第56話 ムメイとフローラ

 朝を少し過ぎた頃、ウィルフ達が泊まっている部屋にイリスとルシアが慌てた様子で駆け込んできた。といっても慌てているのはイリスだけで、ルシアは何があったのかよく分からないといった顔をしている。


「ウィルフ! トクメは!? トクメはいないの!?」

「イリス、何があった? 顔色も悪いし、体調でも悪いのか?」

「いえ、身体は大丈夫なの、ありがとう。それよりトクメはいないの?」

「あいつならとうに出かけたが……」


 トクメは現在散歩と言って街に出かけている。特に騒ぎは起きていないのでしばらくは帰ってこない。


「なら探して来ないと。シスも出かけているのね、早く見つけてこの街から出ましょう」

「……何があった?」


 ウィルフの顔が険しくなり声も低くなった時、部屋をノックする音が響いた。


「トクメ!?」

「ああ、ごめん私で」

「あ、ごめんなさい……少し焦っていて」


 部屋に入って来たのはムメイ。

 こちらも見るからに顔色が悪く体調が悪そうに見える。


「ムメイ、もしかしてもう影響を受けているの?」

「影響? 何の事?」

「顔が真っ青よ、それに辛そうに見えるわ」

「ただの二日酔い。昨日ちょっと飲み過ぎただけ」

「なっ、心配して損した!」

「ルシア、大きい声出さないで。そのキンキン声頭に響いて痛いから」


 ずっとイリスの側にくっつき同じく不安そうだったルシアはムメイの体調不良の原因を知り怒ったが、何処か安心したような顔になった。


「で? 私が体調を崩すような影響を受ける出来事って何」

「あっ」

「私に関係ある事なんでしょう? あいつに話すとまた勝手な事するから私に話して」


 ムメイの口調が若干きつくなり、イリスは一度深呼吸してから口を開いた。


「その……今、街に行商人が来ていて……その人はフローラと呼ばれていたわ」

「フローラ? って確か」

「それで? 名前の一致だけならそこまで取り乱す程じゃないでしょう」

「……その、街に婚約者がいて……名前が……レクターと……」

「ああ、だからイリスはそんなに慌てていたのね。ただ名前が一致しているだけだから何の影響もないわ」

「……え?」


 決死の覚悟で言ったであろうイリスに対しムメイの反応は軽く、本当に何でもないらしい。


「あの、お姉様? 何故お姉様はあんなにも取り乱していたのですか?」

「……ムメイ、いい?」

「どうぞ、御自由に」

「……前に、ムメイについて少し話したのを覚えている?」

「は、はい。確かフローラという人間の記憶も感覚も、全てを引き継いでしまったって」

「そういえばそうだったな。しかしそのフローラは一体何をしたんだ? イリスが名前を聞いただけで取り乱すなんて相当じゃないか?」


 ウィルフに聞かれイリスは俯き黙り込んでしまい、ムメイが慰めるようにイリスの肩に手を置いた。


「イリスは辛そうだから私が話すわ。とは言ってもフローラは何もしていないんだけどね。本当に、なーんにもしていないの。ただ自由になりたいと願っただけ」


 ******


 フローラはごく普通の少女だった。

 山の麓にある小さな村に住み、畑を耕し山羊や羊を育て静かに穏やかに暮らしていた。


 そんなフローラには夢があった。

 幼馴染のハロルドと結婚し、子供と一緒に花畑を作ること。


 しかしその夢だけでなく全てを奪われ壊されたのはハロルドとの結婚前夜だった。


 フローラはその日の夜、忽然と姿を消した。


 犯人は同じ村に住むレクター。

 前々からフローラに想いを寄せていたレクターはフローラを諦めきれず誘拐し、山の中腹にある隠れ家に監禁した。

 更にレクターは禁術に手を出し不老不死の石を創り上げ、自身だけでなくフローラも無理矢理不老不死にしてしまった。


 それから五年間、フローラは何度も逃げ出そうとしては捕まりその度罰と称して酷い暴力を受けたがそれでも決して諦める事はなかった。


 いつか村に戻りハロルドと暮らせると信じて。


 しかし村ではフローラの失踪は外の男と駆け落ちしたという事になっており、フローラの両親はそれが原因で村八分にあい衰弱死、ハロルドはレクターの妹レイチェルと結婚していた。そのお腹にはハロルドの子供も。


 全てはレクターとレイチェルの策だった。

 レクターはフローラに想いを寄せ、レイチェルはハロルドを想っていた。

 お互いの愛を成就させる為二人は相手につけ入りやすく、また偽の情報の信憑性を高くする為あえて結婚前夜にフローラを誘拐し、噂を流した。


 ******


「絶望ってのはこの事を言うんじゃないかな」


 不老不死は輪廻の理から外れる為、死ぬ事は勿論生まれ変わりもない。生命を宿らせる事もない為子供を産む事もできなくなる。


「死ねないだけでも十分なのに、生まれ変わったらと願う事も、全てを忘れ夢を見る事さえ出来ないのだから」

「……つまり、フローラは今も生きて苦しんでいるという事?」

「この後すぐに死んだわ。あまりいい最期じゃなかったけれど」


 全てを知り絶望したフローラは感情のまま近くにあったナイフを手に取ると、レクターに襲いかかった。不老不死のレクターは刺されたぐらいで死ぬわけがないと余裕の笑みを浮かべながらナイフを受け入れ、そのままフローラを抱きしめた。


 その時、偶然なのか狙ったのか、ナイフはレクターが常に身につけていた不老不死の石を破壊した。


 レクターの魂を使い創り上げた不老不死の石は他者からの干渉を一切受け付けない。しかしフローラは同じ石から力を受けていた為干渉する事ができ、レクターはその場で魂ごと不老不死の石と共に一瞬で崩れ去ってしまった。


 しかしそこで終わりにはならなかった。


「同じ力を受けたフローラも不老不死の力がなくなって、それと同時に今までレクターから受けた暴力や逃げようとして崖から落ちた時とかの過去に受けた傷が順に戻ってきたの」

「何故フローラが? 元凶であるレクターこそそうなるべきじゃないの」

「私に言われても。多分レクターは不老不死になってから何の傷も負わず一撃で死んだからじゃない?」

「……フローラは」

「イリス?」


 それまでずっと俯き黙っていたイリスが口を開いた。その瞳には涙が溜まっている。


「あの時フローラはもう不老不死ではなくなっていたから、傷を治せばまだ生きていけると思っていた……元の生活に戻れると、だけど……」

「お姉様?」


 五年間受け続けた傷は尋常ではない程多いだけでなく一つ一つが深く重かった。

 一つ治してもまたすぐに新たな傷が現れ、それでもイリスは必死で治療を続けていたが既に生きる希望も何もかも失ったフローラ本人の意志により治癒の魔法をかけるのを止めた。


「あの時私が、村に行かなければ……レクターがそれを知ってフローラに村の様子を知らせていなければ……」

「それってどういう……」

「……。イリスは生前のフローラと出会っているの。といっても既にレクターに監禁されて不老不死になった後だけど」

「……フローラに会って話を聞いて、村ではきっと今もフローラの心配をしている、そう思ってすぐに村へ向かったわ」


 レクターの執念は凄まじく、イリスでは壊せないほどの呪縛がフローラにはかけられており救出は不可能。

 それならせめてフローラの居場所だけでも伝えようと村を訪れたがレクターとレイチェルは相当上手く話したらしく、村ではフローラの話は禁句になっておりハロルドも完全にレイチェルの話を信じていた。


「フローラの両親も、フローラを憎み怨みながら死んだらしくって……私に出来る事は何もなかったの……」


 村での誤解を解く事も、フローラを助ける事も出来ずイリスは最期を看取った。


「フローラも泣いていて…… 最期はただ一言、信じてほしいと言っていたわ……フローラはハロルドを裏切ってなんかいない、ハロルドだけを愛していたの。だけど……」


 ハロルドもフローラの両親も、村の者全員がレクターとレイチェルの話を信じフローラを信じる者は誰一人いなかった。


 そしてフローラが息を引き取った直後にムメイは生まれた。

 フローラの記憶、感情、そして過去に受けた痛みも全て受け継いで。


「ここからは私の話になるしあんまり話したくないんだけど……まあいいか」


 強すぎるフローラの記憶に自我を侵食され、絶え間なく続く激痛に襲われた結果。


 ムメイは発狂した。


「発狂……」

「その時の記憶ってあんまりないんだけど、とにかく叫んで暴れてた事ぐらいしか覚えていないのよね」

「……イリス」

「っ、何? ウィルフ」

「以前謎の大怪我を負って俺が聞いても何一つ話さなかった原因が今分かった。ムメイにやられたのか」


 深いため息を吐きながら言うウィルフにイリスは焦ったが何の言葉も出てこない。


「いい。当時の俺が聞いていたら、恐らくイリスの話を聞かずにムメイの所へ向かっていただろうからな」

「ムメイがお姉様を……」

「ルシア、ムメイは悪くないから怒らないで。フローラもムメイも、どちらも何も悪くないのよ……」


 何としても助けたかったフローラが、今度はムメイを発狂させる程苦しめている。

 そしてそのムメイも、イリスには何一つ出来る事などなかった。


「ムメイはそのまま姿を消して何処へ向かったかは知らないのだけど、暫くしてから再会したの。その時にはもう正気に戻っていたし、発狂した事は覚えていても詳しくは覚えていないみたいだったわ」


 イリスとムメイの付き合いはここから続いている。

 何気にトクメともあるのだがそこまで交流はなく、またムメイもトクメの事を話したがらなかったので親子だと全く気づかなかったらしい。


「その……今も痛みはあるの?」

「痛み自体はね。痛覚消されているから感じていないけど」


 ムメイの痛みは怪我によるものではなく記憶によるもの。

 その為治療のしようがなく、何をしても痛みが和らぐ事はないのでトクメが魔法でフローラが受けた事のある痛みだけを感じないようにしている。


「もしかしてその二日酔いも……」

「これは関係ない。頭を壁に打ちつけられたり割られたりって記憶はあるけど、フローラは二日酔いになった事ないみたいでその記憶はないから普通に辛いだけ」

「お前といいシスといい……何故そんな重い話を何でもないように軽く話せるんだ……」


 再び深いため息を吐きながらウィルフは頭を押さえた。

 ひょんな事から始まったムメイとフローラの話の重さについていけない。


 ウィルフのそんな様子をムメイは軽く笑いながら答えた。


「そんなの、何でもないようにしていないとやってられないからに決まっているじゃない」

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