第11話 兄弟盃

 テヤンディが、持ってきた荷物――木箱の中から、一対の器を取り出した。

 それは光沢のある白い、小さな皿のようなものだ。その素材は金属でもなければ木材でもない。しかしどこか、温かみがあるような感じがする。少なくとも私は今まで、こんな素材でできた食器は見たことがない。恐らく、公国で作られているのだろう。

 そしてテヤンディがさらに取り出したのは、小さな壺だった。丸い形状で、頂点に注ぎ口だろう小さな穴が開いており、そこをコルクの栓で閉じている。こちらの素材も、先程テヤンディが取り出した器と同じものである。


「リリシュさんは、おいくつで?」


「え……わ、私は、十六だけど」


「あたしも同じでさ。そんでもって、ゴクドー公国では十五になると、成人の儀が行われるんですよ。十五を超えた者は元服っつって、酒もたばこも解禁されるんですよ」


 あたしはどちらもやりませんがね、とニヒルに笑うテヤンディ。

 そんな風習は、王国にはない。恐らく、公国独自のものだろう。王国貴族の間で成人とされるのは、社交界にデビューをしたときだ。

 きゅぽんっ、と音を立ててテヤンディが、壺からコルクの栓を抜いた。


「まぁ、リリシュさんもあたしと同い年ってこたぁ、成人の儀はとっくに済んでるもんと解釈します。あたしらが嗜むには、ちょいと早いと思いますがね」


「じゃあ、その壺の中って……」


「ええ。酒でさ」


 とくとく、と音を立ててテヤンディが、二つの器に酒を注いでいく。

 私は今までお酒を飲んだことがないけれど、お父さんがよく飲んでいたのは知っている。だから、お酒ということでそんなものを想像していたのだけれど。

 お父さんが飲んでいた、琥珀色のものではない。こちらのお酒は、まるで水のように透き通った透明――。


「オヤジから、あたしの進学を祝して貰った大吟醸でさ」


「だいぎんじょー……?」


「すっごくいい酒、って思ってくれりゃいいですよ」


「へー……」


 ごくり、と唾を飲み込む。

 どうやら強い酒であるらしく、まだ器から距離があるというのに、ふわっと鼻腔へ酒の香りが届いた。

 そして、テーブル越しに向かい合う私とテヤンディ――そのテーブルの上に、二つの器が置かれる。

 そこでテヤンディが壺を置き、そして両手を膝の上へと置いた。


「それでは、始めさせていただきます」


「う、うん……」


 凜とした雰囲気で、そうテヤンディが告げる。

 いくら椅子の上で、ここが自分たちの部屋で、向かい合う私が女だからといって、そのようにはしたなく足を広げるのはどうなんだろうか。垂れ下がったスカートのおかげで下着までは見えないけれど。

 これを今後の学生生活でされた場合は、私の方からほんのり注意をしよう。


「リリシュさん、目の前に置かれた盃……手にとってくださいな」


「う、うん……さかずき?」


「そちらの器でさ」


 酒を注がれた器――テヤンディ曰く、盃を手に取る。

 その盃の中に、半分ほど透明の酒が満たされている。そして、手に取ったことでその酒精が、一気に鼻を抜けるようだった。

 そしてテヤンディも同じく、盃を手に取る。


「本来、介添人や口上人の立ち会いが必要なんですが、ここは王国。ローラがいりゃ、口上を任せたんですが……略式で申し訳ありやせん」


「い、いや、それは、いい、けど……」


「リリシュさんの、広いお心に感謝いたします」


 略式と言われても、そもそも私、正式なのを知らない。

 だからテヤンディが何をするのか、全く分からないのだが――。


「任侠の世界は、厳しいもんでございます」


「……」


「時には清濁併せのむ、それだけの度量も必要となる世界でございます。時には白いもんでも黒いと言われ、悪いもんでも良いと言われる、そんな世界でございます。何を言われようともその胸の中に全てを飲み込んで、承服せざるを得ないこともあるでしょう。そのお覚悟は既におありと思いますが、今一度確認を」


「……」


 私、覚悟を決めろとかそんなこと言われた覚えがないんだけど。

 なんか、テヤンディの中では私が承諾したことになっているんだろうか。それとも、これはあくまで形式的な口上って感じなんだろうか。

 しかし、テヤンディの凜とした雰囲気の口上に、下手に口を挟んではいけない気がしてしまい、何も言えない。

 結果、私は目を白黒させながらテヤンディを見るだけだ。


「一家のため、親分のため、任侠道を共に歩むため、今この場で、あたしとリリシュさんの兄弟盃――交わさせていただきます」


「う、うん……?」


 テヤンディが頭を下げる。

 そして再び頭を上げて、私を見て。


「決意が固まりましたら、そちらの盃――飲み干して、懐中深くお納めください」


「えっと……飲めば、いいの?」


「ええ。ってまぁ……こいつを言うのも、本来は口上人なんですがね。今回は、あたしが代わりに申させていただきました」


 テヤンディが盃の中身を、私に向ける。

 私もそうすべきかと考えて、同じく盃の中身をテヤンディに示した。

 そして、テヤンディがぐいっ、と一気に盃の中身を飲み干す。

 私もそれに倣って、気合いを入れてから盃の中身を、一気に喉の奥へとやった。

 火が出そうな濃い酒精に、目がくらくらする。


「これで、あたしとリリシュさんは五分の姉妹きょうだいだ」


「……そ、そう、なの?」


「ええ。ただ、貫目はあたしの方がちょいと上だ。今後は、あたしが兄貴分になる」


「……そこは姉じゃないんだ」


 テヤンディが、飲み干した盃を胸元に入れる。

 なんか色々と謎だけれど、どうやら盃とやらは終わったらしい。

 とりあえず私は、この器を返せばいいのだろうか。


「えっと……それじゃ、これ、返したらいいの?」


「いやいやいやいや、リリシュさん。兄弟盃を交わして、その場で盃を返されるたぁこりゃ予想外ですよ」


「どういうこと?」


「あたしは言ったでしょう。そちらの盃は、懐にお納めください、ってぇね。盃を返すってこたぁ、あたしとの縁を切ろうってことですよ」


「……そう、なんだ。ごめん」


 なんかよく分からないけど、返さなくてもいいらしい。

 そんな風に、人にあげてもいいものなのだろうか。


「えっと……それじゃ、貰うね」


「ええ。あたしとリリシュさんは、今日をもって姉妹きょうだいだ。リリシュさんの万難は、あたしが排除いたしましょう。あたしが倒れそうなときは、側で支えておくんなせぇ」


「うん」


 戸惑いながら、私もテヤンディに倣って、胸元に盃を入れた。

 うん、まぁ。

 よく分からないけど、なんか絆は深まった気がする。本当によく分からないけど。


 あと、この盃。

 煮物とか盛ったらすごく綺麗そうだから、貰えたのがちょっと嬉しい。

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