第3話 侍女の帰還
テヤンディの荷物の搬入は、部屋から玄関まで三往復程度で済んだ。
公国の公女様であることだし、荷物はさぞ多いと思っていたのだが、それほどの量はなかったようだ。木箱の数から見ても、私の持ってきた荷物と大して変わりがない。ただ、木箱から覗く装飾品の類は高価なのだろうと思わせるものだ。
「ふぅ、こんなところですかい」
「これで荷物は全部です、お嬢様」
「ええ。そんじゃローラ、帰路気をつけて。あたしはここで、一花咲かせてみせましょう」
「旦那様にも、そう伝えておきますね」
「……え、帰るんですか?」
玄関先で、馬車に乗り込む侍女――ローラ。
どうやら、彼女は公国の方に帰るらしい。というか、世話役として連れてきたのではなかったのだろうか。
不思議に思って、そう私がテヤンディを見ると。
「ああ、あたしは事前に、王立ネッツロース学院の校則を確認してましてね」
「は、はぁ……そうなんですか?」
「ええ。その規則の一文に、『従者を連れるのは禁止』と書かれておりまして。この学院は学ぶ場であると同時に、己を律する場でもあります。手前の世話も手前でできないような生徒は必要ないってぇ、そういった意味での規則なんでしょうね」
「え……そ、それは……」
テヤンディの言葉に、眉を寄せる。
私も今日、入寮したばかりだ。だけれど、他の貴族令嬢は何人も見てきた。そして、その全てが従者を連れている状態だったのだ。私の名前すら聞かなかった、あの高慢な令嬢のように。
それに入学する前に、お父さんから色々と学院について話も聞いた。一応、お父さんもここの卒業生だから。
規則で『従者を連れるのは禁止』とあるが、実際のところは建前だけで、ほとんど意味のない形骸化した校則に過ぎない――と。
「あ、あの、私も、聞いた話でしかないんですけど」
「へぇ」
「従者を連れるのは禁止という校則はありますけど、実際はあまり意味のない規則らしいです。公爵家のご令嬢なんかは、常に従者を三人ほど連れているとか……」
「おや、そうなんですかい」
「貴族家のご令嬢だと、いかに多くを従えているかによって権勢を誇示することにもなりますから」
「なるほど」
テヤンディが、私の言葉に頷く。
従者の数というのは、ある種己の財力を現すものだと言っていい。
それだけ多くを従え、それだけの給金を問題なく供出することのできる家柄だということだ。服、装飾品、そして従者が、ぱっと見て家柄を示す三つの項目だと言っていいだろう。
私のような下級貴族は、従者を連れていなくて当たり前だ。従者に給金を支払う余裕などないのだから。
だけれど公国の公女が、従者を一人も連れていないというのは――。
「貴重なご意見、ありがたいんですがね……あたしにとって、形骸化されている云々は、関係ありやせん」
「……そう、なんですか?」
「規則で定められている――それが大事なんですよ。規則には従わねばなりません。定められていることに反しちゃいけません。手前が法を犯しておいては、法を語ることなんざできねぇってことになりますからね」
「は、はぁ……」
「郷に入れば郷に従え、ってぇ言葉もあります。法に定められていないなら、抜け道はいくらでもありますよ。ですが、ちゃんと文面にされた上での法があるってんなら、あたしはそれに従うだけでさ」
「……」
芯の通ったテヤンディの意見に、私は思わず息を呑む。
私は今まで、そんな風に考えたことはなかった。あくまで形の上で定められていることでしかないのなら、従う必要などないと考えていた。
特にそれが、学院の上層部でも黙らせることのできる立場――公女であるならば、尚更のこと。貴族というのは、立場を以て自分の我儘を通すものだ。
だけれど、テヤンディはそれをしない。
定められている規則は、守る。それは彼女の、高潔な精神からなるものだろう。
「リリシュ様。これから、お嬢様はお嬢様なりのシノギを考えなければなりませんし、そのための勉学をしなければなりません。どうか今後とも、お嬢様のことをよろしくお願いします」
「ローラによろしく言われなくとも、あたしはあたしで勝手にやりますよ」
「これも侍女の勤めですから」
ふんっ、と鼻を鳴らすテヤンディと、はいはい、とそれを流すローラ。
公女様と侍女という立場にありながら、それはまるで友人であるかのような。
「それでは、私はこれで。ああ、お嬢様、最後に旦那様からの言伝を」
「何かありましたかい?」
「ええ。年に一度くらいは帰ってこい、と」
「残念ながら、あたしはあたしのシノギを見つけるまで、故郷の土は踏まないつもりでさ」
「お嬢様なら、そう答えると思いました」
ふふっ、と最後にローラは小さく微笑んで。
そして、馬車の手綱を持ち、ゆっくりと馬が動き始めた。
その馬車の背が見えなくなるまで、テヤンディと共に見送って。
「そんじゃ、あたしらも部屋に戻るとしましょう」
「あ、は、はい。そうですね」
「ああ、あたしの前でそんなにかしこまらなくても大丈夫です。むしろ、かしこまられるとこそばゆくてたまんねぇ。あたしもざっくばらんにいきますんで、リリシュさんもどうぞ、自然体で接してくださいな」
「そ、それは……」
本当にいいのだろうか。
でも、確かに同室だし、これから一緒に過ごす仲になるわけだし。
うん。
変に悩むのはやめよう。テヤンディは物凄く距離を縮めてきてるし、自然体で接してもいいって言ってくれているわけだ。
ここで私が、下手に距離を開ける方が失礼になるだろう。
「うん。それじゃ、私もそうさせてもらうね」
「ええ。それに、あたしは田舎者でね。公国の公女様なんて呼ばれちゃいますが、王国の常識なんて何も分からない状態なんですよ。その辺も、色々教えてくださいな」
「あ、う、うん。私に、分かることなら……」
「頼りにしてますよ、リリシュさん」
うひひっ、と笑みを浮かべるテヤンディ。
少々、いや割と、いや結構、変な娘ではあるけれども。
真面目だし、根はいい人なのだろう。立場を笠に着て何かを言ってくることもないし。
「うん」
テヤンディに聞こえないように、私は頷く。
彼女の従者であるローラは、公国に戻った。そしてテヤンディは、従者を一人も連れていない。
だったら。
将来的に、公国の公女様つき侍女という立場を、私が得るために。
この学院に通う短い間だけでも。
私が――リリシュ・メイウェザーが、テヤンディの従者になろう。
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