入り口――女子寮から続く入り口ではなく、学院へ向かうための出口だ。

 そこに、一体誰が――。


「――」


 すらりとした長身に、引き締まった体躯。透き通るような金色の髪に、サファイアブルーの切れ長の眼差し。細身ながらも弱々しさはそこになく、むしろ凜々しさを感じさせる男性が、そこにいた。

 その人物は、私のような下位貴族ですらそのお姿を知っている、超有名人――。

 そんな男性が、少しだけ食堂を見回す。そして目的の人物を発見したらしく、つかつかと靴を鳴らして歩みを進めた。


 こっちに向かって。


「……」


「……」


「……」


 私も、ご令嬢も、テヤンディも、黙ってそんな男性を見つめて。

 そして彼は、私たちの目の前まで、やってきた。


「久しいな、テヤンディ。王国には慣れたか?」


「残念ながら、まだ初日が終わったばかりでさ。ジェラルド王子」


 そう、この方は。

 グレイフット王国第一王子にして、第一王位継承権を持つ天上人。


 ジェラルド・グランヒル・グレイフット王子――。

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