赤井みどりの失敗は斜め上。

まこ

第1話

2021/04/04 に修正気づいた誤字の修正。あと、改行を多くしました。

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 赤井みどり、二十三歳、大学院生です。恥ずかしいので理系とだけ言っておこう。


 私は今、失敗をして院生室に帰ってきた。恥ずかしながら失敗したことを部屋にいる同級生たちに告白した。

 しかし、誰も私の失敗を信じてくれない。誰もだ。

 部屋には5人もいるのに誰一人として信じてくれない。

 誰も不幸にならないような、ただのちょっとした失敗なのに。


 自分の人生で、一番最初の失敗を覚えているだろうか。質問の仕方が悪かった。

 覚えている失敗で一番最初のものは何歳の時のものだろうか?

 私は小学校一年生の時の失敗である。

 今回の失敗の前に、この小一の時の失敗の話をしようと思う。


 いや、その前に失敗ではないが幼稚園児だった頃の話からだ。

 まずは、私は賢いという事を知ってもらうことにする。

 失敗だけ話したら、私がダメな女だと思われてしまうかもしれないから。



 ある日、私は幼稚園から一人で歩いて帰ることになった。

 今の時代では考えられないが二十年近く前の事である。

 のどかな田舎だったので、保母さんを説得できたのだと思う。たぶん。

 断じて私が勝手に帰ったのではないと言っておく。念のため。


 幼稚園児でも歩いて帰ることができる距離である。

 ただし、帰宅途中に難所が一つだけあった。

 ため池である。

 大人ならいざ知らず、幼稚園児には恐怖の場所だった。

 私の記憶が正しければ道と池の間に柵のたぐいが無かったのだ。

 池のすぐ脇を歩くのは怖かったし、母からも禁止されていた。


 幼稚園からの出だしは順調である。母の言いつけを守り、道の右側を歩く。

 道はそれほど広く無く、歩行者用の歩道はない。

 時々通る車に注意しながら歩いていた。


 池が見えてきた。

 なんと、右側を歩き続けると池がある側を歩くことになる。

 怖いし母の言いつけを破ることになる。これはいけない。

 回れ右をして少し前の横断歩道を渡って、池の脇だけは左側を歩くことにする。

 左側通行も母の言いつけを破ることになるが、ここだけは池と反対側を歩きなさいと言われていたので、母の言いつけを破ることにはならないと思う。


 歩き出そうとして、愕然とした。


 このまま横断歩道まで戻ると左側を歩くことになる。

 横断歩道のない場所で道を渡ってはいけないと言われている。

 これも母の言いつけだ。


 進めない。戻れない。渡れない。


 ………詰んだ。これ以上動けない。



 私はこんな子供だった。我ながら賢いと思うのだがいかがだろう?


 ちなみにこの後私がどのような行動を取ったのかは記憶にございません。

 今に至るわけだから、何らかの行動を取ったはずである。

 いかなる行動を取ろうとも母の言いつけに背いたことになる。

 私は、母の言いつけに背くことも辞さない勇敢な子供だったのだ。



 さて、次は小一の失敗譚である。


 私は弟と二階の部屋で遊んでいた。

 一階には両親がいて、父に来客があったことを覚えている。

 私と弟は出窓によじ登り、床に飛び降りて遊んでいた。

 大人になった今では何が面白いのかさっぱりわからないが、私と弟は何が楽しいのか、何度も繰り返していた。

 季節は夏、窓は空いていた。ただし、網戸で虫はガードしていた。

 私と弟も網戸でガードされて、外に落ちることはない。

 ないはずだったのだ。


 テンションの上がった私はお尻で網戸をぶっ飛ばしてしまった。

 そしてそのまま窓の外。

 私ピンチ!


 しかし、運動神経抜群の私。とっさに窓枠をつかむことに成功。

 まるで映画のように窓枠にぶら下がる私。

 ラッキーなことに、窓の下に台所の換気扇。小さな煙突が付き出していた。

 伸びきった私のつま先が煙突の上へ。

 ちょうど、ぶら下がっているような、つま先で煙突に立っているような、どちらつかずの状態。

 体が伸びきっているので自力で登れない。


「たすけて~!!!」


 叫ぶ私。


 やさしい弟は、


「お姉ちゃん、がんばって!」


 と、応援して窓から姿を消す。


 一階へ父を呼びに走る弟。


 ほどなくして、駆け付けた父に引っ張り上げられる私。


 飛び降りるたびにドスドスとうるさかったらしく、お客さんの前でこっぴどく叱られる私。


 記憶にある最初の失敗である。



 ちなみに記憶にない失敗ならば、二歳のとき。

 父が昼寝をしている間に部屋のタオルにマッチで火を着けて「お父さん火事だよ」と父を起こしたことがあるらしい。

 私は覚えていないが、ことあるごとに私の両親はこの話をする。

 あわや大惨事である。

 アパート暮らしの頃なので大変なことになっていたかもしれない。

 失敗でなくて犯罪である。




 さて、いよいよ今現在の話をしよう。

 同級生は誰も信じてくれなかったので、せめてあなただけでも信じてくれればいいのだが。


 私は現在大学院修士課程の二年生。

 今風に言えば(まあ今なのだが)、博士前期課程の二年生である。

 私の代は全部で十人。この十人が私が今いる院生室のメンバーである。

 ゼミごとに縦割りで部屋割りをするところの方が多いかもしれない。

 私の大学は学年で部屋割りされているのだ。

 今、十人中私を含めると六人が院生室にいるわけである。


 大学院生は夜型の人が多い。

 ひどい人になると、夜になるとやってきて次の日の昼過ぎに帰宅する人がいたりする。深夜、誰もいない部屋で勉強するとはかどるそうである。

 まあ、深夜でも部屋に一人きりになることはめったにないそうだが。


 私はうら若き乙女である。

 基本夜は家に帰るので、高校生のように朝早く大学にきて夕方には帰宅する。

 ゼミ以外の授業はほとんどないので、ほとんどの時間が自習である。

 つまり、ひたすらテキストや論文とにらめっこである。

 ずーっと受験勉強しているみたいである。


 高校生の時とは比べ物にならないほど難しい問題を解かないといけないので非常に疲れる。せめてもの救いは、まだ研究者ではないので必ず解答があるという事だ。

 研究者が取り組む未解決問題の場合は、そもそも、その予想が正しいのかが分からないのだ。

 正しいと分かっているだけましである。

 問題なのは正しいと分かってはいるがどこを探しても証明がないことである。

 テキストや論文では「自明」と書いてあるだけ。

 すなわち「明らか」と言っているのだ。


 今日も私は「自明」に取り組んでいた。

 そして、A4の無地の紙三枚にわたる「自明」の証明を完成させたのだ。

 

 今日の仕事が一区切りついたので、私は一服することにした。

 一服と言っても私は煙草を吸わない。

 私の一服はカフェオレである。あまーいカフェオレである。

 いつものように五階からエレベータを使わずに階段を下ってゆく。

 今日は自販機のある休憩室の汚いソファーで飲もうか、

 それとも院生室まで戻って自分の席でゆっくり飲もうか考える。

 今日は院生室へ戻ることにする。


 階段を一回まで下り、さっき解いたばかりの証明について考察する。

 何とか解けたがもう少しエレガントに証明したい。

 深く考え込みながら廊下を歩き休憩室に入る。


 ポケットから百円を出して自販機へ投入。大学構内は缶ジュースが安いのだ。

 私が愛飲しているカフェオレはちょうど百円である。

 カフェオレのボタンを押す。

 ガチャリと缶が落ちた音がする。

 少しかがんでカフェオレを取り出す。


 あれ? カフェオレが無い。


 いつも買っているのでカフェオレが落ちる場所は把握している。

 念のために取り出し口全体を見る。だが、無い。


 ん?


 取り出し口越しにリノリウムの床が見える。


 そもそも取り出し口の受け皿が無いではないか。


 サーっと血の気が引いた。


 休憩室に入る前。休憩室前の廊下で九十度の方向転換。

 ドアを開けて休憩室の中へ入る。

 自動販売機は休憩室の左側の壁に並んでいる。


 自動販売機の前で九十度回転……………回転してない。


 そう。回転してないのだ。



 私はすべてを悟った。

 この間ゼロコンマ五秒。

 取り出し口越しにリノリウムの床を認識した瞬間に私の脳裏に走馬灯が走ったのだ。



 私は恐る恐る取り出し口から顔を上げる。


 まず、カフェオレの缶が目に入った。

 自動販売機の扉の脇から誰かの手に持たれたカフェオレ缶が飛び出している。


 さらに視線を上げる。


 顔があった。私より少し年上だと思われる若いお兄さんが顔だけ出している。


 無表情。



「申し訳ありません。」


 小さな声で謝罪してカフェオレを受け取る。


 頭を下げたまま回れ右して早歩きで逃走。


 院生室までの帰路は記憶にない。


 カフェオレをすべて飲み干してから我に返った次第である。


 居合わせた同級生に告白したわけだが誰も信じてくれなかったわけである。


 誰か信じて。






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すべてのエピソードは基本的に実話である。

特に、自販機事件は記憶にある通り忠実に再現しました。

日本のどこかに仲間がいないか探したい。




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赤井みどりの失敗は斜め上。 まこ @mathmakoto

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