第2話 初顔合わせ

 物凄く張り詰めた空気が流れている。

 公女殿下――テヤンディは、その吸い込むような空色の瞳で、私をじっと見つめる。そして私は、そんなテヤンディに対して何を返していいか分からない。

 あの流暢な口上が、一体何を意味しているのかさっぱり分からないのだ。あれが、ゴクドー公国での公式の自己紹介になるのだろうか。

 そして、そんなテヤンディの後ろ――そこに控えていた侍女が、小さく溜息を吐いた。


「お嬢様」


「へぇ」


「こちらの方、カタギでございます」


「ああ、カタギさんでしたか。そいつは失礼しました。仁義を切っても何の反応もないもんで、あたしの口上が間違っちまったかと思いましたよ」


「お嬢様の仁義はいつも通り切れておりますが、カタギの衆には通じませんから」


 私は、いつの間に『カタギ』という謎の存在になったのだろう。

 意味が分からず、テヤンディと侍女を交互に見ることしかできない。そんなテヤンディは、それまでやっていたポーズ――左手を膝に添え、右手の掌をこちらに見せるという姿勢から、普通の姿勢に戻った。身長では、低い私に比べて拳二つ分は高い。

 とりあえず、恐ろしく張り詰めた空気が若干ながら弛緩したことを喜ぶべきだろうか。

 まず、落ち着くことから始めよう。


「ええと……は、初めまして。私は、メイウェザー子爵家の三女、リリシュ・メイウェザーと申します」


「改めまして、テヤンディ・ゴクドーと申します。ゴクドー公国の公女を名乗らせてもらっておりますが、未だシノギも満足にできない半端モンでございます」


「は、はぁ……」


 思わぬテヤンディの言葉に、戸惑ってしまう。

 公国の公女様だというのに、全く偉そうな素振りがない。むしろ、先程のご令嬢の方が遥かに偉そうだった。これがゴクドー公国の風習であるのか、テヤンディ自身の性格であるのかは分からないけれど。

 だけれど、相手は公女様だ。むしろ、こちらが謙らなければならないだろう。


「本日は、案内役の方にあたしの部屋がこちらと伺いまして」


「は、はい! 私もそうです。ええと……二人部屋で、同室ということで、よろしくお願いします」


「へぇ。何分田舎者ですんで、何ぞ失礼なことがありましたら平にご容赦願います。リリシュ殿、とお呼びしても?」


「そんな! リリシュと、どうか呼び捨てで……」


「でしたら、こちらもテディと。親しいモンからは、そう呼ばれております」


 テヤンディが、にこりと微笑んでそう言ってくれる。その微笑みもまた、女神のそれと思えるほどに美しい。

 だけれど、私なんかがそう呼んでいいのだろうか。「親しいモン」とのことだが、現在のところ私とは親しくないわけだし。そもそも、私は子爵家の女で、テヤンディは公国の公女殿下だ。そこに、絶対的な身分差がある。

 ここは、丁重に遠慮させてもらおう。さすがに、いきなり公女をそう呼ぶわけにいかない。


「え、ええと、わ、私は、子爵家の者でして……」


「へぇ。それは聞きやしたが」


「と、とても、公女様をそのように愛称で呼ぶような家柄では……」


「それが何か関係あるんですかい?」


 不思議そうに、そう言ってくるテヤンディ。

 それはまるで、貴族だというのに身分を全く感じていないような――。


「あたしは、半端モンですよ。まだシノギもまともにできない、オヤジに小遣い貰ってる立場でさ」


「い、いえ、それは……公女様、ですし」


「一人前の侠客になるには、手前のシノギで上がりを納めねぇといけません。それはオヤジの娘であっても同じでさ。公女様なんて呼ばれても、こそばゆいだけですよ」


「そ、そんな……!」


「そんな半人前のあたしですが、シノギを得るには知識が必要と考えて今回、入学したって運びで。あたしもリリシュさんも、立場は同じ学院の一年生です。それも同室ときたモンだ。あたしとしては、リリシュさんと仲良くしたいと思いましてね」


 何を言っているのか、節々分からない点が多くあるけれど。

 それでも、その眼差しの誠実さは、分かった。

 その美しさに、くらくらしてしまう。


「申し訳ありませんが、お嬢様の申し出の通りにしていただけませんか?」


「え……」


「この通り粗野なお嬢様ではありますが、今後は同じ部屋で寝食を共にする相手です。リリシュ様とは仲良くしたいと、そう思っているのですよ。ここに来るまでの馬車の中では、何度も言っていましたから。同じ部屋の人と仲良くできなかったらどうしよう、と」


「お、おい、ローラ!」


 ローラと呼ばれた侍女の言葉に、顔を真っ赤にするテヤンディ。

 そんなテヤンディの反応に、思わず私も吹き出してしまった。先程まで自信満々な様子だったというのに、いきなり年頃の少女になったように思える。

 そして本人に、加えてその侍女に言われてしまっては、私も従うしかない。


「わ、分かりました……えっと、テディ。よろしくお願いします」


「ええ、こちらこそ。リリシュさん」


「私の方は、さん付けなんですね……」


 なんだか、申し訳ない気持ちになってくる。公女の方に敬称を付けさせて、自分は愛称で呼んでいるというのが。

 しかし、そんな私の声が聞こえなかったのか、テヤンディは頷いて隣の侍女――ローラに声を掛けた。


「それじゃローラ、そろそろあたしの荷物も搬入しましょうかね」


「はい、お嬢様」


 ひとまず、ほっと胸を撫で下ろす。

 公国の公女様と一緒の部屋とか、気位が高い人だったらどうしようと思っていた。だけれど実際に会ってみれば凄く謙遜してくれる人だし、私も緊張しなくて済みそうだ。

 まぁ、言葉の端々に分からない言葉があるけれど、それは多分ゴクドー公国の文化とかそういうのなのだろう。『シノギ』とか『カタギ』とか。

 そこで、ふと閃いた。


「あ、あの、私も手伝います、運ぶの」


「おや……いえ、初めてお会いした、しかもカタギの方にそんなことをさせるわけには」


「今日から、同じ部屋ですし。寝食を共にする仲になるわけですから」


「ふむ」


 そもそも、私がこの学院に入学した目的は、就職先探しだ。

 高位の貴族令息や令嬢と仲良くして、卒業後には屋敷で雇ってもらう――それを目的にして、私は入学したのである。しかしやはり、その相手を探すというのは大変だ。これからお近づきになり、関係を築き、その上で必要とされなければならないのだから。

 どうしても身分の差がある以上、高位の貴族家の人には近づきにくい。それに加えて、先程私の名前すら聞かなかったご令嬢のように、貴族というのは気位が高いものなのだ。そんな相手は、こちらから遠慮したい。


 だがその点、テヤンディはどうだろう。

 公国の公女という立場にありながら、こちらを尊重し自身は謙遜する人柄。そして私が子爵家の家格ということを伝えておきながらも、その態度には何の変わりもない。

 今後のことを考えると、第一印象は良くしておくのがベストだ。


「そういうことでしたら、手伝っていただきやしょう。少々重いもんもありますが、よろしいんで?」


「ええ、大丈夫です」


「それじゃ、頼らせてもらいますよ。リリシュさん」


 にこりと、そうテヤンディが微笑んで。

 私は意気揚々と、テヤンディが外に止めている馬車へ、共に向かった。

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