第8話 公国の秘密

 生徒会長の言葉に、私は目の前が真っ暗になるような気持ちだった。

 イストランド公爵家は、グレイフット王国の東側に巨大な領地を持つ大貴族だ。その規模は、学院長の出自でもあるノスフィルド公爵家とほとんど変わりない。そして私の出自――メイウェザー子爵家は、グレイフット王国の東側の辺境に存在する小さな領地である。

 そう。

 私の実家も、イストランド公爵家も、どちらも王国の東側だということだ。


「……あ、あ」


 四公爵家と呼ばれている、東西南北を支配する大貴族。

 その権限は、自身の領地に隣接する小貴族の管理も任されているのだ。例えば税収であれば、まず王家に献上する前に公爵家の検閲を受けなければならない。年に一度は、収支報告と領民の推移などについて資料を作成し、公爵家に提出しなければならない――そんな義務があるのだと、以前に父が零していたことを思い出す。

 つまり、私のせいで。

 メイウェザー子爵家は、子爵という貴族位すら失うことになる――。


「……貴方さん、それはちょいとやり口がえぐいんじゃあござんせんかい?」


「あら。あなたには関係のないことでしょう、公女様。王国にとっては、小さな貴族家が一つなくなるだけのこと。今、領地を持たない貴族が大勢いるのよ。空いた領地には、もっとわたくしの家に従順な貴族を入れることにするわ」


「なるほど。手前に従う犬しか信じねぇってことですか」


「言葉に気をつけなさい。わたくしの気分次第で、あなたの友人が平民になってしまいますのよ」


「……」


 テヤンディが、舌を鳴らす。

 だけれどそれ以上に、私には何も言えない。私にとって、公爵家の機嫌を損ねるというのはそういうことだ。私には、実家が爵位を失ってもいいなんてとても言えない。

 私が、テヤンディを止めなかったから。

 彼女の迫力に負けて、止めることができなかったから。


「……どうすれば、許してもらえるんで?」


「そうね。わたくしに忠誠を誓いなさい。勿論在学中のみならず、卒業後も」


「そいつは、できねぇ相談でさ。組長オヤジを裏切るこたぁできねぇ」


「だったら、それでもいいわ。わたくしの方から、実家に文を入れましょう」


「くっ……」


 余裕綽々、という態度を崩さない生徒会長。

 そして、テヤンディの方は渋い顔のままで唇を噛んでいる。

 テヤンディの焦りが、まるで伝わってくるかのようだ。まさか、自分の発言で友人――私を、巻き込むことになるとは思っていなかったのだろう。


「家の力は、手前の力ってことですかい。たかが、少々生まれた腹が違うってだけのことで」


「何とでも言うがいいわ。さすがにわたくしも、公国を相手にけんかを売るほど愚かではないもの。わたくしの家と、公国には関係がないわ。あなたと多少険悪になったからといって、我が家には何の痛痒もないのよ」


「……へぇ」


 テヤンディが、拳を握る。

 その指先が、白くなっているのが私にも分かる。ぶるぶると震えている拳先が、彼女の我慢を示しているかのようだ。

 そして、テヤンディは諦めたように小さく溜息を吐き。


「……リリシュさん」


「テディ……」


「すんません。本当に、すんません」


 顔を伏せる。

 テヤンディには、これ以上何もできないということだろう。公爵家にけんかを売り、その余波が私まで来たことは、彼女にとっても想定外だったということだ。

 だから私が、私の実家が、爵位を失うことへの謝罪――。


 ではなく。


「あたしは、家の力なんざ使わねぇって言ったんですがね。手前でシノギをあげられて、初めて一人前。公国の公女様なんてぇ肩書きではあっても、半端モンの未熟モンに過ぎねぇってさ」


「……うん?」


「ただ、向こうさんが売ってきたゴロだ。向こうさん流に買わせてもらいましょう」


「……?」


 ゴロ、って何だろう。

 そんな疑問が私の脳裏を過ると共に、テヤンディは凜とした眼差しで生徒会長を見据えた。まるで、腹は決まったとでも言うかのように。


「昔話をしましょうかね」


「……唐突にどうしたのかしら?」


「なぁに。皆さんはご存じねぇかもしれませんが、郷里くにでは割と有名な話でね。今から百二十年ほど前に、あたしの生家……ゴクドー公爵家は、公国に独立したんですよ」


「そのくらい、歴史の授業で知っているわ。それが一体……」


「でしたらどうして、うちの家が一国として独立したか、ご承知の方はいらっしゃいますかい?」


 テヤンディが、周囲を睥睨する。

 それは私も、疑問に思っていたことだ。今日読んだ歴史書――『グレイフットの歴史』にも、その詳細は載っていなかった。ただ、ゴクドー家が恐るべき速度で爵位を得て、途轍もない速度で公爵となり、気付いたら建国していた。そこに、何の理由も書かれずに。

 そして生徒会長を初めとして、誰もその言葉に対して答えない。

 つまり誰も、その理由を知らないのだ。

 公国という存在を、知っていながらにして。


「どうやらいらっしゃらないようで。まぁ、こいつは公国うちの秘密でもありましてね。下手にその存在がばれちまうと、公国の方に怪しい輩を呼び込んじまう。ですから、知ってんのは王家くらいのもんなんですよ」


「……それは、一体?」


「この食堂の厨房にも、そこのトイレにも、貴方さんらの部屋にも、全部ついているでしょう。水道が」


「そんなの、当然でしょう?」


 テヤンディの言葉に、私は顔を上げた。

 確かに、部屋の入り口には洗面台があった。そこに『水の魔石』が埋め込まれた、水道が。でも、今その話は全く関係がないはずだ。

 ただ。

 その話が、誰も知らない『ゴクドー家の功績』であるなら――。


水の魔石あれ、生産してんの公国うちですよ」


「――っ!」


「初代ゴクドー家当主、トラジロー・ゴクドーが自ら作ったモンらしいですけどね。今でも、一定量を王国に卸しているんですよ。当然、製法は秘密ですがね。ゴクドー家はその功績を認められて公爵家になり、稼ぎから一部を王国に上納することで、公国として独立することを認めてもらったんです。ま、その一部で当時の王国の国家予算くらいあったってぇんだから、王国も認めるしかありませんよね」


「そ、そ、そん、な……!」


「ってぇわけで、あたしも実家に文を書かせていただきやしょう。王国の公爵家のモンに、うちの金看板が泥塗られたってぇね。ちょいと、水の魔石を納品する量が減るかもしれやせんね。東側に行き渡らない程度には」


「ぐ、ぐっ……!」


 私は、目を見開くしかなかった。

 公国が何故独立したのか、その理由が完全に分かってしまったからだ。今となっては、生命線の一つである水の魔石――それが貴族家どころか庶民にまで行き渡っているのは、ひとえにゴクドー公国のおかげだった。

 それが失われるとなれば、それこそ暴動が起きるだろう。

 ライフラインを失うということは、そういうことだ。


「さて」


 テヤンディはそこでばんっ、とテーブルを叩く。

 凜と張り詰めた空気が、食堂全体にぴりっと漂った。


「貴方さんがどうしてもあたしの友人を平民にしたいってぇなら、もう止めやしません。お好きになさってくだせぇ。ただし、あたしも文を書かせていただきます。多少王国との関係は悪くなるかもしれませんが、こっちに虎の子がある以上は向こうさんも従いますよ」


「……」


「ただし、貴方さんが何もしねぇ、あたしらのことは放っておく、ってぇなら、あたしも何もしません。吐いた唾を飲み込ませていただきましょう」


「……」


「それで手打ち。いかがですかい?」


 テヤンディの言葉に、生徒会長は顔を真っ赤にしたままで何も言えず。

 ただ。


 ただ、テヤンディを睨みつけ、ぷるぷると震えていただけだった。

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