第4話 鐘の音と派閥

 五つの鐘が鳴った。

 基本的に現在の時刻は、王都全域に響き渡る鐘の音で示される。まず早朝に鳴る一つの鐘、朝に鳴る二つの鐘、朝と昼の間に鳴る三つの鐘、昼に鳴る四つの鐘、昼と夕の間になる五つの鐘、夕刻に鳴る六つの鐘、夜に鳴る七つの鐘、そして最後の八つの鐘だ。

 基本的には一つの鐘で起床し、二つの鐘で朝食、三つの鐘で休憩し、四つの鐘で昼食、五つの鐘で休憩し、六つの鐘で夕食、七つの鐘で入浴し、八つの鐘で眠る――これが、この国に住む国民の生活習慣だ。

 そんな響き渡る鐘の音に耳を澄ませながら、テヤンディが小さく首を傾げた。


「こいつは、何の鐘なんですかい?」


「うん……? ああ、昼と夕の間。休憩の五つの鐘だよ」


「へぇ」


「次の六つの鐘が鳴ったら、夕食の時間になるから。えっと……公国にはなかったの?」


「ありませんねぇ」


 なるほど、とテヤンディが頷く。

 私が入寮のときに説明してもらったが、今日の六つの鐘からこの寮の食堂で夕食を摂るらしい。その際に簡単な説明も行うため、六つの鐘が鳴り次第、食堂に集合するようにとのことだ。

 だがまさか、誰でも知っている鐘の音を知らないとは。


「変な気分ですねぇ」


「どうしたの?」


「いえ、ね。鐘の音でメシの時間ってのが、あたしには慣れないもんでさ」


「あ、そうなんだ」


 私にしてみれば、生まれたときから食事といえば鐘の音、と考えている。

 だけれど確かに、他の国でどうしているのか私は知らない。昔から、時間を教えてくれるのは鐘の音だったのだ。

 そんな私の言葉に、テヤンディが肩をすくめる。


「公国では、時間なんて気にしたこともなかったんですよ」


「……そうなの?」


「ええ。好きな時間に起きて、腹が減ったらメシを食う。好きな時間にシノギをやって、眠くなったらに寝る。あたしらは、そういうのが人間の生き方だって思ってんですよ。それがまるで、鐘の音に管理されてるみてぇに感じるんでさ」


「……」


 テヤンディの言葉に、私は目を見開くしかなかった。

 子供の頃から、「二つの鐘が鳴ったら朝食だから、一つの鐘が鳴ったら起きなければならない」と教えられてきた。私だけでなく、この王都に住む者は誰もがそうだろう。

 好きな時間に起きるとか、眠くなったら寝るとか、そんな考えはない。一つの鐘が鳴るのは起きる時間であり、八つの鐘が鳴るのは眠る時間なのだ。


「なるほど。だから、ウチではそうなってるわけですかい」


「どういうこと?」


「あたしの国にも、鐘の音で時間を管理している場所があるんですよ。一つの鐘が鳴ったら、全員が起きて点呼。八つの鐘が鳴ったら、全員が消灯して眠る。そんな場所がね」


「場所、なんだ……?」


 よく分からなくて、私は首を傾げる。

 そんな私の問いかけに、テヤンディは寂しげにふっ、と微笑んだ。


「ええ。刑務所ですよ」


「――っ!」


「嫌ですねぇ。まだマッポのお縄にかかったこともないってのに、ムショの感覚を味わうなんてさ」


「そんな……」


 私にとって、鐘とは当たり前に存在するものだ。

 だけれど、確かに私たちの時間は管理されている。生まれたときからそうだったから、何の疑問も抱かなかった。

 それが、公国で生きてきたテヤンディにとっては違和感になるのだろう。


「でも、テディ」


「はいな」


「好きな時間に起きて、って……学校とかどうしてたの?」


「ああ。公国には、学校ってモンがないんですよ。子どもは、六歳になったらオヤジのやっている仕事の、見習いの丁稚から始めるのが通例でさ。そこで算術と文字と仕事のやり方を学んで、シノギを教わっていくんですよ」


「そう、なんだ……?」


 確かに、そういう世襲制の仕事というのは少なくないけれど。

 例えば職人や商会とかは、子どもに自分の仕事を継がせたりすることはある。だけれど、大多数の人間はそれほど自分の子どもに継がせるような仕事などしていない。

 それこそ、王宮勤めの文官の息子が騎士団に入ることだってあるし。

 そのあたりは、やはり王国と公国の文化の違いなのだろう。


「まぁその分、識字率は王国よりも低いんですがね。あたしも、そのあたりの教育方法を学んでいこうと思って入学したのもありますよ」


「そうだったんだ……」


「余談でしたね。それで……ええと、次の鐘で、あたしらは食堂に集合するんですかい?」


「うん。そう」


 テヤンディの言葉に、頷く。

 公国民と王国民に習慣の差はあるだろうけれど、テヤンディも先程言ったように、「郷に入っては郷に従え」だ。ちゃんと、鐘の音に従って生活してもらわねばならない。

 そのあたりのサポートをしていくのも、私の役目だろう。


「ただ……私も、これは噂でしか聞いてないんだけど」


「へぇ」


「どうも、上位貴族の子女の間では、派閥が存在するんだって。その頂点が公爵令嬢だったり、令息だったり色々あるらしいんだけど……」


「組の暖簾分けみたいなもんですかい?」


「……分からないけど、多分違うと思う」


 なんとなく、違う気がする。本当になんとなくだけど。

 ただ、派閥の話はお父さんから聞いた。あくまで、お父さんが在学していた頃の話ではあるけれど、当時は第二王子派と公爵令息派、それに別の公爵家の令嬢派があったそうだ。

 それぞれの派閥は対立しており、食堂や移動教室などでも、派閥ごとに分かれて座っていたのだとか。

 ちなみにうちは下級貴族だから、そういう派閥争いに参加することはなかったらしいけど。


「テディは公国の公女様だから、そういう派閥から誘いが来ると思うよ」


「ふむ。それは所属して何か得があるってことですかい?」


「それは分からないけど……」


「まぁ、あたしはよく分からないんで、リリシュさんと同じとこでいいですよ。あたしは、リリシュさんとは暖簾を分けたくないもんで」


「いや、私は……」


 お父さんと同じく、私も下級貴族だ。子爵家の三女など、派閥に入れても何の意味もない。私はそういうのを、遠目で見るだけだろう。

 でも、テヤンディは公女だ。その利用価値は大いにあるだろう。私には分からないけれど、そういう派閥とか作る頭のいい人なら分かると思う。多分。


「リリシュさんは入らないんで?」


「私は子爵家だから、そういうのには入れられないと思う」


「……つまり、カタギは入れないってぇことですかい?」


「う、うん?」


 カタギっていうのが分からない。そう言えずに、私は首を傾げる。

 だけれどテヤンディは、頭を抱えて大きく息を吐いた。その眉根は僅かに寄っている。私に分かったのは、美人は怒っても美人なんだなぁ、くらいのものだ。

 はぁぁぁ、とその大きな溜息が聞こえる。


「あたしらの稼業は、カタギさんに支えられているんですよ」


「……うん?」


「カタギさんがいてくれるから、あたしらは大きな顔をしてられるんですよ。カタギさんを粗末に扱っちゃなんねぇ」


「……」


 意味が分からない。

 そもそも『カタギ』の意味が分からないのだから、その内容を察することができないのも当然だ。

 分かっているのは、私がその『カタギ』だということ。それ以外分からない。

 だから、私は。


「そう、なんだ……」


 何故か怒りに震えているテヤンディを刺激しないように。

 とりあえず、それっぽく肯定だけしておいた。

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