第57話 ただそれだけの話
この日トクメはのんびりと街を歩いていた。
寂しがり屋だなんだと言われているが、別に常に誰かと一緒にいないといけないワケではない。
ただ周りが自分だけを省いて騒いだり遊んだり、楽しそうにしていると腹が立ったりするだけで、今のように少数且つ複数に別れている場合はそれ程気にならない。
ムメイはまだ部屋で寝ており、シスはウィルフと依頼に出かけ、イリスはルシアと行動を共にしている。
この程度なら多少は気になるが、そこまで必死になる程ではない。
依頼を終えたシスの次の行動によっては予定を変える必要があるが。
「お兄さん、お兄さん」
なのでトクメはのんびり歩きながらの日光浴を楽しんでいた。
「ちょっと、あの! 銀髪のお兄さん!」
「……ん? もしや私の事か?」
「そうそう、そうですよ。貴方の事です」
トクメの意識は完全に違う方へ向いていたのでいつもより反応が大分遅れ、三歩以上進んでからようやく足を止めた。
「そうか、もう『お兄さん』と呼ばれる歳ではないので私の事とは思わなかった」
端数切り捨て三億二千万は『お兄さん』と呼ばれる年齢ではない。今の姿でも三十代前半といったところなので『お兄さん』と呼ぶのは厳しい。
トクメ自身それを理解しているので『お兄さん』が自分を指しているとは全く思っていなかったのも反応が遅れた原因でもある。
「そんなご謙遜を、十分お兄さんで通じますよ。それより私、実は商人でして……お兄さんにおすすめしたいものがあるんです」
「ほう」
「ここでは少し話しづらいのでこちらへ……」
そう言って商人は人通りの少なそうな薄暗い路地へと向かい、トクメは大人しくその後をついて行った。
「ここなら大丈夫でしょう。さあ、おいで」
商人手を引きトクメの前へと出したのは十七、八歳程の一人の少女だった。
「これが私にすすめたいものなのか?」
「そうです。この歳でここまで上質な奴隷は中々いませんよ」
その少女は奴隷にしては身綺麗で、着ている白いワンピースもかなり質がよく肌ツヤも良い。
「本当に、奴隷なのか?」
「ええ、勿論です。本来なら奴隷の売買は然るべき場所で行うものですが、稀にままならぬ事情でこのように路上で行われる事もあるんです」
「そうか」
「そしてこの子ですが、見ての通り奴隷にしては身なりも整っているでしょう? それだけでなく文字の読み書きに礼儀作法も習得していますので何処に出しても問題ない代物となっています。そしてこの通り、首輪をつけなくとも逃げ出さない従順さ、更にはこの子をお買い上げいただくと今なら何と小さいですが屋敷もついてきます。どうです? これだけ揃ってたったの金貨五百枚ですよ」
一般的に商人があつかう奴隷は大体が借金奴隷であり、最低金額は金貨百枚からになる。
この少女の借金額は不明なので何とも言えないが、金貨五百枚で屋敷がついてくると考えるとかなり格安の値段となる。
怪しい程に。
「金貨五百枚、か。私はここに定住するつもりはないので不要だな」
「それでしたら! この奴隷に屋敷の管理を任されましたらどうでしょう。定住せずとも屋敷を家ではなく倉庫のように思っていただければよいかと。奴隷ですので預けた品を持ち逃げする心配もありませんし、管理は完璧です」
何故か必死に奴隷を買わせようとする商人にトクメはさり気なく後ろに下がり距離を取るが、その分また距離を詰めてきた。
「その屋敷の間取りはどうなっている。場所は」
「部屋は六つあり寝室は三つ、キッチンは最新の魔道具があり家具も揃っていますので今からでも住む事が出来ます。更に小さいですが庭もありますよ、小さいといっても十人以上の人を呼んでパーティーを開ける程にはあります。立地条件も良く、街の中心部から少し離れてはいますが近くに馬車の停留所がありますので買い物もしやすく各ギルドにもすぐ行けます。どうです、お買い得でしょう?」
鼻息荒く話す商人に再び距離を取ってみるがやはり距離を詰めてくる。何度試しても変わらず詰めてくるのでトクメは下がるのを止めた。
「購入を決めたわけではないのだが、契約書を確認する事は出来るか?」
「ええ、ええ、勿論です! これがその契約書です。簡易式の物ですが契約書は契約書。サインさえしていただければ商業ギルドでも問題なく通用します」
トクメは紙を受け取るとジッと眺め、そのまま指で軽く口を押さえ黙り込んだ。
それを悩んでいると見た商人はもう一押しと更にアピールを続けた。興奮しているのか声も大きくなってきている。
「失礼。先程から話を聞いていたのだが、中々良い奴隷ですね。私が購入させていただいても?」
それでも黙ったままトクメが契約書を眺めていると一人の男性が商人に声をかけてきた。
相手を逃すまいと距離を詰めすぎ裏路地から表通りへと出ていた事に気づかなかったらしい。
「え? あ、大変申し訳ありませんがこちらは只今交渉中でして……」
「いや私に購入の意思はない。どう断ろうか考えていたのだが、購入するのならば私は潔く譲ろう。これがその契約書だが、少し不手際な部分があるので商業ギルドへ向かい簡易式ではなく正式に手続きした方がいい。このままでは屋敷の所有権はこちらにあっても土地の主がこの奴隷の両親となっているので、屋敷を取り潰す事になった場合購入者は拒否出来ず追い出されるぞ」
「え、あ、ちょっと!!」
トクメが男性に契約書を渡し、訂正箇所を教えると商人だけでなく奴隷の顔色も一瞬にして悪くなった。
「そうか、教えてくれてありがとう。では今からギルドへ向かおうか」
「えっ、え、あ……」
明らかに商人は動揺しているがもう終わった事なのでトクメは気にせず歩き出した。
少しして後ろから男の怒鳴る声と少女の泣き叫ぶ声が聞こえてきたが、トクメには何の関係もない。
そう、あの商人が本当は商人ではなくただの一般人で奴隷の少女とは実の親子だとか、屋敷は親子の家でただ金だけ巻き上げるつもりだった詐欺の常習犯だとかなどは一切関係ない。
トクメは商人に奴隷を勧められたが購入する気は微塵も無かったので興味を持った他の相手に譲った。
ただそれだけの話。
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