第1話 ゴクドー公国の公女様
ひとまず、私が最初にやったのは実家から持ってきた荷物――その中の一つ、本を入れていた木箱を開けることだった。
この本は、お父さんの蔵書から幾つか見繕って持ってきたものだ。何事においても知識というのは大切だし、何か分からないことがあったらすぐに調べることができる。だから、今までほとんど読むこともなかった本を持ってきたのだ。
本の種類も雑多で、『簡単な家庭の医学』とか『草花の辞典』とか『解剖学読本』とか難しそうなものが多い。ちなみにお父さんも、ほとんど読んでいないそうだ。父曰く、「とりあえず書斎が寂しかったから本を揃えてみたけれど、読む暇がない」とのことである。
「ええと……あった!」
木箱の中から取りだしたのは、『グレイフットの歴史』。
建国から、現在に至るまでのグレイフット王国の歴史が書かれた本だ。これを読めば、少しはゴクドー公国のことを理解できるかもしれない。
必死に頁を捲って、目的の単語を探し出す。
「……」
建国、初代国王、法の制定、議会の設立、初期の貴族家――そのあたりの頁を流し読みするが、さっぱり頭には入ってこない。
私に必要なのはそのあたりの歴史ではなく、ゴクドー公国のことだ。残念ながら私は、歴史上どのタイミングでゴクドー公国が誕生したのかさっぱり分からない。だって、人生で関わることがあるなんて思ってなかったし。
そんな風に本を捲り続けて、ようやく目的の単語を発見した。
「ゴクドー子爵家……」
歴史からすれば、今から百五十年ほど前になる。そこで唐突に貴族家として名を連ねているゴクドー家が、この時期に何をして爵位を得たのかは分からない。書かれているのも、『当時の貴族一覧』の端の端だ。
特にゴクドー家が何をした、という記録もない。百五十年前の時点では、まだ子爵家の一つであり注目もされていなかったのだろう。
だが、次の項目を見て驚いた。
歴史からすれば、百三十年ほど前。ゴクドー家が子爵を与えられた、二十年後だ。その時点での歴史の記事に、『ゴクドー家が公爵を叙爵。ウェストリア港都市を与えられる』とある。このウェストリア港都市というのは、現在のゴクドー公国の首都だ。僅か二十年の間に、一体何があったのだろう。
そして、百二十年前。ゴクドー家が公爵と認められた、十年後。
書かれている記事は、『ゴクドー公爵家が治めるウェストリア港都市を中心とした、ゴクドー公国の独立を承認』とある。その歴史の背景は、特に注釈も書かれていない。
私はいつだったか、辺鄙な港町を一大都市にまで成長させた、とか聞いたけれど。それもどこで聞いたか覚えていない。
「……」
そして、以降の頁では時々『ゴクドー公国』の名前は出てくるものの、その内容は全くなかった。せいぜい、『隣国ゴクドー公国との国交は良好』だとか、『ゴクドー公国もまた王国に続いて兵を挙げた』などである。
詳しくゴクドー公国について、書いてある場所はどこにもなかった。
「ううん……」
歴史書なんて初めて読んだけれど、正直よく分からなかった。
少なくともゴクドー家が歴史に突然現れて、流星のように高位貴族になり、そのまま公国の設立まで認めさせた家だということは分かった。だけど、それだけだ。具体的に何をしたのかとか、そういう内容について触れている頁は全くなかった。
せめて、何か文化についてとか書かれていれば――そう思うけれど、ないものねだりをしても仕方ない。
他に何か本は――そう木箱に手を伸ばそうとして。
「お嬢様、どうやらこの部屋のようです」
「左様で」
そう。
部屋の入り口から、二つの声がした。
はっ、と目を見開いて入り口を見る。扉の開け放たれたそこにいるのは、二人の女性。
一人は背の高い、鋭い眼差しをした女性。しかし動きやすそうなお仕着せであることから、恐らく侍女であると思われる。
そして、もう一人。
造形は、まるで神が理想的なパーツを顔立ちに誂えたようだ。神々しいという言葉が、これほど相応しい顔立ちがあろうかと思えるほど。美しいという言葉が霞んでしまうくらいに。
王都での流行とはやや異なる、異国のものと思われるドレス。そして貴族の間で流行している巻き髪でなく、長いストレートの銀髪を後ろに流している。
そんな彼女の空色の瞳が、私を写した。
「おや……」
間違いない。
この令嬢こそが、ゴクドー公国の公女殿下――!
「あ、あ、あ、あの、わた、私……」
「お止めを。自分より発します」
「へ……?」
公女は、私のあわあわとした言葉を止めて。
それから腰を落とし、左手を膝に当て、右手の掌をこちらに示すように見せてきた。
凜と、空気が張り詰めるような感覚。
私はそんな公女の動きに、何も言えない。
「お控えなすって!」
その場を支配するかのような、強い語気。
邪魔をすることが、まるで無粋だと感じられるような、その口上を。
私はただ、聞くことしかできなかった。
「手前、生国はゴクドー公国。稼業縁を持ちまして、此度ネッツロース王立学院に入学することになりました。姓をゴクドー、名をテヤンディ。人呼んで『白薔薇のテディ』と発します。ゴクドー公家の若い者でございます」
公女様――テヤンディと名乗った、そのご令嬢は。
まるで貴族家の令嬢とは思えない、そんな名乗りを上げた。私は正直、どう反応していいか分からない。
固まったままの私に、テヤンディはさらに続ける。
「向かいましたる貴方さんとは今回初めての目通りということで。手前、渡世未だ修行中の未熟者にございます。ご賢察の通り、しがなき者ではございますが、後日にお見知り置かれ行末万端御熟懇に願います」
物凄く、真剣に言っているのは分かる。
恐ろしく、流暢に喋っているのは分かる。
だけれど、彼女が何を言っているのか。
それが私には、さっぱり分からなかった。
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