第61話 柔らかな夢を④
「お、カイ。来たんだ」
扉を開けると、ベッドの横に立ち軽くストレッチしているヒオがいた。
「こんにちはー。起きてたんだね」
「うん、最近はなるべく起きてるようにしてるからな」
答える声も少し明るい。
あの日から、何かが変わった気がする。
寝ぼけたまま、自分の夢をヒオに語ったあの日から。
この家をうっすら覆っていた靄のようなものが晴れて、少しずつ薄明かりが指してきているような、そんな感覚。
ただ、僕の気持ちの持ちようなのかもしれないけれど。
それでも、変わったのは僕だけじゃなかった。
ここ最近、ヒオの調子がいいのだ。
もちろん精神面のことだから、良かったり悪かったり波はある。
それでも、最低限夜は眠れるし、ごはんも8割方は食べられている。
何より、怖い夢を見たり真夜中に不安に襲われたりしたとき、看護師さんをちゃんと呼べるようになったのだ。
それまでのヒオは、辛いときも黙って耐えていた。見回りの看護師さんが来たとき布団の中で震えていたこともしばしばで、何があったか尋ねても無言で涙を流すだけだったそうだ。
そんなヒオが、辛いときに辛いと言えること。これは大きな進歩だと言えるだろう。
「もうちょっとで、退院も視野に入れられるかも」
主治医にそう言われて、ヒオだけでなく僕たちも上機嫌でここ最近は過ごしている。
もうすぐ、この家に皆が揃う日が来るんだ。今からワクワクしている僕がいる。
「一体どんな魔法を使ったんだ?」
則正さんや幸也さんにそんなことを言われる。
僕と話したあとからヒオの調子が良くなったことから、きっかけは僕にあると睨んだらしい。それでも、僕は微笑むだけで答えない。
だって僕はただ単に、僕の願望をヒオに伝えただけだったから。
「今日の昼ごはんはなんだろうなー」
手早く周りを片付けて、昼食の用意を始める。食欲が出てきたのはいいことだと思う。
「ヒオの好きなやつだよ」
おかずのぎっしり詰まったタッパーは、ヒオ用の特製だ。
みんなのものより、種類が少し多いのだ。
「うん、おいしそう」
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
二人して手を合わせて、食べ始める。
ヒオのお箸が進んでいるのを見て、ほっと息をつく。よかった。
「なあ、カイ」
「ん?」
「オレ、カイのごはんずっと食べてたい」
「うん」
「一人はイヤだ、一人で食べるごはんなんてイヤだ」
「うん」
「カイに言われて、気付いたんだ。オレも、皆と一緒にいたい」
「うん」
「だから、カイの夢に乗っかることにした」
「うん」
「おいしいごはんのお店、やろうな」
「…うん、一緒にやろう」
ニコニコしているヒオに、今度はこちらが泣きそうになった。
ちゃんと希望を口にしてくれた。
僕と一緒に夢を見てくれると言った。
これ以上の幸せって、あるだろうか。
「料理、頑張って覚えてね」
「…洗い物なら、なんとか」
「少しずつでいいよ」
「じゃあハムエッグからで…」
「ハムエッグなら、モーニングに出せるね」
「そうだな」
「デザート部門は祐介くんに頼もう」
「じゃあ接客は則正さんだな」
「幸也さんに、配達も行ってもらおう」
僕たちは、まだ始まってもいない将来の僕たちのお店について語り続けた。
メニューはどんなのにしようか、日替わりランチを充実感させたい、晩ごはんまではさすがに難しいから、夜は19:00までにしよう。
エプロンは絶対黒で、カッコいいやつ。
制服のシャツはアイロンが面倒だから、ポロシャツでいいかも、そんな細かいことまでたくさん、たくさん。
ヒオは始終笑顔で、ここが病室であることを忘れてしまっていた。
二人のお店のことなんていくらでも想像できたし、それがあまりにも心地よくて僕もヒオもいつしか夢中になっていた。
想像の中で、勝手に皆のことを巻き込んでいたけれど、それがあまりにも自然で、二人とも気づかないままだった。
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