第113話 神と吸血鬼

 部屋で寛いでいたゼビウスの前に、見るからに不機嫌な表情を浮かべたヴィルモントがボトルを勢いよく置いた。


 本を読んでいたゼビウスは驚いたように目をパチパチさせたが、相手がヴィルモントと気づくと納得したように「ああ」と声を出し本を閉じた。


「心当たりがあるようだな」

「心当たりっつうか、お前が俺に話があるとしたら一つしかないだろ。で? シスがどうした」

「確かにシスの事ではあるが、正しくはシスの教育についての文句だ。ある程度話は聞いたが、何故シスに人の常識を教えなかった?」


 シスは人の姿になれるが行動は基本的にオルトロスそのままである。

 その為オルトロスにとっては普通の行動でも周りから見れば異様として見られてしまう。


「ちなみに何やった?」

「私のローブに汚れがついていると舐めとった。頭の部分だ」

「あー……」


 注目されるのは苦ではない、むしろ好むヴィルモントではあるがこの目立ち方は好みに合わなかったらしい。


「シスにとっちゃ毛繕いの一環なんだよなぁ」

「誤魔化すな。さっさと質問に答えろ」

「はいはい、何故って、そんなの人よりオルトロスの常識を教える事を優先したからに決まってるじゃん」

「……どういう意味だ?」


 予想外の答えに呆気に取られたのか、それまで不機嫌だったヴィルモントの表情が変わった。


「そのまんまの意味。俺がシスを保護した時、シスはオルトロスとして普通の事を全く知らないし出来なかったんだよ。威嚇や遠吠えは勿論毛繕いすら」


 シスは二つ頭が特徴のオルトロスであるが、突然変異で頭が一つ増えて三つになっている。

 コレが原因で親から子供と認識されず群れからも追い出され、それ以降『生きる』という本能のみで生きてきた。


 その為本来なら親や仲間から教わる狩りの仕方だけでなく、同族の言葉さえも分からない状態だった。


「あとシスが人の姿に変えられるの知ったの最近だから、教えようがなかったってのもあるな」

「? お前が教えたのではなかったのか」

「自力だよ。しかもそれ覚えている状態で冥界帰って来てんのに言わなかったし……まあでも丁度いいからお前がシスに人としての常識を教えてやってよ、主なんだろ?」


 突拍子のない提案にヴィルモントは驚いたように目を見開いたが、すぐに元の表情に戻った。


「私がシスに求めるのは移動と戦闘のみ、それは契約外だ。……だが、ふむ」


 そこまで話し、何か面白い事でも思いついたのかヴィルモントは口元に笑みを浮かべた。


「そうだな……そちらが報酬を出すというのなら考えてやらんでもない」

「おっと? 神相手に対等に交渉する気?」


 見定めるような視線と提案にゼビウスも口元は楽しそうな笑みを浮かべるが、目は笑っていない。


「お前の息子に勉強を教えてやるのだ、いわば家庭教師の依頼という事だろう。ならば私に報酬を払うのは当然ではないか」

「へえ、何を望む」

「宝石だ」

「は」


 既にゼビウスの脳内では傲慢な報酬を望むヴィルモントへの処分方法を選んでいたが、思っていたより普通な要求に物騒な考えは全て吹っ飛んだ。


「随分……一般的だな?」

「分不相応な要求は身を滅ぼす、これでも身の程は弁えているつもりだ」

「成る程。でもそれなら家庭教師の報酬に宝石は高すぎない?」


 ゼビウスに先程まであった温度のない目はもうなく、今は完全にヴィルモントとのやり取りを楽しんでいる。


「人に人の常識を教えるのならともかく魔物に人の常識を教えるのだ、妥当な要求だろう」

「ふうん、宝石なら何でもいいの」

「一定以上のカラットがあれば。あと私はサファイヤやアメジストといった寒色系を好むが、アレキサンドライトでも構わん」

「さらっと希少価値のバカ高いもん混ぜるな、分不相応だぞ」

「暖色だからと選択肢から省かれんように言っただけだ、他意はない」

「ま、一応交渉成立としてやるか。最終的にシスがどこまで学べたかで決めるがいいな」

「勿論」


 交渉成立の証としてヴィルモントがゼビウスに空のグラスを差し出した。


 注げ、という事らしくゼビウスは一度眉をしかめたが、すぐに表情を戻してゆるい笑顔を浮かべながらボトルを傾け中身を注いだ。


「そうだ。シスが何かやらかした場合、私は口より先に手が出る事を言っておこう」

「……。グラスに注いでから言ったって事は事後承諾だな、何をやった」

「ローブを舐めた際に渾身の左ストレートを放っただけだ。多少赤くはなったが数時間もすれば引くだろう」

「……出来れば殴るじゃなく叩く程度にな」

「善処しよう」


 注ぎ終わったグラスの中身を口に含むとヴィルモントは顔をしかめた。


「……私はワインを持ってきた筈なのに何故ブドウジュースに変わっている」

「んー? アレが俺の為に持ってきたのならそのまま開けるつもりだったけど、早口になっていないって事は自分が飲みたいから持ってきたって事だから絶対開けねえ」

「……知ったような口を」

「だって知ってるもん」


 そう言ってゼビウスは先程まで読んでいた少し分厚いノートをヴィルモントに見せた。

 すぐ横には同じ大きさのノートが二冊積まれている。


 そしてその表紙にはどれも同じ言葉が書かれていた。


『ヴィルモントの取扱説明書』


「……何だコレは」

「ヒールハイを出る時にクラウスに渡された。あいつら面白いな、基本バラバラなのに考えてる事というかやる事全く同じって。しかも中身全部見たけど書いてある事もほとんど一緒」


 ヴィルモントが来てから閉じた本をゼビウスは再び開き、読み始めた。


「性格は高圧的で恩着せがましい目立ちたがり屋。意外と世話焼きなところもあるが、素直じゃないので照れ隠しもあり皮肉を含んだ早口になるので分かりやすい。あと怪我や弱っている事を隠す癖があって、聞いても素直に認めないからこの場合は全員で休憩をするなりしてそれとなく休ませてやってほしいーー何だかんだ大事に思われてんじゃん」

「返せ」


 奪おうと手を伸ばしてきたヴィルモントを咄嗟に避け、簡単には取られないよう腕を伸ばした。


「神である俺相手にも対等どころかマウント取ろうとした度胸は認めるけど、お前よりもっと承認欲求強くて捻くれてる歳上がいるからな、そいつと比べりゃお前は素直で正直な奴だよ。あとこの本は俺がクラウスから貰ったから俺のもの、お前のじゃない」

「…………」


 何も言い返せず不満げに黙り込んだヴィルモントを眺めながらゼビウスは勝利の美酒といわんばかりに上機嫌でブドウジュースを飲み干したが、これは勝ったといえるのかと我にかえり少し虚しくなって深いため息を吐いた。

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