第3話 フローラ

 今日はイリスがルシアと共に自由の精霊のところへやってきて楽しく時間を過ごしていた。


 しかし急に自由の精霊の様子が変わり、ソワソワと落ち着きがなく軽く腕を擦ったりしはじめた。


「どうしたの? もしかして体調でも悪いの?」

「毎日ダラダラ過ごしているから風邪を引くのよ」

「自由気ままと言って。というか、風邪じゃないから。体調はどこも悪くないんだけど……」


 そう言っているが、自由の精霊の顔色はあまり良いようには見えない。


「何かさっきから探られているような……ゾワゾワする」

「悪寒?」

「やっぱり風邪じゃないの」


 ルシアが呆れたように言った時、いきなり自由の精霊の首から鎖が生えてきた。


「え……」

「あ、マズイ。誰かが私の名前を知った、呼んでいる」


 自由の精霊は鎖を掴んで離そうとしているが鎖は首だけでなく手足からも現れどんどん太くなり、それに伴い体も地面の方へと引きずり込まれているかのように降りていっている。


「フローラ!!」


 イリスが引き止めようと手を伸ばした時には、既に自由の精霊の姿は何処かへと消え去っていた。


「う……ぐ……」


 代わりに自由の精霊がいた場所にはいつの間にか別の精霊が現れ、痛みに耐えているのかうずくまり呻いている。


「お姉様……目の前にいるこの精霊は……私? 私が、私が目の前にいます……」

「ルシア? ……もしかして、ウィルフなの?」


 ようやく痛みが治まったのか顔を上げた精霊は、ルシアと同じ金髪に同じ顔立ちをしていた。

 ルシアが男になり成長したような姿に見える。


「……イリス、か? まさかこうしてまた会えるとは思わなかった……」

「私も……貴方とはもう会えないと思っていたわ……ウィルフ……!」


 イリスが飛び込むようにウィルフを抱きしめ、ウィルフもそんなイリスを力を込めて抱きしめ返した。


「あの、お姉様……これは一体どういうことなのでしょうか」

「あ」


 状況を忘れ再会できた喜びに浸っていたイリスとウィルフだが、ルシアの戸惑いに満ちた声でようやく我に返り慌てて離れた。


「そうだ、大変なのウィルフ! フローラが誰かに名前を知られたらしくて何処かへ消えてしまったの!」

「大変なのは分かるが俺も今復活したばかりで何がなんだか分からないんだが……とりあえずあの小さい精霊は何だ?」

「お姉様……」

「やはりいないか。しかし随分と面白いことになっているな」


 三者三様の混乱にまとまりがつかない状況の中、また新たな声が増えた。


 現れたのは白い陰陽師のような服を着た男なのだが、何故か顔の部分を真っ白な包帯で覆っており目も口も、髪の毛一本すらはみ出さない程グルグルに巻かれ丸い形になっている。

 それだけでも十分異様な姿なのだが、白い男の右手には黒い髪を一つに縛り黒い拳法着を着た若い男が掴まれていた。


「お姉様……誰ですかこいつは」

「私も知らないけれど……ねえ、それは誰?」

「こいつか? 自由の精霊の名前を探り、呼んだ元凶だ」

「あ、そっちとは知り合いなのですね……」


 乱暴な手つきで男の頭を持ち上げると、気を失いピクリとも動かなかった男がモゾモゾと動き出し状況を把握するとほぼ同時に蹴りが入ったが、白い男に届く前に見えない壁があるのかガキッと固い音が響き阻まれた。


「お前いい加減にしろよ……!」

「ふむ、名前を調べて口にしただけで何か画策した訳ではないのか。これでは誰が何処に連れて行ったのかまでは分からんな……ならば役立たずのお前に用はない、消えろ」

「あ、おい!! お前っ! 本っ当覚えていろよおおお!!」


 黒い男の頭から白い糸のようなものを引っ張り出し何か調べていた白い男は満足したのかそのまま手を離し、黒い男は叫びながらそのまま下へと落ちていった。


 少しして恐らく落ちていった男の方から白い男へ向けて火柱が上がってきたが、やはり見えない壁に阻まれ当たる事なく消えた。


「こうなると奴の周辺にいた者を片っ端から調べるしかないか……」

「待って! フローラは大丈夫なの? それだけでも教えて」

「今探しているところだ。……見つけて無事が確認出来れば連れてきてやろう」


 それだけ言うと白い男は一瞬で姿を消してしまった。


「な、何だったのですか一体……」

「えーと……私達が探すよりは確実だしとりあえず待ちましょうか……」

「あいつが動いているんだ、自由の精霊もすぐに戻るだろう。それよりこの精霊の事だ」

「あ! そうでしたお姉様! 一体どういう事なのですか!?」

「え、わ、私は何でも知っているわけじゃないから……ウィルフは?」

「同じく。説明は出来ても戻って来れた理由が分からない」

「……まずはフローラが帰ってくるのを待ちましょう。あの子なら多分知っていると思うから」

「だな」

「うう、あいつが来るのを待ち望む日が来るなんて……」


 ******


 フローラが気づいた時、既に体は大の字で蜘蛛の巣に括りつけられていた。


「ああ、立派な蜘蛛の巣ねえ。貴方が作ったの?」


 動く範囲で周りを見回すと丁度真横に赤い色が目立つ毒々しい巨大な蜘蛛と目が合った。

 ニコリと微笑み話しかけるも、巨大な蜘蛛はギチギチと牙を鳴らしあまり友好的な様子は見られない。


 蜘蛛はそのまま周りを確認するように歩き出し、フローラも更に周りを確認してみた。


 蜘蛛の巣は五メートル程の大きさで、鎖は消えていたが代わりに数センチ程ある太さの糸が手足へ何重にも巻きつけられている。

 軽く動かして見るが、ギシギシと軋むだけで到底千切れそうにない。


「流石は蜘蛛、外れる気配がしないけど……ねえ、まだ食べないの? 折角捕まえたのに。あ、そっか、私は捧げ物か。食べたいけれど主に捧げなきゃいけないのか……可哀想に」


 嘲笑うような言い方に蜘蛛は怒ったのか、威嚇するように二本の前足を上げるがフローラは怯まない。


「本来ならこの巣は貴方が生きていく為に必要なものなのに……生きていくのに必要な食の手段を忠誠の為に使ったら、貴方はいつこの巣にかかった獲物を食べるの? 違う獲物を捕まえた時? でもその違う獲物こそが主の望んでいたものだとしたら?」


 フローラの言葉に動揺したのか蜘蛛は上げていた二本の前足を下ろし、キョロキョロと顔を動かし始めた。


「……今食べちゃったら? 私を」


 チョイチョイと招くように右手の指を動かすと、蜘蛛は警戒しながらもゆっくりフローラへと近づいてきた。


「貴方の主は貴方が私を捕まえた事を知らない。なら今回は主に何も言わず私を食べて、最初から何も無かった事にしてしまえばいい。そして次から主の望みを聞いて、主の望む獲物を捧げて忠誠を誓い続ければいい。主の望みに応えてこその忠誠だと思わない? ほら、おいで。私は巣に引っかかっているから貴方が来ないと」


 フローラの言葉に、とうとう蜘蛛はフラフラしながら導かれるように右手へ口を近づけていく。


 そしてフローラの右手を口に入れた瞬間。


「捕まえた」


 フローラはニヤリと口端を上げ蜘蛛の牙を掴んだ。

 蜘蛛は驚いて離れようともがくが、フローラは牙をしっかりと掴み離さない。


「うふふふふ、食べちゃった。主への捧げ物を食べちゃった。これは裏切り? 裏切りだよねえ。だって主に捧げようとしていた獲物に口をつけたのだから」


 ツツ、と指で牙をなぞるが蜘蛛は動けないのかそのまま固まり否定するように頭を軽く左右に振っている。


「違う? まだ食べていない? ざーんねん、私の右手を口の中に入れたじゃない。口に入れた時点でもうダメなのよ。でも大丈夫、さっきも言ったけど貴方の主はこの事を知らない。私も誰かにこの事を話したりはしない、だから貴方が食欲に負けて主への捧げ物を盗み食いした事が誰かに知られることはない。でも、貴方はどうかしら」


 楽しそうに牙を撫でながらフローラは話し続ける。


「周りは知らなくても貴方が一番知っている。自身の行いを、裏切りを。これから先獲物を捕まえる度に、食べようとする度に今日の裏切りを思い出すのだと思うと楽しみだわ。ずっと、ずうっと己を誤魔化し主に嘘をつき騙していくのだから」


 牙から手を離すとフローラは普通に起き上がった。

 手足を拘束していた糸は短く切り落とされたかのようにパラパラと地面へ落ちていく。


「貴方の糸は頑丈だけれど私の魔力の方が強かったみたい。また、思い出が増えたわね。貴方が糸を出す度に、巣を作ろうとする度にこの事を思い出すのだから。今まで逃げられた者はいなかった自慢の糸と巣を簡単に壊された事を」


 ブツリと、巣の端から切れる音が響き蜘蛛は慌てて直しに行こうとするが動く度にどこかが切れていき到底間に合わない。

 とうとう巣はフローラを拘束していた糸のように細切れになり、蜘蛛もそのまま地面へゆっくりと落ちていった。


 フローラはその様子を宙に留まり無表情で眺めている。


「巣を作る度に簡単に壊された事を思い出し、獲物を捕まえる度に裏切り行為を思い出す。それでも忠誠を誓い続けるか、本能のまま自由に生きていくか。あの蜘蛛はどちらを選ぶのか、楽しみだわ」 

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