第5話 学院長の理想

 六つの鐘が鳴ると共に、私はテヤンディと共に寮の一階――そこにある、食堂へと並んで向かった。

 恐らく、他の学生も同じように聞いているのだろう。六つの鐘が鳴ると共に、他の部屋からも様々な令嬢たちが出てきて、それぞれ食堂に向かっている。食堂の場所について詳しく聞いていなかったけれど、人の波に合わせれば問題ないようだ。

 テヤンディは相変わらず、「やっぱり鐘の音で全員が動くんですねぇ。ムショみたいで、妙な気分ですよ」とか言っていたけれど、とりあえず従ってはくれるらしい。


「わ……」


「へぇ。壮観ですねぇ」


 食堂には既に、何十人――下手をすれば百人はいるだろう学生たちが集まっていた。

 貴族令嬢は、様々な色とりどりのドレスを。貴族令息は、きっちりとした正装を。明日からは彼らの格好も一様にして制服に替わるのだろうけれど、今日は初日だ。ある意味服装というのも、一つの権勢の象徴となる。

 ざわざわと騒ぐ令嬢の中で、「あら、そのドレス良い仕立てね」「あなたこそ」などと、既に言葉の棘の応酬が繰り広げられている。

 そんな、学生の揃った食堂――その端に、私とテヤンディが並んで立っていると。


「静粛に」


 そう、凜とした声が食堂全体に通った。

 それと共に、ざわざわと騒いでいた学生たちが、次第に静まっていく。そして、その視線は食堂の奥。一段高くなった、まるでステージのような場所に立つ一人の淑女へと注がれていた。

 恐らく、年齢は五十過ぎといったところだろうか。顔立ちに深い皺を刻みながら、しかし背筋を真っ直ぐに立っているその姿は、気品を感じさせるものだ。そしてこの広い食堂で、百人からなる学生たちが騒いでいる中でありながら、そこに存在感を与える声音。


「偉いさんですかね」


「テディ、しっ」


 空気を読まずにそう発言するテヤンディを、とりあえず止めておく。

 テヤンディの言う通り、あの女性は恐らく、この学院の権力者――。


「よろしい。皆、集合しましたね」


 うん、と女性が頷き、僅かに笑みを浮かべる。

 その笑みにも、どこか迫力を伴っているような、そんな気がする。口元は僅かに笑みを浮かべているが、目は笑っていないと言うべきだろうか。


「まずは、この場を借りて自己紹介をさせていただきましょう。この王立ネッツロース学院において、学院長を務めるヴァネッサ・ノスフィルドと申します」


「――っ!」


 ざわっ、と一瞬だけ学生に驚きが走る。

 それは、相手が学院長という理由でなく、その姓だ。ノスフィルドは、グレイフット王国の北側を占める領地を運営する公爵家であり、現在存在する貴族家の中でも、最も権勢があるとされる家だ。

 そんな、ノスフィルド公爵家の者が、この学院の学院長――。


「まずは皆さん、入学おめでとうございます。我々も、新しい仲間として皆さんを歓迎いたします。三年間という人生においては短い間でしかありませんが、この学院で学ぶ全てのことが、皆のこれからの人生において豊かなものとなることを約束いたしましょう。三年間、よろしくお願いします」


「お願いします!」


 誰からというでもなく、そう声を揃えて学院長に頭を下げる。

 少なくとも、相手はノスフィルド公爵家の者だ。どれほど家格が高い者がいたとしても、ノスフィルド家を超えることはあるまい。私も同じく、頭を下げる。

 テヤンディも、どこか不思議そうに首を傾げながら、頭を下げた。


「まず皆さんに、約束していただきたいことが一つあります」


 学院長はそう言って、指を一本立てる。

 かつ、かつ、とヒールの音を響かせるように壇上を歩き、そして全員を睥睨して。


「皆さんの出自は、それぞれ違います。公爵家の者もいるでしょう。男爵家の者もいるでしょう。中には末席の王族もいます。それから、隣国――公国の姫君もおります」


 最後の言葉は、テヤンディを間違いなく見て。

 学院長は、さらに続ける。


「ですが、この学院においては、皆さんの立場は同じです。皆さんはそれぞれ、一人の学生としてこの学院に在籍します。そこに身分は関係ありません。身分を笠に着て他者を貶めることは許しませんし、身分が低いからといって遠慮をすることも許しません。この学院において、皆さんは平等です」


 学院長が、凜とした声音でそう告げる。

 私はその言葉に、ほっと胸を撫で下ろした。お父さんからは、「どうしても学院に通っていても、身分の差というものは存在する。下手に相手の機嫌を損ねるなよ」など、注意をされていた。だから私も、子爵家の出自として分相応の振る舞いをしようと考えていたのだ。

 だけれど、私たちは平等。そう学院長が約束してくれるのなら、話は別だ。

 相手が公爵家の者であっても、遠慮する必要などないということ。


「そもそもあなたたちに与えられている身分というのは、父君や祖先が名誉を挙げて、王国より下賜されたもの。生まれが公爵家であろうと、公国であろうと、それは何も変わりがありません。今、あなたたちに共通していることは一つ」


 再び、学院長はそう言って指を一つ立てて。

 それから、鋭い眼差しで全員を見下した。


「あなたたちは、総じて役立たずでしかないということです」


「――っ!」


「公爵家に生まれたからといって、他の貴族よりも優れていることはありません。男爵家に生まれたからといって、他の貴族より劣っていることはありません。誰もが、家の中しか知らない役立たずです。最低限の知識もない、知っておくべき法も知らない、人前に立つにあたってのマナーも知らない、役立たずでしかありません」


「そ、そんな……」


 誰かの、そんな呟き。

 まるで、己を全否定されたような、そんな気分になる。

 だけれど同時に、そんな学院長の言葉が胸にすっと入ってきた。確かに私は、ただ子爵家に生まれたというだけの女だ。何の知識もないし、何の技術もない。ただ今までの人生を生きてきただけの、役立たずだ。

 そんな私を導いてくれるのが、この学院――。


「ですから、皆は平等です。平等に役立たずです。ゆえに、真摯に、真剣に、学院で学んでください。皆さんの学びは、今後の人生の糧となるでしょう。私からは以上です」


 学院長は、最後にそう言って頭を下げた。

 誰からともなく、ぱちぱち、と手が叩かれる。それが次第に波のように全体に伝わって、喝采と化した。

 そして学院長は、相変わらずぴんと張った背筋のままで壇上を降り、そのまま去っていく。

 想像もしていなかった言葉と迫力に、私は思わず大きく息を吐いた。


「ふむ……素晴らしい考えですねぇ」


 そんな学院長の背中を見つめ、そして頷くテヤンディ。

 学院長の言葉は、彼女にも響いたのだろう。最初からテヤンディ自身も、「まだシノギもまともにできない未熟者」と言っていたし。


「凄い人だね、学院長……」


「ええ。あたしは改めて思いましたよ。この学院に入って良かった」


「うん。私も、そう思う」


 これから、どんな授業が待っているのか分からないけれど。

 私も、この学院に入って良かった。

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