第55話 絶頂からの転落

 シスは今幸福の絶頂にいた。


「シスは何飲む? ここ結構色んな種類のお酒扱っているから飲みたいのがないってのは無いと思うけど」


 場所は酒場。

 カウンター席の隣にはムメイ。


 そしてとても嬉しい事に店にも外にも、近くにトクメはいない。


 これがただ一緒に酒を飲むというだけならばトクメも止めるか妨害しただろうが、今回はムメイがブローチのお礼としてシスに酒を奢ると誘ったので流石に口出し出来なかったらしい。


 なのでシスは今とても機嫌が良かった。

 尻尾があればバタバタと煩い程振っていただろうし、顔もニヤけるのを必死で抑えている。


 今現在が絶頂という事は、後は落ちるだけだがそれでも構わない。

 ただ少しでも長くこの幸せが続けばいいと思った。


 しかし、呆気なくその時間は終わった。


「よお兄ちゃん、女に奢ってもらうほど切羽詰まってんのかい? ならちょいと賭けねえか」

「賭けねえからどっか行け」


 酒を注文する前に終わった。


 一人の酔っ払いが会話を聞いていたのか絡んできただけでなく、あろうことかムメイにまでちょっかいを出してきたのである。


 当然シスは断った。

 しかし酔っ払いはしつこく絡み、それでも頑張って追い払おうとした結果。


 シスとムメイ、酔っ払いで飲み比べ勝負をする事になった。


「何でこうなった……」

「まあ、成り行き?」


 ムメイが多少楽しそうなのは救いかもしれない。


「酒は何でもいいが一種類だけだ。俺はこの清酒でいかせてもらうぜ。あんた達はどれにするんだ?」


 店主が透明の液体が注がれたコップを男の前に置き、ムメイ達にはメニューを渡す。


「折角だし変わったの飲みたいんだけど、種類あるから悩むのよね」

「それならこのスクリュードライバーなんてどうだ、アレキサンダーやルシアンって酒も飲みやすくて評判良いぜ」

「甘いのは苦手なの」

「じゃあロングアイランドアイスティーは? 甘さは控えめだし、この酒は紅茶を一切使ってないのに紅茶の味がする面白い酒だぜ」

「ふふっ、じゃあそれにするわ。シスは? 決まった?」


 ムメイに聞かれたがシスは渡されたメニューを見たまま固まっていた。

 文字は読めるので問題ないが、ビトウィン・ザ・シーツやピンクレディなど不思議な名前ばかりでどんな酒なのか全く予想がつかない。


 とりあえずソルティドッグが犬関係だという事しか分からない。


「兄ちゃん甘いのいけるならさっき俺が言った酒なんかどうだ?」

「ルシアンとかカカオを使っているのはダメよ。柑橘系は大丈夫?」

「多少ならいけるが量となるとキツイな……もうその男と同じ清酒でいい」

「へへっ、それじゃ始めるか。ギブアップ宣言か、周りが飲みきった状態で十秒以内に飲めなくても負けだからな」


 こうして静かな戦いが始まった。


 ******


 おかしい。


 飲み始めて三十分、俺は焦っていた。


 男の方はともかく、女はレディキラーと呼ばれる飲みやすい割にアルコール度数の高い酒を平然とした顔のまま飲み干していく。


 そろそろ酒が回ってきてもいい筈なのにそんな様子はなく、今も新しく注がれた酒を飲んでいくのでこちらも慌てて飲み干す。


 店主に金を握らせ水を清酒と偽っていたが、流石にこの量になるとただの水なのがかえってキツくなってきた。


 めまいを感じ、軽く頭を押さえながら隣を見ると女はこちらを見ながら笑っていた。


「あんた、何見てんだよ」

「んー? 命を肴に飲むお酒も美味しいなって。今私、とっても楽しいの」


 そう言って女はクスクス笑っているが、もしかしたら顔に出ないだけでもう大分酔っているのかもしれない。

 男はさっきから一言も話さず飲んでいるのでそちらも限界なのだろう。


 ならあともう少しで勝てる筈。


 めまいは気合で堪え、水を一気に飲み干した。無理矢理飲んだせいか手が震えているが大丈夫、まだいける。


「……水中毒、って聞いた事ある?」


 女が再び話しかけてきた。顔は相変わらず余裕そうに笑っていやがる。


「何だよ、それ」

「ただの水もね、飲み過ぎると毒になって死ぬの。それが水中毒」

「…………」


 飲んでいるのが水だとバレたか?

 いや、バレる筈がない。ただの偶然だ。

 だが話の内容は気になるので黙って続きを聞く。


「水中毒の初期症状は目眩に頭痛。更に進むと錯乱、痙攣。最終的には死んじゃうけど、まあ今飲んでいるのお酒だから関係ないか」


 嫌な予感に冷や汗が流れた。

 さっきから感じているめまいはもしかして……。

 思わず女の方を見ると相変わらず酒を一気に飲み干している。


「ちまちま飲むのも面倒ね。これ、大きなジョッキにしてくれる?」

「それなら俺も頼む。量は揃えないと勝負にならないだろう」


 男も今ある酒を一息に飲み干していた。


 俺のグラスにはまだ水があるがもう飲めない、飲みたくない。


 しかし俺の目の前には大きなジョッキに注がれた水が置かれた。

 思わず店主を見上げたが静かに首を振るだけで何もしてくれない。


 俺が躊躇っている間にも女はそのジョッキすら一気に飲み干した。


「もう降参? 早く飲まないと負けるわよ」

「その前にグラス分もまだ残っている。早く飲め」


 いつの間にか飲みきっていた男にも急かされグラスに手をやるが、どうしても持ち上がらない。


「む、無理だ……もう飲めねえ……」

「うふふ、じゃあ貴方の負け。それじゃあご馳走さま」


 女はそう言うと席を立ち上がり、男と一緒にふらつく事なくしっかりとした足取りで店を出て行った。


 ******


「ちょっと飲み過ぎたかなー」

「ムメイ、大丈夫か?」

「大丈夫大丈夫。ちゃんと歩けているし、特に気持ち悪くもないから」

「ならいいんだが……そういえばあの男は放っていていいのか? もしあのまま死んだりしたらムメイに変な疑いがかかりそうなんだが」

「そっちも大丈夫よ。あれぐらいの量で死んだりしないもの」


 水の致死量は大体六リットル程であり先程の男が飲んでいた量は多く見ても三リットル。この量では多少体調が崩れたりしても死ぬ事はない。


「でも水中毒があるのは本当。目眩と頭痛が前兆なのも本当、嘘はついていない」


 そう言って笑うムメイにシスもつられて軽く笑った。


「あの男が酒ではなく水を飲んでいたのに気づいていたのか」

「勿論、ついでに勧めてきたお酒が全部アルコール度数が高いレディキラーなのも。シスも単独でバーに行く時は気をつけた方がいいわ、カカオが使われているの結構あるから」

「ああ、そうする」


 この間ずっと歩きながら話していたが、何故かシスは三歩程距離を取りそれ以上近づこうとしないのにムメイは気づいた。


「…………」


 一歩近づくとその分離れてしまう。


「……もしかして息臭い?」


 手に息を当てるがいまいちよく分からない顔をするムメイにシスは焦って弁解を始めた。


「ち、違う違う! 臭くないしむしろ、って違う! そうじゃない、とにかく匂いで距離を取っているわけじゃない!」

「じゃあ何で?」

「う、後ろに」

「後ろ?」

「……トクメがいる……」

「は?」

「流石は犬。よく鼻が効くことだ」


 シスが言うと同時に少し離れた場所からトクメがヌッと現れたが、何故かそれ以上近づいて来ない。


「何でいるの」

「飲みに行ったにしては時間が遅すぎる上に飲みすぎだ。早く宿に戻れ」

「……シスがいるから急ぐ必要ないでしょう」

「いいや急ぐべきだ、ムメイが戻らないと言うなら私が送るだけだ」

「は? ちょっ……!」


 ムメイがまだ話している途中にも関わらず、トクメは宿へと転送してしまった。


「……何でお前も残るんだよ。俺を置いてさっさと戻ればいいだろ」

「言われずともそうする。……」


 そう言った割には何故か隣に並び歩き出したのでシスは横に少し離れてから歩き出した。


 しかしトクメは離れた分詰めてくる。


 何か企んでいるのかともう一度離れてみると、今度は寄ってこなかったのでシスはこっそり安堵の息をついた。


 ゼビウスの息子と知ってからは間接的に攻撃したり怪我を負わせるような事はしなくなったが、こういう感じに精神的に負荷をかけてくるので最近シスは少し胃が痛い。


 どちらがマシかは考えない事にした。


「ふむ……二十、いや十五か?」

「……何の事だ?」

「三つ、教えてやろう。一つ、この街は地下に水道を作りそこに生活排水を流し、専用の池に溜められている」

「?」


 いきなり話し出したトクメに足は止めず黙って続きを聞く。


「二つ、その池には魔道具が設置され汚れた水を浄化し川へ戻しているが、幾ら衛生面に問題ないとはいえ生活排水は生活排水。そこに近づく者はいない」


 話しながら最初に言った十五と言う数字も十、九と数えている。


「三つ、ああこちらも残り三だな。三つ、お前の歩いている所は丁度そのため池の上であり現在出入り口である蓋が傷んで脆くなっているのでお前の体重だと支えきれずに落ちるぞ。ゼロ」

「あああああ!?」


 トクメのゼロ、という言葉と同時にシスはその蓋を踏み抜き綺麗に地下へと落ちた。


 直後に必死に登ろうとしているのかバシャバシャと激しい水音が響く。


「何か言っているみたいだが水音のせいで聞こえんな。しかし、私が話し出した時点で足を止めてちゃんと聞いていれば落ちる事はなかったというのに。言っておくが私は何もしていないからな、会話をするのだから距離を縮めたのにお前が勝手に距離を取り自ら排水池の上へと移動したのだ。私はちゃんと教えたし、数を数えだした時に何の数か尋ねていれば私は教えていた。つまり、お前が私に文句を言う筋合いは勿論責められるいわれもない。さて、最初にお前が言った通りこのまま私は宿へ戻るとするか」


 そう言ってトクメは本当にシスを放ってそのまま宿へと戻っていった。

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