第110話 まだ街の前

「顔が近い!」

「ぎゃっ」


 出発して早々、後ろから聞こえてきたヴィルモントの声とシスの悲鳴にゼビウスが振り返ると、シスが顔を押さえてうずくまっていた。


 ヴィルモントの様子から裏拳を入れられたらしい。


「……何があった?」

「シスが私の匂いを嗅いだ上に顔を近づけてきたので注意しただけだ。拳で」

「あー、やっちゃったか……」


 最初こそヴィルモントを責めるような声色と目つきだったゼビウスだが、事情を知るや納得したような声をあげた。


「クラウスからお前の事は聞いているが、だからといって匂いを嗅がれるのはいい気はしない。特に人の姿になっている今はな」


 これが獣人のように獣の耳や尻尾があればまだマシなのだが、シスは一般的な人とされる姿をしている為ヴィルモントが嫌がるのも分からなくはない。


「オルトロスにとっちゃ匂いは大事な情報源だし難しいなあ。ほらシス、大丈夫か?」

「あ、ああ。吸血鬼って初めて見たからつい……」

「……言っておくが、私が吸血鬼だという事は口にするなよ。たとえ周りに人がいなかったとしても」

「? そういえばヒールハイでも騒ぎになっていたが何でだ?」

「それについては妾が説明しよう!」


 オルトロスのシスは人の世に疎い。

 魔物ならまだしも、ヴィルモントが吸血鬼だからというだけで街全体の騒ぎになったのは不思議で仕方ないらしい。


「ムメイも気になるか? それならば私がダルマより詳しく丁寧に教えてやれるぞ」

「いやダルマの説明で十分だし、教えてくれるって言ってるダルマの方がいい」

「…………」


 トクメの隣を歩いていたムメイはダルマの話を聞く為にそちらへ向かってしまい、ゼビウスは気の毒そうにトクメを眺めた。

 最初の一言で止めて自己主張を控えていれば会話も続きもしかしたらトクメの話を聞いていたかもしれないが、それを教えたところで話好きかつ承認欲求が一際強いトクメが実践できる可能性は低い。


 そんなトクメの様子に気づかずダルマはムメイを迎えて説明を始めた。


 ******


「……というわけで、人を食し更に人間社会に溶け込む吸血鬼は人間共から迫害されておるのじゃ。鬼と人狼もな」

「そういえばたまに吸血鬼の話聞くけど、大体貴族の地位についているわね。何かあるの?」

「ある程度の地位についていると色々融通が効くからな。一番手っ取り早いのが貴族になる事だ」


 ちなみにヴィルモント達は四大貴族と呼ばれているがこれはヒールハイの中だけの話であり、もっというと四大貴族は街の住民がいつの間にか勝手にそう呼び始めただけで実際に貴族の地位についているのはヴィルモントとローラントだけである。


「大変なんだな」

「明らかに理解していないだろうが、私が苦労しているという事さえ分かればそれでいい。だから常に私を敬い気遣うようにな」

「あ、ああ……?」

「まあ吸血鬼が街を治めると治安が良くなって街も発展して生活が豊かになるからの、最近では吸血鬼は差別せずに歓迎しよう、そんな考えも出てきておる」

「……吸血鬼だけなのか?」

「うむ! 吸血鬼ならば命に関わらない量の血液を提供する事が可能じゃが、肉を食らう鬼や人狼では無理な上に、特に何か利益となる利を出しておらんからの」

「そうか。……」


******


 ダルマ達は楽しそうに話しているが、トクメはダルマの方がいいと言われたのをまだ引きずっているのか話に割り込む気配もなくムメイ達の方を見たまま動かずにいる。


「トクメ、面白い本貰ったから読むか? お前はまだ持っていないと断言できるし楽しめると思う。何なら写本してもいい」

「……ああ、そうさせてもらおう」


 普段なら放置しているゼビウスだが、トクメの背中があまりに面白可哀想だったので僅かばかりの情けをかけておいた。

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