第62話 heavenly①


その日、僕たちの家には、朝から甘い匂いが立ち込めていた。


そのほとんどが、習いたてのケーキ作りに奮闘する祐介くんの仕業だったのだが、バタバタ忙しく動き回る祐介くんの横で、僕もケーキ作りの手伝いや夕飯の仕込みなどで飛び回っていた。


「おーい、シーツ干しといたよ」

幸也さんの声に、泡立て器片手に返事する。

「すみません!ありがとうございます」

「いいっていいって。そっちは任せきりなんだから、あとのことはこっちでやるから」

ニコニコ顔の幸也さんに感謝して、ホイップの仕上げに入る。

祐介くんは上に載せるフルーツのカットに余念がない。

その後ろでは圧力鍋が元気に蒸気を上げている。


僕たちがなぜこんなにもバタバタと料理に勤しんでいるのか。

そう、ヒオが帰ってくるのだ。


まだ完全な退院というわけではない。

外の世界に少しずつ慣れていくための外泊だ。

それでも、あれ以来この家にヒオが帰ってくるのは初めてのことで、僕たちは皆して浮足立っているのだ。


「よし!フルーツ終了!」

「うわぁ、すごくキレイだね」

不器用を自ら名乗っていた祐介くんの手により、たくさんのフルーツがきれいにカットされている。

これができるまで家で何度も何度も練習し、ぐちゃぐちゃになってしまったフルーツを半泣きで食べたり、指を切って絆創膏でぐるぐる巻きになった手でまだ練習したり、本当の本当に祐介くんは頑張ってきた。

スポンジの部分もいい色に焼き上がり、ほどよく熱も取れてきている。

「ホイップもできたよ」

「おお、いい感じ!」

どんどん出来上がっていくケーキに、僕たちのテンションも上がる一方だ。


「二人とも、則正さんから今から病院出るって連絡入ったぞ!」

則正さんは、川上さんと一緒にヒオを迎えにいっている。

病院からは車で30分くらい。それを考えると、早急にデコレーションにとりかからなければならない。

「さあ、ラストスパートだ」

「うん。頑張ろう」

僕たちはもう一度腕まくりをして、ケーキの仕上げに取り掛かるのだった。


ヒオの外泊が決まった時、僕たちは皆してヒオに何がしたいかを聞いた。

どこかに行きたいなら連れていくし、食べたいものならすべて用意する、そんな意気込みで聞いた僕たちに、ヒオはあっさりと、

「家でごろごろしたいなぁ」

と言ったのだった。

「皆でのんびりご飯食べて、喋ったりテレビ見たり、だらだらしたい」

正直肩透かしを食らった気もしたけれど、ヒオの求めているのがいつもの「日常」なんだと思うと、それはそれでとても愛おしい気がして。

「よし分かった。その日は絶対休み取る」

「俺も!」

「オレも!」

「…僕は、ごはん作ります」

こうして、ヒオの外泊の日の予定は、皆してダラダラすることに決まったのだった。


クリームを絞りながら、そんなことを思い返していると、

「久しぶりに皆でだらだらするの、オレ結構楽しみなんだよなー」

僕の心の中を読んだかのように、祐介くんが言った。

「ヒオがあんなことになって、この家で皆揃うことなんてなくてさ。皆必死だったから気づかなかったけど、たぶんオレ、寂しかったと思うんだ」

あっさりそんなことを言ってのけるから、びっくりしてしまう。寂しさを素直に認められるのは、祐介くんの強さだ。


「…うん、そうだよね。改めて考えたら、僕もたぶん、すごく寂しかったんだと思う」

「だろ?だから今回の外泊の間は、うっとうしがられるくらいベッタリくっついてだらだらしてやるんだ」

そんな祐介くんの意気込みが可愛くて、思わず吹き出した。

「何笑ってんだよー」

「なんでもないよ。僕もベッタリするから」

「あはは、だな」

寂しかった僕たちは、寂しかった皆で一緒に寂しくなくなることを心に誓った。


やっとのことでケーキのデコレーションも完成した。冷蔵室にそっとしまって、ほっと息をついたその時。


ピンポーン


インターホンが鳴る。

「「帰ってきた!!」」

僕たちは玄関に走っていく。

幸也さんがドアを開けるとそこには、則正さんと川上さんに挟まれて、恥ずかしそうに笑うヒオが立っていた。

「…ただいま」

「「「お帰りなさいっ!!!」」」

やっと、やっとだ。

この家に、ヒオが帰ってきたのだ!

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